偏差値35から一念発起し一流大学へ入学。大学在学中に公認会計士試験に合格し、日本最大の監査法人に就職するもあっさり退職。ネットビジネスとコンサルティングの会社をひとりで立ち上げ、わずか5年で年商10億までに成長させた若きカリスマ・金川顕教さん。今回は金川さんのこれまでの生き方を振り返りながら、重要な考え方を教えてもらいました。誰でもいまからでも「本当の幸せ」をつかめる成功法則を学びましょうーー。
偏差値35のヤンキー校で初の立命館大学合格
僕は、子どものころから物事に「こだわらない」「執着しない」ほうでした。
たとえば、新しいゲームソフトを買ったら、それまで遊んでいたゲームは中古買取店に売っちゃうようなタイプ。一回手に入れたモノを手放すのは僕にとっては何でもないことなんです。だって、「手に入れる」ことで目的はすでに達成しているわけですから。僕にとってはひとつひとつの目標達成のほうが大切です。だから現状維持に固執しない。こだわらないのです。
僕が通っていた高校は、偏差値が35の地元のヤンキーが集まるような高校で。卒業したらほとんど就職か専門学校、せいぜい短大への進学で4年制大学へ行く人は毎年数えるくらい。「浪人して志望校に入る」なんて生徒はまずいなかったですね。実際、同学年400人の中で浪人してまで大学受験したのは僕ひとりでした。
でも僕にはこのまま周りと同じように就職したり専門学校行っても、明るい未来がどうしても見えなかったのです。「それならそこへ自ら進む必要なんてないよな」って考えました。
周りからは「受かるわけない」「浪人なんて無駄だよ」と言われたりはしましたけど、でもそういう声は気にならなかったですね。
「一流大学なんて受かるわけはない」というフィルターがかかっているだけだと思っていました。そんなつまらない変なこだわりはさっさと捨てて、毎日朝6時から深夜3時までひたすらに机に向かいました。
中学、高校とまったく勉強せずにスポーツと音楽に明け暮れていたので、大学合格まで2年かかってしまいましたが(苦笑い)、立命館大学に合格できました。過去25年間で僕の高校から一般入試で立命館大学に受かったのは僕だけ。だから先生や同級生からは「1万人にひとりの天才だ!」って言われて、ちょっとだけ調子に乗りましたね。
大学、就職、起業
ところが、ちょっといい気になって大学に入ってみたら、同学年の“天才”が1万人もいて(笑い)。その1万人のほとんどが現役かせいぜい1浪で入学しています。僕は2浪しているから周りより2年遅れているわけです。
入学時点で「こんなにひとりだけ遅れていて、まともに就職活動しても勝てないんじゃないか……?」と思いました。
そもそも就職だって、一流と呼ばれる大学に入って4年間いろいろ頑張ったからといってかならず一流企業に入れるわけではありません。それなのに大学名にこだわってネームバリューにぶら下がっていたって仕方ないな……って。
どの道、4年間を自分の未来のために使うわけですから、4年やった結果いろいろな理由によって自分の進む道が決められてしまうよりも、シンプルに自分の力で勝負してダメならダメ、行けるなら行けるっていうか、わかりやすい勝負をしたいなと思いました。
公認会計士になろうと決めた理由
公認会計士試験に合格して監査法人に就職すれば新卒で600万円という高給も、もちろん魅力でした。大卒30代の平均年収は400万円台ですから、600万からのスタートできれば、浪人時代の予備校代や大学の学費、親からの仕送りといった“投資”の回収も早くできます。それで公認会計士試験を受けようと決めたんです。
大学の入学前には予備校の手続きを終えて勉強を始めていました。大学生活のほぼすべてを試験勉強にあてて、サークル活動どころか合コンも行かなかったですね。
講義中もゼミ中も、ほぼ試験勉強をしていましたから、周りからは「金川は何のために大学来たんだろう」という目で見られていたんじゃないかな。そうやって必死に勉強した甲斐あって、大学在学中に公認会計士試験に合格。卒業後は日本最大の監査法人、有限責任監査法人トーマツに入社しました。
ですが、そのトーマツを3年で退職して、コンサルタントとして起業独立しました。同僚や上司、親からは「なんで辞めるの?」「せっかく頑張ってきたのにもったいない」と言われましたが、僕はその生活が「惜しい」とはまったく思いませんでした。公認会計士試験に合格したことも、僕にとってはもう過去のことでしたから。
高い給料をもらっても、やりたくない仕事は幸せか
たしかに社会的信用が高い肩書きがあってたくさんお金も貰える仕事でしたが、そこだけにとらわれて自分の生き方まで「こうじゃなきゃいけない」とがんじがらめに縛ってしまったのでは、「人生を幸せに生きる」という意味では本末転倒です。
