約3年ぶりの取材となった週刊女性に、
「お久しぶりです」
と、日本語で挨拶してくれたイ・ビョンホン(47)。彼といえば、“キラースマイル”。そのパワーは、’04年に火がついた韓流ブームを牽引する“韓流四天王”のひとりとして紹介されたころから変わらない。’06年には、俳優として世界初となる東京ドーム公演を開催。人気だけでなく、キャリアもステップアップを続け、いまやハリウッドに進出。演技派といわれるだけでなく、スター性も備える稀有な存在として地位を築いている。
一方で“光をくれる存在”という日本のファンもとても大切にする。国内外から数多くのオファーが届く多忙なスケジュールと相談しながら、触れ合う機会を作る。
「歌手やコメディアンの方は、公演などでファンのみなさんと直接会う機会が多くありますよね。僕だけでなく、俳優には、あまりそういう機会がないんです。だからこそ、どうやったらみなさんと意思疎通ができて、その場を本当に楽しめるだろうかと悩みます」
ドラマや映画で親しんでいる彼からは想像できない、歌やダンスとさまざまな姿を見せてくれるのも、実は日本でだけ。ファンミ会場でしか見ることができない、七三分けにメガネ、髭をたくわえた間抜けな「李教授」や、ピコ太郎に負けないインパクトのある全身ヒョウ柄衣装の「HANAKO」、カリブの海賊や寅さんなどの扮装は、本人もアイデアを出しているそう。
「たぶん、自分の中に別の人格があるんだと思います(笑)。北野武さんを例にあげるとわかりやすいと思うんですが、映画監督や俳優として活躍されている北野武さんがいつもの僕の姿で、ビートたけしさんとしてバラエティーに出ている顔が日本でしかお見せしていない部分。以前、日本で披露した扮装姿を初めて見た韓国のスタッフが、あまりの衝撃で茫然としてしまって。“これは、本当にイ・ビョンホンさんですか?”と聞かれたことがありました(笑)」
それほどに力を注ぐ理由を、「ファンは思い出を共有する親友であり、仲間だから」と言う。
「これまでの中でいちばん心が痛んだ記憶は、東日本大震災が起こった年に開催したイベントでのことです。いつも、お友達同士のグループで来てくださる方々がいたんです。本当に残念なことに、そのグループの中に津波でお亡くなりになってしまった方がいらして……。その方もきっと、この会場に来たかっただろうとお友達が席を用意されていたんです。ステージから、いつもは笑顔を向けてくださるその席が空いているのを見たとき、言葉にできないくらい心が痛みました。表現できない感情がこみ上げてきましたね」
当時を思い起こすように語る。
「ほかにも、体調を崩されて、どうしても会場には行けないという方から“同じ日本の空の下にいるというだけで胸が高鳴ります”というお手紙をいただいたこともありました。いつも、事情があって会場にいらっしゃることができない方々にも何かできないかと考えています。そして、その方々のことも思いながらステージに立っています」
届いたファンレターは、時間を見つけては読んでいるそう。それは、9年ぶりの出演となるドラマ『ミスター・サンシャイン』の撮影真っただ中の今も、もしかしたら……。
「10日間、地方で撮影をして今日1日オフだったんです。そして、ここにいます(笑)。実は、ドラマ『オールイン 運命の愛』から『IRIS-アイリス』も7年くらい間があったんです。今回も同じように映画の作業をはさんで9年ぶりになりますね」
1800年代後半から1900年代前半の韓国(朝鮮)を舞台に、アメリカに渡った少年が米国海兵隊の軍人となって祖国へ戻り、出会う人々との物語を描く。
「今回は、事前制作なので、少しは体力的に余裕があるかなと思っていたんですが、ハードな撮影が続いています(笑)」
撮影を乗り切るため、特別にしていることがあるかを聞くと、
「何もないんです。だから問題なのかな(笑)」
場を和ませてくれる。変わらないシャープなフェイスラインを維持する秘訣は? と続けて尋ねると、
「ありがとうございます。ガムをよくかむことかな(笑)。冗談ですよ」
いつも目の前にいる私たちを笑顔にしてくれる彼に聞いた、エンターテイナーとは?
