「もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」
香川県善通寺市から東京都目黒区に転居して、今年3月に児童虐待で亡くなったとされる5歳の船戸結愛ちゃんが書いた反省文は、6月に警視庁が発表すると、読む者の心を大きく揺さぶった。児童相談所(以下、児相)の対応が悪いと非難の声が上がり、政府は大きく動いた。児相と警察との連携が明確化され、児相職員は17年度を基準に3200人から2000人増やして1.6倍になるという。
もっとも、児相側の声は聞こえにくい。立川児相長を2年、足立児相長を5年務め、今年4月から江東児相長を務める大浦俊哉さん(59歳)に、お話を伺った。
児相の経験の地域差はとても大きい
ーー事件をどうご覧になりますか。
大浦 事件そのものについては、東京都、香川県、国がそれぞれ検証を行います。その結論を待たなければなりません。
ただ、私はこれまで約6000件の虐待事件に関わってきて、児童虐待にはパターンがあると感じ、背景を聞くと、およその危険性や家族の状況がわかります。これまで60を超えるケースで、親が施設入所に同意しないため、児童福祉法28条にしたがって家庭裁判所に申し立てをして親子分離をしました。
一方、地方の児相の中には、ほとんど法的対応の経験がないところもあります。厳しいケースでは、児相の経験の地域差はとても大きいのが実情です。
ーー目黒区の事件では、児相間の情報の伝達が問題になりました。
大浦 話題になる事件が起きると、メディアが反応し、新しい仕組みを作らなければと言い出します。しかし、すでにルールがあるのに、その基本が守られていない。だから事件が起きる。
今回、家族が東京に移転する前に、香川県で指導措置解除が行われました。通常、自治体をまたぐ移管については、措置などの援助方針を終結せず、移管先の児童相談所が、移管元と連携しながら、少なくとも1か月は援助方針を継続することが全国のルールであり、このルールにのっとれば、新しい児相はすぐに指導を始められる。
児相間のケース移管は、全国児相長会議での取り決めが、国から運営指針として通達されています。しかし今回、国が全国一律のルールとして見直しを図るよう、都知事が緊急要望を行なった結果、国の緊急対策に盛り込まれました。
ーー香川県側は、全部の情報提供を行ったと話していると報道されました。
大浦 情報提供は本来はA4の概要が1枚とケース記録などの資料が送られてきます。その後に他の情報が送られてくる場合もありますが。送る側が、受け手の児相に、その親子や家庭にどのような危険があるか、正しく伝えられるかは重要です。
児相の職員は裁く人ではない
ーー女児が2度目に一時保護されていた最中の’17年6月、児童福祉法が改正されて、親権者の同意がない一時保護を2か月以上続ける場合には、家庭裁判所の許可が必要になりました。父親が不起訴になったのは5月でした。その後、7月に一時保護を解除して、女児を家に返しました。
大浦 一般的に2か月以上の一時保護が必要であれば、児相は制度を使って、戦うべきところは戦っています。継続している虐待は、放っておけばエスカレートします。ですから、何かの力で外から止めてあげることが必要です。
親は不起訴なのになぜ、児相が来るのかと言う。しかし、警察と児相は役割が違います。混同することはできません。
刑法では、疑わしければ罰せずで、不起訴になれば警察の関与は終わります。しかし児相は疑わしいから調査に入る。家庭が子どもにとって安全か否かを確かめます。私たちは親の対応が子どもにとって不適切だと思えば、さまざまな権限を適切に行使して、抑止していく。
児相の職員は裁く人ではないです。私たちは真実を明らかにした上で、そこから親御さんと向き合って、指導していくのが仕事です。同じ児相が介入して親子を分離する一方で、親への指導をするのは両立しないという意見もあります。しかし、本来の児相の専門性は、電話で通告を受け、相談を開始して、終了するまでの仕事全てです。私たちも同じ人間として、相手の気持ちにきちんと向き合わないと。
うさぎ用ケージ監禁虐待死事件の教訓
ーー大浦さんが足立児相の所長だった’14年、足立区内でうさぎのケージに入れられていた3歳の男の子が亡くなる事件が発覚しました。
大浦 私が赴任したのは’13年4月で、その少し前、3月にお子さんは亡くなっていました。足立児相の私の前任者は、経済的に困窮している多子家庭、ネグレクトの恐れがあるというので、虐待ケースとして受理しました。
私が赴任する前、2月8日に職員は両親と子どもたち全員に会っていました。それで児相側の心配が解けてしまった。警察の捜査によれば、この時すでにお子さんはうさぎのケージに入れられていたのですが。
お父さんが児相の対応を無視するのであれば、子どもたちを一時保護することもあり得ました。しかし、お父さんはさまざまな関係機関にさまざまな顔を使い分けて、その真意が見抜けなかった。