高い給料を貰ってやりたくない仕事を毎日させられている人より、お金はないけれど自分の好きな歌を路上ライブで披露している人のほうがずっと幸せでしょう。
「自分が本当にやりたいこと」「新しいこと」に好奇心を失ってしまうことのほうが「怖い」と思ったんです。
大学のネームバリューだけにこだわって自分の人生をそれだけに託してしまったり、肩書きだけにこだわり続けてそれで可能性にちっとも目を向けないのはもったいない。もっと大きな幸せや自由な生活が待っているかもしれないのに。
それで失敗してもいいのです。失敗したってゼロに戻るだけですから、マイナスではない。僕自身、大学受験も公認会計士試験も1発で合格したわけではありませんし。起業したときも、「でもまぁダメだったら地元に帰ってもう一度起業の勉強し直せばいいかな」と思っていました。
大切なのは期待した結果が出なくても予期せぬことが起きても、そこだけにとらわれないこと。「そういうこともあるか」と考えられるかどうか。
そのためには良い結果、だけじゃなくて「最低最悪の結末」もイメージしておくことです。期待した結果にこだわって大失敗してしまう人というのは、成功のイメージばかりで失敗のイメージを持てないことが多いものです。
最悪の結末も想像して「ま、いいか」と思えたらチャレンジするべきですし、万が一それで失敗しても、立ち直れます。
理不尽な人たちとどう向き合うべきか
これは他人に対しても同じです。自分と考えや意見が合わない人に対して「そういう人もいるんだな……」と考えます。世の中には色んな価値観を持っている人がいるし、信じられないことをする人がいるし、理不尽なことを平気で言える人も現実としてゴロゴロいるわけです(笑い)。だからこそ「そういう人もいるよね」「まぁとんでもないことも起きるよね」と考えられたら、無駄な衝突やストレスも生まれません。
だから僕自身、ほとんど怒ったりイライラしたりすることがありません。これは仕事だけでなくて、プライベートでもそうです。遅刻されても怒りませんし、悪口を言われて、嫌なことをされてもまったく気になりません。
たとえばレストランで隣の席の人から突然ワインをかけられたとします。たいていの人は「何するんだ!」って怒ると思うんです。
でも僕は、びっくりはするけれど怒りの感情は起きません。もちろんかけられるのは嫌ですけれど、所詮は服です。
命がとられるわけじゃない。「ま、いいか」「この服でよかったな」「赤ワインじゃなくてよかったな」「一緒の人にかからなくてよかったな」「上着だけでパンツにはかからなくてよかったな」「まだクリーニング屋さんが開いてる時間でよかったな」と切り替えます。
せっかく美味しいモノを食べているんですから、自分から楽しい時間、幸せな空間をさらに壊すことはありません。
現実に起きてしまったことに感情をぶつけても仕方ありません。大切なことはそれをどう解釈するかです。
そう考えて生きていれば、そんなに嫌なことがないんです。だからラクだし、「生きづらいな」と感じることもありません。自分の考えや意見、やり方にこだわるから、仕事でもプライベートでも間違いに気づいていても引き返そうとしない。それが大きな失敗に繋がってしまいます。「間違った」と思ったら途中で止めてもいいし、引き返していい。
僕が経営する会社に“本業”がないというのも、ひとつのビジネスだけにこだわってしまわないためです。起業したばかりのころは経営や投資のコンサルティング業がメインでしたが、いまは不動産や保険、広告代理業なども手がけています。
変化が大きくて早い時代ですから本業にだけこだわって注力してしまうと、それが行き詰まったときに本業が経営にとってのリスクになってしまいます。
「言っていることが昔と違う」「やっていることがコロコロ変わる」とビジネスパートナーや経営者仲間から冷やかされますが(笑い)、それでも会社は順調に成長しています。起業から5年で年商10億円を超えました。
自分自身の変化を受け入れる、自分自身に縛られずに常に変わっていける人や企業が一番強いのです。
<プロフィール>
金川顕教(かながわ・あきのり)◎1986年、三重県生まれ。立命館大学産業社会学部卒。経営コンサルタント、ビジネスプロデューサー、投資家、事業家、作家。大学在学中に公認会計士試験に合格し、大学卒業後は有限責任監査法人トーマツに入社。様々な業種・業態の会計監査、内部統制監査を担当する。数多くの成功者から学んだ事実と経験を活かし、経営コンサルタントとして、2013年に独立。以来、不動産業、保険代理業、広告代理業、出版など多岐にわたるビジネスのプロデュースに携わる。『チェンジ〜人生のピンチは考え方を変えればチャンスになる!』(サンライズパブリッシング)、『すごい効率化』(KADOKAWA)など著書多数。