吉永小百合

「ある日、渡さんがいらっしゃらなかったので、みんなで探したら、自分の部屋の押し入れで寝てらしたんです。心から主人公の幸雄を演じてくださっていたので、疲れていらしたんでしょうね」

 7月14日、東京・武蔵大学で行われた『被爆者の声をうけつぐ映画祭』のトークイベントに吉永小百合が出席した。被爆した広島を舞台にした日活映画『愛と死の記録』('66年公開)でヒロインを演じた彼女が口にしたのは、共演した渡哲也との思い出だった。

母親経験がなく悩んでいた

チラシとFacebookの告知のみで、700人以上が詰めかけた

「これまで9本の映画で共演しているふたりですが『愛と死の記録』は初めての共演作品でした。この作品でカットされた原爆ドームでのラブシーンを演じたふたりは私生活でも恋に落ち、結婚直前までいったという伝説の映画です」(映画ライター)

 同作品が撮影された当時はまだ“原爆スラム”があり、入院患者と病院で撮影をする機会があったという。

 被爆者の女性が出演していたと明かした吉永は、「渡さんが“おばあちゃん、元気でな”と呼びかけると“あいよ”と答えてくださって。それがとても素敵でした」と愛おしそうに語っていた。

 この日の様子は新聞やネットニュースでも報じられているが、メディアがカットしたところがあった。彼女がもうひとりの“愛する男性”についてのエピソードを語った部分だ。

「吉永さんは、'15年に公開された映画『母と暮せば』で母子を演じた二宮和也さんについて熱く語っていたんです。主催者側からは特に制限はかかっていなかったんですが、メディアがジャニーズ事務所に忖度したんでしょうね」(スポーツ紙記者)

 現在まで120本の映画に出演している吉永は『愛と死の記録』のほか、これまで原爆に関する作品に3本出演しているが『母と暮せば』もそのひとつ。吉永と二宮はこの映画で初共演を果たした。

吉永さんは、母親の経験がないため役作りに悩んでいました。そんな彼女に、二宮さんは赤ちゃんのころから小学校に入学した後くらいまでの写真を何枚か見せてあげたんだそうです。そのかいあってか、吉永さんは母親が抱く息子への恋人のような感覚を理解できたそうです」(芸能プロ関係者)

井上ひさしが晩年に構想、山田洋次がその遺志を受け継ぎ脚本を書いた

 二宮は本作で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。吉永も同賞優秀主演女優賞に輝いた。

 普段は穏やかな口調の吉永だが、『母と暮せば』について尋ねられると声が弾む。

「二宮さんが原爆で亡くなった、そして亡霊として母さんのもとに現れる青年の役を演じて。ふたりのシーンがずっとありました。でも二宮さんは本当に“天才”なんですね。ですからね、男性なんですけどフェアリーのように役を楽しそうに演じてらして。私もつられて3か月の間、本当にいい現場でいい映画作りに参加できたと思っています」

 こんなにいいエピソードをカットだなんて、なんだかもったいない。