ハリルホジッチ氏の突然の解任により、新たにサッカー日本代表の監督に就任した西野朗氏。選外もウワサされた本田圭佑や香川真司といった我の強い面々とこれからワールドカップに臨む。
「西野さんは、早稲田大学、卒業後は日本リーグで活躍。日本代表には学生時代から選ばれていました。
引退後は、柏レイソル、ガンバ大阪の監督を務め、また’96年のアトランタ五輪では日本代表の指揮をとり当時、世界最強と言われたブラジルを撃破するという、“マイアミの奇跡”を起こしました」(スポーツ紙記者)
と、彼の経歴の話はここまで。今回はサッカー専門誌やスポーツ紙が伝えない、なんだか妙にイケメンな西野監督の素顔をお届け!
ハンカチ王子なんて敵じゃない
「口数は多いほうではなく、淡々としゃべる監督なんですけど、チームの調子がいいときは、すごく言葉もなめらか。そして、どんどん横文字が増えてきて、ルー大柴さんじゃないですけど(笑)、横文字を連発してきますね」
そう話すのは、ガンバ大阪の番記者を長年務めたサッカーライターの下薗昌記さん。西野監督の性格は、基本的にクールでまじめだという。
「大阪へ来たときに、“大阪のノリを勉強しなきゃいけないから『吉本新喜劇』を見に行った”と言っていました。でも自分から笑いをとるというような人ではないですね」(下薗さん、以下同)
さまざまなサッカー関係者に西野監督の話を聞いて出てくるのは、“とにかくモテる”ということ。
「自分でも“よくモテた”というのは公言していましたね。
“ハンカチ王子”こと野球の斎藤佑樹選手が早稲田大学に入って騒がれていたころ、西野さんに彼の話をしたら、“俺のときはあんなもんじゃなかったぞ”って。笑いを取ろうとかそういうことではなく、真顔で言ってました(笑)」
これも驚くべき話ではあるが、西野監督が学生時代にとある試合でケガをした際、女性の観客が一気に帰ってしまったそうだ。
「客席に数千人がいたそうですが、3分の2くらいがいなくなったそうです。西野さん自身が“俺がケガでいなくなったと同時に帰っちゃったからねぇ”と言ってましたね。
しかも“当時、日経新聞で記事になったんだよ”と、そこまでチェックしていたようです。この話をふるとすごくゴキゲンになるんですよ(笑)」
8年前、ワールドカップで日本の指揮をとった岡田武史氏は、西野監督の早大時代の後輩になる。
「早稲田時代に女性ファンからバレンタインにチョコを大量にもらうので、それを岡田武史さんに分けてやったと彼自身から聞きましたね」
サインを頼まれる監督は珍しい
そのカッコよさは現役時代だけではない。柏レイソルで監督を務めていた'99年、対戦相手が鹿島アントラーズだったときのこと。鹿島の柳沢敦は当時、五輪代表の合宿から抜け出し、熱愛中だった梨花との密会が報じられていた。
「柏のサポーターが柳沢を揶揄(やゆ)して、ザ・ブルーハーツの『リンダリンダ』の替え歌で“りんかりんか〜”とヤジを飛ばしていたんです。すると西野監督は、そのサポーターのところまで行って彼らをたしなめたんです」(柏ファンの男性)
その類いまれなモテっぷり、カッコよさは、彼に指導された元選手も目撃している。
「監督でああいうカッコいい人って聞かないですからね。ファンにサインも頼まれていたし。選手はサインを求められるけど、あんまり監督がサインを求められるというのはないですから」
そう話すのは、西野監督とともにアトランタ五輪に臨み、マイアミの奇跡を起こした、元サッカー五輪代表の松原良香さん。松原さんのほか、前園真聖、中田英寿、故・松田直樹さんといった個性豊かな選手たちの目から見て、彼はどう映っていたのか。
「当時の代表メンバーは、もうバブリーで、みんな活きがよくてイケイケドンドンな感じでしたから、あのメンバーを取りまとめるといったら大変なこと。でも、 “こうしてほしい”ということはハッキリ言ってくれるし、手なづけるのがうまかった。
それはなぜかというと、やっぱり西野さんが言ったことをやると勝ったから。西野さんはスタッフの取りまとめ方も上手で、コーチの山本昌邦さんなど、スタッフみんな仲がよく、西野さんをサポートしてました」(松原さん、以下同)
当時の代表メンバーとスタッフは、西野監督を中心に今でも年に1回集まっているのだという。
「西野監督、コーチ、スタッフ、いろんな関係者のみんな、選手も含めて、家族まで集まる。僕ら選手は引退してから呼ばれるようになったんですけど、西野さんたちスタッフは五輪終わってからも毎年やっていたらしいんですよ。
僕は今、選手の幹事をやっています。まぁゾノ(前園)とかヒデ(中田)は1回も来たことないけど(笑)。そのほかはだいたい来てます。西野さんの息子さんも来てますよ」
アツい魂は健在
お酒を飲んでもクールだという西野監督だが、当然サッカーには熱い。
「アトランタのメンバーはあまり指導者になっていないんですが、西野さんがよく言うのが、“お前らみたいなのが現場にもっと出てこなきゃダメだ”と。僕には“お前なんて海外知ってるんだし、早く現場に出てこい。メディアの仕事なんていつだってできるだろ。ほかの仕事も年とってからだってできるだろ!”って(笑)」
松原さんは今年3月に大学院を卒業、その際、サッカーに関する研究論文を執筆したのだが、西野監督に取材させてもらったという。
「それが韓国に敗れた翌日だったんですよ(注・'17年12月16日の東アジア選手権。日本は1対4で大敗)。場所は都内のサッカー協会だったんですけど、話を聞いていると、後ろにハリル(ホジッチ)が来て。
西野さんも“この後、ミーティングやんなきゃいけねぇんだよ。昨日もボロ負けしたから”と。そんな忙しいときでも、教え子に時間を割いてくれる。“現場に出てこい”と気にかけてくれたり、すごく温かみのある人なんです」
天性のカッコよさで、日本を勝利に導いてくれることを期待したい!