キジも鳴かずば撃たれまい――。これを日々実感している。
6月6日、2018年10月に放送予定だったTVアニメ「二度目の人生を異世界で」の制作中止が公式サイトで発表された。
その理由は、原作者のまいん氏が、2013年から2014年にツイッターで韓国人や中国人に対して、差別的なツイートを繰り返していたことが原因とされている。
また、6月下旬には4コマ漫画「本日わたしは炎上しました」作者のどげざ氏が、2012年9月に朝鮮半島の人々に対して差別的なツイートを投稿していたことが発覚。
批判が相次いだために、同月25日、「私が過去に行ったツイートにより、特定の方々にご迷惑及びお騒がせしてしまったことをお詫び致します」として、ツイッターに謝罪声明を掲載。7月には連載元である「まんがタイムきらら」編集部によって、連載終了がアナウンスされた。
問題となったツイートは、いずれも両者が無名ともいえる時代に投稿したもの。両者ともに作家として有名になったことがわざわいして、過去の不適切な発言に注目が集まってしまった。
同様のことは、海外でも起きている。7月、マーベル・スタジオの人気映画シリーズ「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」前2作を担当したジェームズ・ガン監督が、2008年から数年にかけてツイッターでエイズや性的虐待をテーマにした不適切なジョークを繰り返し投稿していた事実が発覚。
それを問題視した同スタジオの親会社であるウォルト・ディズニー・スタジオが、ガン監督の解雇を発表した。
「ネットの発言」はリアルの生活を破壊する
こうした例を見ると、「ネットには何も書かないに限る」という結論になるのではないか。もちろん、今回紹介した3人のように作家や映画監督といった「宣伝したいものを持つ人」はネットやSNSで発信することに一定の意味はある。
3万人以上のフォロワーを持つ筆者の場合も、かつてSNSは有効な宣伝ツールだった。
しかし、今年6月に起きた「ある事件」をきっかけに、「ネットやSNSで発信し続けることのデメリットはメリットを遥かに超える」と考えるようになった。以前は少なくとも3日に1回程度は投稿していたツイッターも、6月25日以降、ほぼ投稿していない。投稿したのは、仕事の都合で「告知」をせざるを得ないものである。
その理由は6月24日、「Hagex(ハゲックス)」のハンドルネームで活動していた岡本顕一郎さんが刺殺されたからだ。容疑者の40代男はネット掲示板で他の利用者の誹謗中傷などの迷惑行為を繰り返し、Hagex氏もその被害を受けていた。
Hagex氏は運営会社に通報し、自身のブログでもそのことを報告。以後、同様の通報が相次いだ。問題のIDは凍結させられたが、容疑者の男はまた別のIDを作り、それも凍結されるという状況に。こうした経緯から、容疑者は逆恨みをして犯行に及んだとみられている。
Hagex氏と筆者は「ネットニュース」や「ネット炎上」がテーマの発信を得意としていたので、イベントでも一緒に登壇することが何度かあった。
そんな同じ業界で働く友人が刺殺されたことから、「ネットの発言はリアルの生活を破壊するほど、人の恨みを買う」と考えるようになった。それが、ツイッターを更新しなくなったきっかけである。
これまでSNSを更新していた5つの理由
ただ、ここ1カ月ほとんどツイッターを更新しなくなったところで、ひとつの事実に気づく。何も困ることがない。当然の話だが、何も書かないと、何も批判されないし、炎上にビクビクすることもない。
一体、自分は何のために今までツイッターをしていたのだろうか。振り返ってみると、それは以下の5つの目的に集約される。
【2】自分がおもしろいと思うものや、友人の活動を広めるため
【3】フォロワーが増えるにつれて、自分のツイートに対する反応も増えておもしろいから
【4】時に良い出会いをもたらしてくれるため
【5】自分がおかしいと思う「現象」や「発言」の存在を世間に知らせるため
