《滞りなく無事に終わりました。まだまだ悲しみは癒えませんが麻央が残してくれた2人の子供と懸命に生きていきたい。そう思いました》
小林麻央さんが幼い子どもを残して旅立ったのは、昨年の6月22日。故人を偲ぶ神道行事の一年祭(仏教での一周忌にあたる)が今月10日に執り行われ、市川海老蔵がブログで亡き妻への思いを綴った。
「近親者のみで執り行ったようです。今年中に麻央さんのお別れの会を開きたいと海老蔵さんは話していましたが、まだ開催には至っていません」(スポーツ紙記者)
麻央さんが突然いなくなり、娘の麗禾ちゃんはふさぎ込んでいた時期があった。
「海老蔵さんと息子の勸玄くんは歌舞伎座での公演を控えており、麻央さんが亡くなった後もお稽古の日々。麗禾ちゃんは麻央さんのお母さんや、伯母の麻耶さんとお留守番をしていることが多かったのです。
元気そうに振る舞っていましたが、寂しさが募ったのでしょう。食事のときにお付きの人や海老蔵さんが声をかけても“いらない”と首を振るだけの時期もありました」(梨園関係者)
麗禾ちゃんは、幼いながらも女の子が歌舞伎役者になれないことを理解している。
「お父さんをひとり占めできる勸玄くんのことがうらやましかったようで“ひとりは寂しい”“(歌舞伎にお出かけしない)妹が欲しい”と漏らしていたそうですが、海老蔵さんには言わなかった。麗禾ちゃんなりの気遣いだったのでしょうね」(同・梨園関係者)
勸玄くんも、つらい気持ちは同じだった。
「開演直前まで“今日は出たくない”とグズることもありました。母の死という心の負担に加え、当時4歳の勸玄くんが毎日舞台に出るのは体力的にもしんどかったと思いますよ。大人でも大変な1か月にもわたる公演を乗り切ったのは、本当に偉いと思います」(前出・スポーツ紙記者)
公演が行われた7月には、麻央さんの誕生日があった。
「舞台に立つ子どもの姿を見せたいと願う海老蔵さんの思いがあり、子どもたちも“ママの誕生日プレゼントにしたい”という気持ちがあったでしょう。麗禾ちゃんも率先して勸玄くんのお世話をするようになりましたね。
“頑張ろうね”と声をかけてあげる表情は優しげで、ママの顔そっくり。準備ができた勸玄くんと手をつないで、舞台袖まで連れていき、声をかけていました」(前出・梨園関係者)
最近では、麗禾ちゃんに“ママ代わり”としての責任感が芽生えてきたという。
「自宅で勸玄くんが日本舞踊のお稽古をしているときに、“もう1回やる?”“やろーねぇ”“上手”などと、お姉ちゃんが率先して声をかけてあげているそうです。“早くお料理が作れるようにならなくっちゃ”とも話していました。お姉ちゃんとママの両方の役割を果たしているみたいですよ」(同・梨園関係者)
もうひとりの“ママ”
勸玄くんには、もうひとり頼りになる“ママ”がいる。それが海老蔵だ。
「麻央さんが亡くなられてから、子どもたちのために“お母さんの代わりがしたい”と話していました。言葉どおり、昼夜公演の合間に自宅に帰って子どもたちと夕ごはんを食べ、その後で夜公演に戻るなど、子育てに奮闘しています」(芸能レポーター)
麻央さんが務めていた“ママ”業を担わなければならないと一念発起したのだ。
「海老蔵さんは麗禾ちゃんの学校の授業参観にも行っていますよ。2人が大好きなディズニーランドに連れていってあげたり、時間があればお散歩に出かけたりもしていますね。自宅の大きなベランダでは“かんかんガーデン”と名づけた家庭菜園で、お花や野菜を一緒に育てています」(同・芸能レポーター)
麗禾ちゃんと海老蔵の2人がタッグを組んで“ママ”役を務めることも。
「勸玄くんがごはんの前にお菓子を食べたり食事中にデザートを食べたりすると、海老蔵さんや麗禾ちゃんが優しくたしなめているそうです」(芸能プロ関係者)
麻央さんがいちばん気にしていた、息子の成長。市川家の跡取りでもある勸玄くんのことは、歌舞伎役者の妻としても心残りだった。
「海老蔵さんは“麗禾と俺で、勸玄を一人前の歌舞伎役者に”という思いを強くしたようです。もちろん、麻央さんが強く願っていたことだからです。海老蔵さんも麗禾ちゃんも、パパやお姉さんとしてだけではなく“ママ”としての役割もできるように奮闘しています」(前出・梨園関係者)
海老蔵は以前のように夜遊びをすることはなくなり、すっかり生活が変わった。
「何度か海老蔵さんを張り込みましたが、まったく動きはありませんでした。舞台が終わると、まっすぐ家に帰るだけ。本当にマイホームパパになっていますよ」(写真誌カメラマン)
海老蔵の日程が立て込んだときには、頼もしい助っ人が応援に現れる。
「麻央さんのお母さんと麻耶さんが住み込み、子どもたちのお世話をしていた時期も。家事などは麻央さんのお母さん、舞台や歌舞伎関連のことは海老蔵さんの母の希実子さんや海老蔵さんの妹のぼたんさんと、役割分担をしています。
麻耶さんは現在、海老蔵さんの自宅から車で10分ほどの場所へと引っ越し、ときどきサポートをしているようです」(前出・梨園関係者)
ファミリーが一丸となってバックアップしたこともあり、海老蔵の歌舞伎界での存在感は盤石になった。
「彼が出演する公演のチケットは、ケタ違いに売れるんです。来月、歌舞伎座で行われる『七月大歌舞伎』では昼と夜の部で勸玄くんと共演するので人気はさらに過熱。すでに土日のチケットはほぼ完売し、いちばん高い桟敷席は全日売り切れという驚異的な売り上げです」(松竹関係者)
現在の歌舞伎を支えているのは、海老蔵と言っても過言ではない。この勢いのままに、歌舞伎人気をもっと盛り上げていこうというプランもある。
「来年には海老蔵さんが“團十郎”に、勸玄くんが“新之助”になるW襲名が計画されているそうです。毎年7月は海老蔵さんの座長公演が恒例になっていますので、そこからスタート。
新元号になって初の襲名披露興行になる予定です。男の子は6歳が“子が立つ”というので、縁起がいいと言われていますからね」(前出・梨園関係者)
麻央さんの死を乗り越えて、一家は前に進んでいる。今も心の支えとなっているのが、彼女の書いたブログだ。
「麻央さんが病気を告白してから綴ったブログ『KOKORO.』は反響が大きく、現在は英訳されて海外の方向けにも配信されています。'16年11月にはイギリスのBBCが選ぶ“世界で影響力を持ち、心を動かした女性100人”に日本人として初選出されました」(前出・スポーツ紙記者)
ママとしての麻央さんの思いはパパと麗禾ちゃんが受け継ぎ、海老蔵一家はW襲名に向けて力強く歩を進める。