不妊治療を乗り越え、45歳で初産を経験した女子プロレスラーのジャガー横田さん(56)に、不妊治療を始めてから現在までの悲喜こもごもを伺った。
1回目の体外受精で失敗するも──
ジャガー横田さんは2006年、45歳で長男の大維志(たいし)くんを出産した。いまや小学6年に成長したわが子を、「反抗期で、もう私の言うことを全然聞きません。最近は色気づいちゃって、眼鏡をコンタクトにかえたいなんて言い始めた」と苦笑いする。
42歳で6歳年下の医師、木下博勝さんと結婚したジャガーさんは、1年あまりたっても子どもができなかった。
病院へ行くと、不妊の一因とみられる大きな子宮筋腫が発覚。年齢的にも子どもを授かる確率は2〜3%ほどなので、わざわざ手術しなくても……と言われたが、わずかな希望でも「出産の可能性はゼロではない」と筋腫を切除し、体外受精に臨んだ。
1回目で願いが叶わず落ち込むが、次に向け身体を休めている間に、自分たちで排卵のタイミングに合わせたところ、妊娠した。
「まさかの自然妊娠! 奇跡だと思いました。検査薬を目をこすって見直して、主人は万歳してました」
妊娠の結果に喜んだ夫は、不妊治療にもとても協力的だったという。
「主人が医師ということもあって知識も多少あり、心強かった。1度目の体外受精がダメだったとき、私が“ごめんね”と言うと、“なんで謝るの。夫婦の問題なんだから2人で乗り越えていこう”と言ってくれて感動しました。実際、彼の頭のなかではちょっと無理かなと思っていたらしいんですが、私には後ろ向きなことはいっさい言わなかった」
そんなサポートを受けながら、妊娠中はストレスを感じないよう、自然体に過ごすことを心がけた。食べたいものを食べ、したいことをした。なんとプロレスの試合に出場したことも!
「妊娠発覚直後のタイミングです、試合に出るなんてバカですよね(笑)。でも、体外受精のときはすべて休んだのに結局、着床しなかった。休むと逆にストレスだし、調子が悪くなるような気がしたんです。
プロレスは“親の死に目にも会えない”といわれるくらい厳しい世界。危ないときでしたが、“これを終わらせてから産休を取りたい!”って決めたんです」
こうして、ハワイの病院で出産に臨み、36時間もかかって、ようやく大維志くんと初対面した。
「でもね、私より先に主人が抱きしめて“生まれてきてくれてありがとう”って泣いたんですよ。苦労してやっと産み落としたのに、横からさらわれた感じ。“それ、私の役だから!”と、ちょっとシラーッとなりました(笑)。
向こうではお産を病気扱いしないので、産んだ当日にすぐ退院しました。体力的にキツいとは感じませんでしたね。姉が付き添ってくれて助かりました」
ママ友はみなひと回り年下だけど
育児もジャガー流。“開閉が面倒だから”とバギーを使わず、わが子を抱きかかえてどこにでも行った。
「“世の中のお母さんが耐えられたことが自分にできないわけはない”と思っていました。いま振り返ると、初めてのことばかりだから、自分に落ち着くよう言い聞かせていたのかもしれません」
大維志くんが3歳のころ、きょうだいのいる友達をうらやんで、「ボクも弟ちゃんが欲しい!」と言い始めた。まだ生理が続いていたジャガーさんは、万にひとつでも可能性があるなら、と48歳で再び不妊治療を開始した。
「弟ちゃん、つくってあげたかったですけどね~。大維志を病院に一緒に連れて行ったり、卵子の写真も見せたりしました。でも、体外受精をしても分割が止まってしまい、お腹に戻せなかったんです。3年間トライして、結局はあきらめました」
高齢出産の影響は子育てにもおよぶ。大維志くんの同級生のママ友たちは、みんなひと回り年下だ。
「いつも自分からみんなの輪に入っていくようにしていて、いいママ友に恵まれて幸せです。だいぶん年上だから気も遣ってもらっていると思いますが(笑)。近づきすぎず離れすぎず、ほどよい感じでママ友会にも参加しています」
56歳となるいまも現役でプロレスを続け、心身の維持に努めている。
「子どもが20歳になるとき自分は65歳。先は長いと思っていたけれど、もう半分以上過ぎました。取り越し苦労をせず、“なるようになる”と思えればラクですよ。いろいろな経験をしたうえで出産、子育てしているので、何があっても焦らない。
大維志の成長が楽しみだし、自分もまだまだ一緒に成長していきたいですね。できたら、彼の夢だという医者になってくれるといいな」
〈PROFILE〉
ジャガー横田さん◎中学卒業後、全日本女子プロレス入団。WWWA世界シングル王座をはじめ数々のタイトルを獲得。'04年に医師・木下博勝氏と結婚、'06年出産。現在も現役最古参女子プロレスラーとして活動。各メディアに登場多数