帰国した長友は、越智さんが園長を務める幼稚園にも顔を出してくれるという

「このワールドカップでおっさんたちが結果を出したいという気持ちが強くあった」

 決勝トーナメント進出を大きく引き寄せたセネガル戦を終えた後、長友佑都はそう語った。いまや登録選手の平均年齢が過去最高となる28・26歳の西野ジャパンの精神的支柱である彼だが、荒んだ毎日を送った過去があった。

「小学校のときに愛媛のジュニアユースに落選した長友選手は、地元の西条市立北中学校に進学しました。当時、同校のサッカー部は荒れに荒れていて、長友選手も影響を受けてしまったそうです」(スポーツ紙記者)

 北中学校のサッカー部顧問だった井上博さんは、そのときのことを振り返る。

「佑都は入部当初、サボってばかりでしたよ。部活に行って佑都がいないと、だいたいゲームセンターにいるから、いつも連れ戻しに行って。部活が終わってからも、自宅に行って、夜遊びしていないかをチェックしていました」

 長友が9歳のときに両親は離婚。母子家庭であることを知った井上さんは、懸命に彼と向き合った。

お母さんが忙しかったから“自分が面倒見たる!”という気持ちでした。ケンカになることもよくありました。今はやらないけど、約束を守らなかったときは頬をひっぱたいたりしたことも。

 “母子家庭だったり、愛媛のジュニアユースに落ちたりと大変なこともあるけど、ここからが勝負なんや。過去は変えられないけど、未来は変えられる!”。彼にそう言い続けましたね」(井上さん)

母が駆け込んだお寺

 井上さんの言葉が長友を変えた。徐々にエースとしての自覚が芽生え、中学3年生になるとチームをU─15全日本ユース選手権の県3位にまで牽引した。

 高校は名門の東福岡高校に進学。親元を離れた長友だったが、母のりえさんがそんな息子の力になるべく藁にもすがる思いで駆け込んだのが、“ご祈祷で願いが叶う”と評判だった愛媛県今治市にある『えんぎ観音乗禅寺』。住職の越智瑞啓さんは言う。

24歳からは毎年のように愛媛県今治市にある『えんぎ観音乗禅寺』を訪れる長友

「佑都くんがレギュラーからはずされた日があって、それを悩んでいたお母さんから拝んでほしいというお話がありました。それでご祈祷したところ、翌日にレギュラー復帰が叶ったんです」

 それ以来、りえさんは乗禅寺にしばしば祈祷しに行くようになったという。

「彼がFC東京に在籍していたころだったと思います。24歳、男の厄年だったので、彼が初めてうちの寺に祈りに来てくれました。するとその1週間後に、イタリアのクラブ・ACチェゼーナへの移籍が決まったんです」

 寺を訪れるたびに、物事はいい方向に向かっていった。

「サッカーではなく、恋愛の相談に来たこともありましたよ。今の奥さん(平愛梨)もまだ結婚前なのに連れてきてくれて。でも、写真は絶対ダメって言われました。間違って世の中に流れたら大変だからって(笑)」

 フィールド外でのそつないプレーはさすが!