「簡単に言えば楽しさだと思います。その楽しさにもいろいろな種類があって、悲しい話を演じても、それが見る人にとってカタルシスを感じれば、楽しさになる。ストレスを発散できるくらい爆笑するのもそう。いろいろな感情や感動を伝える、メッセンジャーがエンターテイナーだと思います」
少しテレた顔でそう語ると、ファンイベント用の映像を撮影するためにスタジオへと消えていった。友達のように、仲間のように、みんなと共有する思い出を作るために。
ビョンホンからのメッセージ
違う空の下にいたとしても、僕はそばにいます。みなさんが変わらず待っていてくださることで、いつも支えてもらっています。だから、僕も、みなさんを支える存在でいたいんです。大変なとき、つらいとき、思い出してください、そばにいる僕のことを。このことだけは、忘れないでください。
2006年『LBH in TOKYO DOME』
高さ10メートルの足場からイ・ビョンホンがダイブするオープニングに驚かされた東京ドーム公演(実際は、スタントマンがダイブ)。
「4万2000人がステージに立つ僕を見ている、あの光景は死ぬまで忘れられません。まるで絵を見ているような感じでしたね。あと、みなさんの“気”に押される経験をしたのも初めてでした。実は、終演後に控え室で泣いてしまったんです。誰もいないからと思っていたら、背後から動画のカメラを向けられていて(笑)」
2007年『HAPPY BIRTHDAYTO LBH』
ビョンホンの誕生日を武道館でお祝いした1日だけのイベント。
「映画『グッド・バッド・ウィアード』の撮影をしていたときですね。記者会見でプレゼントしていただいたワイン。ワインは、いまでも好きでよく飲んでいますよ。銘柄ごとにさまざまな歴史を感じさせてくれるところに惹かれるんです。最近は、日本酒も物語を感じられていいなと思っています」
2007年『LBH ARENA TOUR 2007』
オープニングのダンスパフォーマンスにピアノ演奏、このアリーナツアーのために作られた日本語オリジナル曲で秋元康が作詞した『いつか』(翌年にシングルとしてリリースされ、日本ゴールドディスク大賞の『ザ・ベスト・エイジアン・アーティスト』を受賞)の熱唱など、サプライズでいっぱいの公演。
「絶対にダンスをしない主義だったんです。でも、東京ドーム公演に続きプロデュースしてくださった秋元康さんにリクエストされて挑戦しました。これだけ頑張ったのだから秋元さんにもと思い、周囲から絶対に無理だと言われていた彼をステージに上げて一緒に踊ることも実現させました(笑)」
2009年『LBH OFFICIAL FANCLUB EVENT 2009』
ビョンホンのピアノ伴奏で『いつか』を会場のファンと合唱する感動的なフィナーレで締めくくられたファンミ。
「幼いころにピアノを弾いていたんです。それで、軽い気持ちで提案したら、ものすごく苦労しました(笑)。実際にピアノの前に座るとまったく弾けなくて、初心者同様に自宅で猛練習しました。すごく緊張したステージでしたが、気分は最高でしたね」
2011年『LBH ON STAGE 2011』
4年ぶりとなったツアーはクリスマス時期に開催。ラストでビョンホンが歌った『上を向いて歩こう』に会場が涙した。
「僕も泣きました。人前で初めて。21年の俳優人生の中で、1度もなかったことです。気持ちをコントロールできず、こらえきれなかった」
この年の3月、東日本大震災が発生。彼のファンの中にも被害にあった方々がいたのだそう――。
2014年『LBH ON TOUR 2014』
“少しでも身近に感じられるような空間で、心が触れ合うような温かい時間にしたい”という本人の希望で実現したイベント。客席から登場したり、ファンへ質問したりと会場からは喜びの悲鳴が!
「ファンミが終わったあとは、特に手紙が殺到します。そこに、こんなことが楽しかった、うれしかったという感想が綴られていて。参考になっています」
2016年『LBH ON TOUR 2016~10th Anniversary Journey~』
“LBH001便にご搭乗いただき、ありがとうございます。機長のイ・ビョンホンです”というアナウンスからスタートしたファンミ。
クイズ形式の入国審査を通過したファンは、イベント終了後に出国審査へ。そこには、ビョンホンが! 2時間以上をかけて、ひとりひとりと握手。
「みなさんが家に帰ってから、数か月たってもしみじみと思い出すのが直接触れ合ったことのようなんです。僕自身もそう感じました」
2017年『LBH ON TOUR 2017』
“’16年に14の賞に輝いたよろこびを、ファンのみなさんに感謝の賞を贈ることで分かち合いたい”というテーマから進められた企画。オープニングから、「プレッシャーだった」と語る星野源の『恋』のパフォーマンスで会場を沸かせた。さらに、スペシャルゲストとして中村獅童が登場!
「獅童さんとは、その後も連絡をとり合っています。体調を崩されたと聞いたときも心配でメールしました。そうしたら、“元気です。頑張ります”と連絡をいただいて。うれしかったです」
<公演情報>
『LBH ON TOUR 2018』
■8月13日(月)、14日(火)
大阪・フェスティバルホール
■8月16日(木)、17日(金)
東京・中野サンプラザ
詳細は公式サイト http://www.byung-hun.com/