夏仕様に毛をカットしたばかりの小春。「今も容子のことを探し回っています」(宮本さん)

「1月19日に容子が他界したとき、“これでもう終わりなのか”“まだ容子に消えてほしくない”という思いがありました。それで彼女が最後に残した詩があったので、朝日新聞に投稿してみたんです。まさか採用されるとは思ってもいなかったんですけどね」

 そう語るのは、宮本英司さん。45年連れ添った妻の容子さんが生前、神様に叶えてほしい願いを綴った『七日間』という詩は、3月9日の朝日新聞の投稿欄に掲載されると、瞬く間にSNS上で広がり、19万人以上の「いいね」でシェアされた。たった数十行の文章が、なぜここまで人の心に響いたのかーー。

突然の「余命2年」宣告

 この詩が生まれる道のりは、'15年の夏、容子さんががん宣告を受けるところから始まる。

「容子がお腹の不調を訴えたのは、'15年の春。最初は感染性の腸炎との診断でしたが、夏に腸閉塞を起こしかけて開腹手術を受けました。すると末期の小腸がんであることが判明し、医師からは余命平均2年と宣告されました

 あまりにも事務的な余命宣告に不信感を抱き、容子さんは別の病院でセカンドオピニオンを受けることに。

「そちらの医師は、“私は、頑張っている患者さんに向かって『あと〇年の余命』なんて言えません”と言ってくれました。その言葉にどれだけ励まされたことか。容子もお世話になることを決めて、抗がん剤治療が始まりました」

容子さんの仏壇の周りには、彼女が趣味で作ったパッチワークやちりめん細工などが飾られている

 そのときの宮本さんは希望を持っていたが、容子さんの気持ちは少し違っていた。

「彼女は自分の死期が近いことに気づいていたんだと思います。それで、これまでの夫婦のことを書き残しておこうという気持ちになったのかな」

 容子さんは、『二人の物語』という52年にわたる夫婦の歴史を書き始めることになる。

「涙が止まらない」など、朝日新聞には感動の声が絶えなかった

「がん宣告を受けてから、約半年後の'16年2月。容子は“私たちがたどってきた物語を書くから、あなたも書いてね”と言ってきました。最初に彼女が書き、それに対する返信という形で私が書き加える。まぁ、交換日記のようなものです(笑)」

《あなたと初めて出会った日のことを覚えていますか》(容子さん)

《もちろん鮮明に覚えています。キミは緑色のコートを着て、山田直子さんと歩いていました》(宮本さん)

 詩『七日間』の最後の願い“ふたりの長いお話しましょう”は、この『二人の物語』のことを示している。18歳の出会いから、大学生活、結婚、子育て、マイホーム取得……。ふたりだけの思い出を深く語り合う場となった。

「最初は照れくさかったのですが、容子の文章を読んでいるうちに、私も忘れていた記憶が蘇ってきました。でも書籍にまとめるということがなければ、決して読み返さなかったと思います」と、宮本さんは声を詰まらせた。

『二人の物語』で終わりではなかった

 '17年11月、それまで自宅療養していた容子さんだったが、毎日続く嘔吐から身体が衰弱して入院することに。

「突然の入院となりましたが、すぐ帰るつもりでした。だから身の回りのことを何も片づけていなかった」

容子さんの日記には、“延命治療は絶対にしないで”“葬儀は家族だけで”など自分の死を覚悟したメッセージが並ぶ

 だが、宮本さんの意に反して、永遠の別れは突然訪れてしまう。'18年1月19日午前5時、宮本さんに手を握られながら、容子さんは帰らぬ人となった。彼女の死後、遺品整理をしていると“あるもの”の存在を知ることになる。

「容子がノートや手帳につけていた日記がたくさん出てきたんです。彼女は書くことが好きなのは知っていましたが、読まれるのはイヤな性格なので見せてくれなかった」

 そこには、『二人の物語』では語られることのなかった彼女の本音が書かれていた。

'15年12月、恩賜箱根公園を訪れた英司さん、容子さんと愛犬の小春

「'16年は、容子の体調が安定していたので、ふたりで北海道に行きました。素晴らしい思い出がたくさん詰まった旅となりました」

 そのころの彼女の日記には、こう記してあった。

《数日前から抗癌剤の副作用で足の裏や手のひらが痛み、行けるか不安でしたが、なんとか行けて本当によかったです。ギリギリセーフの旅でしたが、札幌で拓(長男)と会えたことも大きな喜びでした。私にとって、拓と圭司(次男)は宝物です》

“あのとき、そんなことを考えていたのか”と、彼女の思いを初めて知り、宮本さんは涙が止まらなかったという。

“生きたい。もっとあなたと過ごしたい”

 北海道旅行の3か月後の日記には、こう記されていた。

《私は、残念だけれど、小春(愛犬)とあなたを置いていくけれど、しっかり生きてくださいね。天国で待っていますからね。ゆっくり来てください》

「私としては容子の病状は非常にいい経過で来ていると思っていた時期でしたが、その間も彼女は死を意識していたことがこの日記を読んでわかりました。私はのほほんとしていたというか、もっと容子を思いやれたかもしれないと後悔しました」

 日記には、“生きたい。もっとあなたと過ごしたい”“家族に申し訳ない”という言葉がたくさん記されていた。

「彼女はこんなにも死と向き合って生きていたんだ……。心の中の葛藤が見えてくるようでした」

『妻が願った最期の「七日間」』宮本英司著(サンマーク出版)※記事の中の書影をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします

 誰にでも必ず訪れるパートナーとの永遠の別れは、突然やってくるーー。

「容子を失ってみて、初めて実感したんです。こんなに喪失感があるというか、心にぽっかり穴があくというか……。これほどまでに大きいとは思ってもみなかった。

 あのとき、“こうしておけばよかった”“ああしておけばよかった”という思いがいっぱいあるんです。だから、みなさんにはできるだけお互いに思い残すことがないように生きてほしいなと思います

“料理をたくさん作りたい”“趣味の手芸を楽しみたい”“愛犬を連れてドライブに行く”“孫の誕生日会を開く”……。詩『七日間』で容子さんが願ったことには、特別なことはひとつもないからこそ多くの人の共感を呼んだ。夫婦で過ごす何気ない日常、それこそがかけがえのない時間なのかもしれない。