そのほかにも、おもしろいトピックのニュース記事や、ツイッターの発言、炎上を見かけた時に、何かタメになる情報や一家言をツイートすることで、「やっぱり中川さんは物知りでおもしろい人だよね」と思ってほしかった。
つまり、承認欲求もモチベーションになっていたことは間違いない。
自分の場合、【1】が最も重要だったわけだが、告知ツイートだけだと、フォロワーは増えず、既存のフォロワーからも飽きられてしまう。だから、告知ツイートの何倍も、【2】~【5】にまつわるツイートを投稿していた。
告知ツイートはイザという時に投稿し、できるだけ「宣伝臭」を弱めるようにしていたのだ。
さて、そんなかつてはツイッター熱心だった筆者が約1カ月間、何も投稿しなくなったが、困ることはほぼない。Hagex氏の事件以降、もう人前でイベントに出る気を失ってしまったため、告知をする必要はない。記事を書くにしても、編集部や編集者がツイートをしてくれる。
できることなら自分も告知を手伝ったほうがいいのは理解しているのだが、「ツイッターは義務感からやるべきものではない」という持論があるため、やりたくないときはやらない(必要な時期が来たらまたやるかもしれないが……)。
そもそも【2】~【5】のツイートも投稿していない時点で、告知ツイートをしてもフォロワー数を減らすだけだろう。
不特定多数に向けた「つぶやき」に意味はない
仮に今、ツイッターの投稿を再開するとしたら何を書くかを考えてみた。1つ目はシャワーを浴びながら思っていたことだ。
ほんの3年前まで夏だろうが1週間風呂に入らずとも気にならない人生を送っていたが、去年から毎日入らなくては気持ちわるい体になってしまった。風呂は嫌いでしょうがないが、「汚い自分」「ヒゲが無駄に伸びている自分」が耐えられなくなってしまった。昔の状態に戻りたいぜ。
2つ目は「やっぱりこの人はまともなんだな」と思ってもらうための単なる自己満足である。
ギャラが上がるという珍しい体験をした。元々オレは「言い値」で仕事を受けることにしているのだが、某メディアでオレの書いた記事のPV(ページビュー)が好調ということで2倍にしてもらえた。ありがたいことではあるが、同時にプレッシャーを与えられるということでもある。しかし、嬉しい。ありがとうございます。
果たしてこんなつぶやきを投稿して何になるのだろうか? あとはサッカーW杯でフランスが優勝したときに、「クロアチアが負けてしまった! 残念!!」と書くことに意味があるのか?
もはやSNSの存在意義にまで踏み込む話になってしまったが、自分としては、「宣伝を除き、リアルで知っている人、自分に好意を持ってくれている会ったことのない人限定で現状を知らせたり、悩みや悲しさ、嬉しさを伝えたりすることに意味がある」という結論になりつつある。
要するに、フェイスブックやLINEなど承認制のSNSを「人からちょっと褒められたい」「ちょっとおもしろがってもらいたい」程度の期待値でやればいい。
一方、不特定多数に向けて「つぶやき」を見せることの意義は現時点では、見いだせない。いつなんどき過去の発言がきっかけで裁判を起こされたり、あるいは、現在の自分の立場を毀損する状況に陥ったりするかはわからないのだから。
これまでツイッターでの発言により失脚した人々は人身御供になったようなものである。彼らが被った実害は「いつ自分にふりかかってもおかしくなかった」という気持ちは持ったほうがいい。
そして、これまであなたがSNSに書いたこと、あるいはこれから書くことが、同様の損害をもたらす日が来ないとは限らない。
いつしか「今までオレは何のためにSNSで発信していたんだ……」と、はたと振り返る日が来るかもしれない。それが現在の私だ。
中川 淳一郎(なかがわ じゅんいちろう)◎ネットニュース編集者 1973年生まれ。東京都立川市出身。一橋大学卒業後、博報堂で企業のPR業務を担当し、2001年に退社。CM・広告関連記事を担当する雑誌ライターとして活動後、「TVBros.」編集者などを経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『謝罪大国ニッポン』『バカざんまい』など多数。