「これで録音するの? キレイね。猫の声も録(と)れますか?」
インタビューの音声を記録するためにICレコーダーをテーブルに置いたとき、そう記者に声をかけてきたピアニストのフジコ・ヘミング。
60代で出演したドキュメンタリー番組が大反響を呼び、80代となった今でも年間約60公演のワールドツアーを行う。チケットは即完売し、新たなオファーが絶えないのだそう。日本にも癒しと感動をくれる彼女の演奏を待ちわびる多くのファンがいる。
「感動してくれているのかはわからないけれど、帰る人たちの顔がうれしそうだっていうことは、いろいろな人から聞いています。癒されたって言ってくれているのも。私のピアノはセンチメンタルで、中には“お涙ちょうだいだ”って言う人もいるけど、そんな気持ちで弾いているわけじゃなくて、自然とそうなっちゃうの」
フジコの紡ぎ出す音が、なぜこれほどまでに人々の心を動かすのか、その理由がわかる初のドキュメンタリー映画『フジコ・ヘミングの時間』が公開されている。
「自分から映画にしたいとは言ってないんです。でも、撮ってくれたらありがたいなと思って。ちょっと恥ずかしいですけど、共感してくださる人がいっぱいいると思う」
そう語るように、映画にはフジコ・ヘミングという人のありのままの姿がおさめられている。
30代のころ、成功を約束されたリサイタルを前に風邪をこじらせて聴力を失う(その後、治療によって左耳は40パーセントほど回復)という絶望に陥っても、「やめたいと思ったことはない」と語る、ピアノ。喜びも悲しみも苦しみも、ともにしてきたピアノと生きる彼女の半生を、海外公演先やパリ、東京、ベルリン、京都にある自宅を訪ねながらひもといていく。
「15年くらい前に下北沢をひとりで歩いていたら、向こうから女の子が来て“フジコさんですか? 私、あなたのピアノに関してはよくわからないんですけど、絵が本当に好きです”って言われて。すごく、うれしかった(笑)。音楽と絵はつながっていますから。だから、絵のセンスがない人はピアノを弾いても面白くないんじゃないかしら(笑)」
フジコが愛する絵、家、猫、そして……
かつては憧れで、今では1年の半分を過ごすパリの自宅は、画家で建築家だった父の才能を受け継いだ自身の絵を飾りたくて購入したそう。
「描いた絵がいっぱいあるの。絵を見ないで生きるのはつまらないから、全部かけることにして。この絵をあっちに移して、あの絵はここに飾って、ああでもない、こうでもないって。今の形に落ち着くまでに10年くらいかかりましたよ」
1889年に建設されたアパルトマンで、歴史的建造物でもあるパリの自宅や、母との思い出が残る東京、緑に囲まれたサンタモニカ、コンパクトながらも居心地のいいベルリン、宮大工がリフォームした京都。「フジコ・ヘミングという名前よりも、家を残したい」と語る彼女の自宅は、ピアノの音色のようにどこも美しく、温かさを感じる。もしかしたら、彼女が愛する猫や犬たちが暮らしているためかもしれない。パリでは2匹の猫と1匹の犬と暮らし、東京には25匹の猫がいる。彼女にとって猫は、苦しい時期を支えてくれた大切なパートナー。どれだけ大切な存在なのかは「いつも恋している」と微笑(ほほえ)む彼女に、最近、惹かれた男性の話を聞いたときにわかった。
「彼も猫が好きで、猫を飼っているの。人間よりも猫が好きって言うところがいいなと思って。たまにね、憎たらしい口調でバッバ言う人なのよ。私は、絶対に人を傷つけることは言わない。どんなに怒っても辛抱するけど、彼は違う。たまによくわからない行動をすることもあって、なんだかさっぱりわからないけど、楽しいの。ふふふふ」
少女のような笑顔を浮かべる。その無垢(むく)な表情は、演奏を終え、観客からの大きな拍手に包まれているときと同じようでもある。
「せっかくお金を払って来てくださったんだから、素敵な時間にならないと困る。いつもは1日4時間練習するんですけど、演奏会の翌日はペッチャンコに疲れているから、そんなにできなくなりますね。
私ね、毎日のようにマリア・カラスが歌うベッリーニの『清らかな女神よ』のようなイタリアや日本の歌曲を2〜3曲聴くの。日本の演歌も聴きますよ。そうすると力が湧いてくる。生きている喜びと勇気が出てくるの」
そう語るフジコが奏でる音もまた、誰かの生きる力になり、喜びを、勇気をもたらしてくれている――。
(取材場所提供/ベーゼンドルファー・ジャパン)
■『フジコ・ヘミングの時間』
シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー
出演:フジコ・ヘミングほか 監督:小松莊一良 配給:日活
公式サイト fuzjko-movie.com