4月に担当が変わった後も、何度も家庭訪問をしましたが、親には会えたり会えなかったり。一度に子ども全員には会えない。立ち入り調査も拒否され、裁判所に許可をもらい警察官を伴って家に入る臨検捜索までしましたが、親はマネキンを使って子どもの数をごまかしました。
この事件で、親よりも子どもに焦点を合わせなければいけないということが教訓になりました。
――'16年の児童福祉法改正で、子どもが権利の主体であると明記されました。しかし、親を飛び越えて小さな子どもと話をするのは難しいのではないでしょうか。
大浦 児相の専門性の1つは、子どもの年齢に合った言葉で、論理的に説明するということがあります。「◯◯ちゃん、どんなお家だったら安心して暮らせる?」と尋ねて、暴力がない家だと子どもが答えたら、「そんなお家になるように頑張るから、お泊まりできる所で待っていてね」と話すことができます。
地域も力をつけないと、悲しい事件はなくならない
ーー目黒区の事件をきっかけに、児童相談所の職員が増員されます。
大浦 児相職員を増やすことは必要です。同時に人材育成が大切です。一人前になるには少なくとも3年は必要でしょう。
同時に地域との連携も深めなければ。地域の中で児相だけが子どもを虐待から守る機関ではないのです。足立区の事件では、父親が児相と地域に見せる顔は違っていました。その家の危険性に対して、地域の最前線の職員と、都の児童相談所の職員とでは温度差がでる。事件後足立区では、児相と家庭支援センターの月ごとの協議会に、保健センターと生活保護担当部署の代表も入れて情報共有をし、地域でできることと児相がすることを徹底的に役割分担しました。
地域も力をつけないと、悲しい事件はなくなりません。母親が、支援が必要だと行政が認める特定妊婦だった頃、支援は十分だったのか。お父さんへの就労支援があったのか。どう、地域が予防的に関わるかは重要です。
虐待は特別なことではなくて、どの家庭でも起こり得る現象です。虐待をしているお母さんたちは、自分を支える軸が弱く、揺れ動く。そうすると子どもが不安定になります。言葉の発達が足りず、コミュニケーションスキルが低いお子さんは、すぐ怒られるので自己肯定感も低い。小さい時から養育相談を丁寧に受けることができたら、ある年齢になったときに、虐待にまで至らなくてすみます。親が困ったら地域の学校、保健センター、子ども家庭センターなど、どこにでも駆け込める仕組みがあれば、児童相談所との役割分担ができる。
民間でも、子ども食堂や学習支援の場所が増えています。官民、さまざまな機関が、こうした子どもを理解し、手を差しのべて、必要によって児相などの専門機関に繋げていただきたい。非行の子どもや、児相に来る子どもを叱る技術は難しいです。でも、褒められると変わっていく。
親御さんもそうです。学校もモンスターペアレントだといって、関係を閉ざしがちになるけれど、そうした親御さんにもいいところはあるものです。
東京都は合計特殊出生率(1人の女性が生涯に生む子どもの数を推計したもの)が低いけれども、江東区は‘13年から7000人、子どもの人口が増えている。墨田区は4、5年で1500人増えています。他県から有明地区に子どもたちが入ってくる。家族は自治会組織にも入らず、孤立化が進みます。毎年、虐待相談件数は増えていきます。
そうしたなかで泣き声が聞こえると児相や地域の子ども家庭センターに通告される。親は、目をつけられたと思ったらすぐにいなくなる。地域に繋がらずに漂う人は増えています。
目黒区の事件で、お母さんがお父さんに迎合してしまうとしても、お父さんの生活が安定するまで香川にいましょう、という止め方もできたのでは、とも思いました。 地域でもう少し、いろいろな子どもや家族が暮らしていけるように工夫していかないといけないと思います。
◇ ◇ ◇
児相さえしっかりしていれば虐待死はなくなる。そんなイメージが広がる。
だが社会がやせ細り、力の弱い親が社会からこぼれ落ちる。そこに暴力が生まれるのだ。社会からこぼれ落ちまいとする人のしがみつきは強烈だ。児相にはその暴力を抑止する専門機関として力をつけてほしいと願う。
だが、地域や社会の力が適切に働けば、親は安心して子どもの育ちを支え、子どもが気兼ねなく育つ。そんな社会では、児相の役割は穏やかなものになるのではないか。そんな夢のようなことを思わされた。
【文/杉山春(ルポライター)】
<プロフィール>
杉山春(すぎやま・はる)◎1958年、東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。雑誌記者を経てフリーのルポライター。『ネグレクト 育児放棄―真奈ちゃんはなぜ死んだか』(小学館文庫)で第11回小学館ノンフィクション大賞受賞。著書は他に『ルポ 虐待 大阪二児置き去り死事件』『家族幻想 「ひきこもり」から問う』(以上、ちくま新書)、『満州女塾』(新潮社)、『自死は、向き合える』(岩波ブックレット)、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新聞出版)など。