外国人が憂う日本人の「ハチ公体質」とは何か

 アメリカンフットボールでの悪質タックル問題をめぐる騒ぎがようやく落ち着いてきた。いろいろな意見があるだろうが、個人的には今回の「チャンピオン」は、宮川泰介選手である。

 多くの偉大なスポーツ選手が有名な理由は彼らの身体能力にある。しかし、フィールドでプレッシャーをかけられた若い宮川泰介選手はチーム、日本大学、そして何よりもスポーツの上を行く強いモラルを見せた。

 自己の行為を反省し、彼のコーチを含むその行為に至った原因の事実を話すことによって宮川選手は最近の日本によく見られる「ハチ公体質」から離れたのである。

犬を偶像化することに驚いたジャーナリスト

 筆者が初めて日本に来た頃、当時ジャーナリズムの先輩であった海外特派員ブルノ・ビロリ氏が「いったいどんな国が犬を偶像化するのか」声に出して不思議がっていた。彼が言っていたのはハチ公のことだった。日本が軍国主義の道をたどっていた頃、ハチ公は主人への盲目的服従の象徴として人気になった。

 忠誠心はとてもよい価値観であり、それが正しく使われれば最高によい結果を出すことができる。日産の会長であるカルロス・ゴーンは2017年にこう話したことがある。

「私は数々の組織や国の中で仕事をしてきたが、すべての日本企業のすべての社長がうらやましい。日本にはとても特別な何かがある。それは、すべての従業員とつねに1つの目標を持つ社長との間にあるつながりである。この忠誠心はとても強く、ほかが再現するのは非常に難しい。日本があれほど印象的なのはこの独特な特徴のためである」

 しかし、忠誠心が恐れや強制によるものであればそれは破棄されるべきだ。ハチ公は確かに、日本人にとって忠誠心のシンボルなのだろうが、忠誠心に対する行きすぎた信仰は危ない。

 たとえウソをついたり、自らを滅ぼす可能性があったとしても、その時の「主人」に従う体制を作ってしまうからだ。これは特に、権威が重視されるスポーツの中で見られるが、国権の最高機関でも見られる。

 一時は聡明で実力的な公務員だった柳瀬唯夫と佐川宣寿はあまりにも権威に目がくらみ、上司を守るために国民の前でウソをつこうとしている。彼らはそのような忠誠心は政府や安倍昭恵夫人ではなく、納税者に向けられるべきだということを忘れてしまった。

 先述のビロリ氏は、日本で最もにぎわう渋谷にある、この見た目は無害の銅像が、我慢ならなかったという。彼はその中に、尊厳の放棄を見たのだ。ハチ公は主人にあまりにも忠実であり、死んでも帰りを待つ犬の伝説は銅像にするのには安っぽすぎると考えたのだ。彼は、日本人にはもっとふさわしい崇拝の対象があるべきだと考えたのである。

タカタや東芝で起きたこと

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

 絶対的服従に近い忠誠心は、日本の企業にも見られる。

 たとえば、破綻した自動車部品メーカーのタカタでは複数年にわたって、自社のエアバッグに欠陥があったことを隠し続け、これが多くの人の死につながった。社員たちは自社を守るために、欠陥を報告しなかった。

 不祥事が発覚した後も、トップに辞任を迫ることはなかった。同じく東芝でも、何年にもわたって不正を知っていた社員が問題を指摘することはなかった。

 本来であれば美徳である忠誠心だが、上下関係の元では歪むことがある。そして、日本企業では、忠誠心は長い労働時間や不当な扱い、安い賃金を正当化するものとなっていることが少なくない。

 そうでなければ、人口減による労働力不足がこれだけ問題になっている中で、社員がたとえ過労死しそうな状況であっても、自分の上司に強く立ち向かわない理由を説明できない。

 2013年に200時間を超える時間外労働の末、31歳の若さで亡くなった佐戸未和さんに対して、死後、報道局長特賞を与えるという無神経なことができるはずないのだ。

 一方、こんな歪んだ忠誠心を外国人社員に求めることはできない。たとえば、日本では当たり前の単身赴任を受け入れる外国人はほとんどいない。せっかく外国人を雇っても、日本企業で長く勤められる外国人の数はそう多くない。

 なぜなら、自分の人生を会社に捧げるメリットがほとんどないからだ。

 日本人のハチ公体質は、学校教育で育まれている。日本では、権力に立ち向かうよりは、従うことを教えられがちで、「いい子」は、人と違ったことをしない子だ。生徒たちは、自分で考えるより暗記をすることを求められる。

 一方、フランスではつねに考えられることを求められる。教師たちも、一方的に授業をするのではなく、それぞれ生徒の個性を引き出すような授業に力を入れている。

 結果、日本では卒業を迎える頃には、同じ制服を着て、同じ髪型をして、同じ意見や発想を持つクローンのような学生が勢ぞろいする。

 海外に拠点を持つ派遣会社は、極東アジアの中で、日本の卒業生は最も退屈で野心のない人々だと嘆いている。彼らは現状維持が最善だと考え、権威に逆らうことはしない。自ら積極的に質問をすることもないという。

指導者不足に陥っている日本

 ハチ公体質は、指導者ではなく、「指導される人々」を作り出してしまった。自分の上司がどんなにポンコツで腐っていても、「上司」だという理由だけで彼らは従順に従ってしまう。

 安倍晋三政権がこんなに長く続いているのは、ほかに対抗できるまともな政党がないからだ。国政でも、自治体レベルでも各党は立候補者を確保するのに苦労している。

 企業でも、なかなか次のリーダーが誕生しない。ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長やソフトバンクグループの孫正義会長兼社長、キヤノンの御手洗冨士夫会長CEOなどが長くトップに就いているのは偶然ではないだろう。

 こうした中、日本にも「忠実じゃない」人たちが出てきている。前文部科学事務次官の前川喜平、愛媛県知事の中村時広、日大アメフト部の宮川泰介のような人たちだ。

 日本では今、こうした一種の「反乱者」に対して、見えないが深くて強い共感が向けられている。凶悪な上司などの命令のせいで仕事上、そして私生活で宮川選手のような苦境を経験した多くの人が彼に共感しているのかもしれない。

 が、日本の若い世代はこうした権威に対してノーを突きつけ始めているように思える。厚生労働省の発表によると、新規大卒就職者の32.2%が3年以内離職している。もちろん、理由はいろいろあるだろうが、少なくとも若い世代は不満があったら我慢することはしない。

 確かに若い世代でも、表立って上司や会社に立ち向かえる人は少ないだろう。それでも、少しでも理不尽な状況に背を向ける人が増えれば、日本は少しずつ変わっていくかもしれない。


レジス・アルノー◎『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員 ジャーナリスト。フランスの日刊紙ル・フィガロ、週刊経済誌『シャランジュ』の東京特派員、日仏語ビジネス誌『フランス・ジャポン・エコー』の編集長を務めるほか、阿波おどりパリのプロデュースも手掛ける。小説『Tokyo c'est fini』(1996年)の著者。