今年で84歳、芸能生活なんと82年目の女優・中村メイコ。子育てもとっくに終わり、親しい人たちもほとんど鬼籍に入ってしまったし、この世に何の未練もないけれど、「いつ死んでもおかしくないから、いま言っておかないと」と思っていることはたくさんあるという。
そんな気持ちをモチベーションに、今年の6月末には著書『もう言っとかないと』も上梓した。
「死を意識しない日はない」と口にしながら、いまは“終活”を着々と進めている。
とはいえ、中村メイコといえば、芸能界の生き字引のような存在。後世に残しておきたいエピソードをたくさん持っている。
そんな彼女が言っておきたいことを、次女で同じく女優の神津はづきに“思い出の整理”を手伝ってもらいながら語ってくれた─。
永六輔さんからのアプローチ
─2014年には豪邸からマンションへ引っ越しをし、同時にトラック7台分もの断捨離を決行したそうですね。
メイコ いらないもの全部、捨てちゃいましたよ。いただいたラブレターなんかもね。ただ、神津さん(夫の神津善行)と(作家の)吉行淳之介さんからの手紙は捨てられなくて。
価値があるかもしれないから、まり子さん(吉行のパートナーだった歌手の宮城まり子)に伝えたら「吉行があなたにあげた手紙なんかいらないわよ」って言うから「あらそうですか~」って。それで、神津さんと吉行さんからの手紙は全部、物書きをしている(長女の)カンナに預けたの。
あと、困ったのはいろんな人の結婚写真ね。(江利)チエミちゃんと(高倉)健さんの結婚したときの写真とか。「ごめんねー、ごめんねー」って言いながら、ハサミでたくさん切って断捨離しました。
若いころの健さんなんか絶世の美男子で、どれもすごく素敵な写真なんだけど「健さん、ほんといい男だったね~。ごめんね~。切っちゃうからね。(江利チエミと)別れたからいいでしょ?」って。
はづき 母は2歳で芸歴をスタートさせていますからね。わが家では(メイコの)芸歴の目標が「おむつからおむつまで」なんですけど(笑)。そりゃ、いろいろため込みますよね。どれだけ人の結婚式とお葬式に出たことか。
メイコ お葬式の出席者といえば、以前は森繁(久彌)さんが定番だったけど、いつの間にか私と神津さんになっちゃった。
─吉行さんだけでなく、永六輔さんからもアプローチをされていたとか。
メイコ 神津さんとの婚約が決まったことを永くんに告げたら、ぽろぽろ泣き出してしまってね。
困ってしまって父(作家の中村正常)に電話で相談したら、「『上を向いて帰りなさい。涙がこぼれないように』と伝えたまえ」って。それをそのまま永くんに伝えたんですけどね。
それが永くんの頭のどこかにあったのか、その後、永くんはあの曲を作ったわけですよ。いまから思えば、私と一緒にならなくてよかったわよねえ。
はづき 母は友達がいないし、人と仲よくしたいっていう気持ちもないんです。そもそも子役をやってて学校に行っていないから、友達がどういうものか知らないんですよ。「友達とどうやって付き合うか」とか「友達が欲しい、寂しい」っていう感覚もないから。
メイコ あら、黒柳徹子さんも、似たような感じよ。
はづき そうね。そういえばママと徹子さんが銀座で偶然会って、その場で2時間、話していたことがあったわね……。
ひばりさんのご祝儀
─そんなメイコさんの親友といえば、あの美空ひばりさんだったというのは有名な話ですが。
メイコ 私が言うのもなんだけど、あの人も変わってましたからねえ。私が結婚して子どもができてから本格的に付き合いができたんだけど、それにしたって、ひばりさんのお母さんから「ひばりに普通の家庭を見せてやってほしい」って言われてですからね。
はづき うちが普通かっていうと、母がいる時点でどうなのかという(笑)。
メイコ でも私、芸能生活だけでなく、“奥さん業”も長いんですよ。主婦生活は今年で61年目ですから。女優でこんなにひとりの男と長く暮らした人ってまずいない。本っ当に不名誉。
私ね、自分の個性や性格を出して主婦とか母親を務めることができないのね。だから“演じて”きたの。
はづき 子どものころ、ひばりさんのご自宅で日舞を習っていたんですが、終わってから習ったことを披露すると、ひばりさんとお母さんがすごく褒めてくれるんですよ。
その後、いつもいいお菓子を出してくれた。うちではそんなふうに母が褒めてくれることがなかったから、うれしくて(笑)。
メイコ ひばりさんはね、気っ風がよくて、ほんと記憶力のいい人でね。わが家に来て私たち2人でいつも酔いつぶれるのね。そうすると次の日に飲んだ分のお酒や、お給仕してくれたうちのお手伝いさんたちへのプレゼントが届くの。
あと、結婚式に行くとお祝い金が札束なものだから、持っていくのはご祝儀袋じゃなくてお金を半紙でくるんでいるの。だから「あなたと一緒に出かけるの嫌なのよ」って言ってやってたのよ。
はづき そういうところは、ママはひばりさんより普通かもね(笑)。
メイコ でも私、普通の女の人みたいに夫に嫉妬なんかしないわよ。夫にはいつまでも素敵な女性と浮名を流してほしいもの。最近は、全然ないわね……。まったく、つまんない男になったわ。
はづき 私たちきょうだいも、父にお気に入りの女性ができるたびに会わせられたりしてましたね。でも、どの人もどこか母に似ているんですよ(笑)。
─夫の浮気を容認するメイコさんとしては、最近の芸能人の不倫や熱愛報道をどう考えますか?
メイコ どこにいても盗み撮りされてしまうから、かわいそうではあるわよね。恋してるときって心も身なりもおしゃれしたいじゃないですか? なのにあえて帽子を深くかぶって地味な格好しなくちゃいけないなんてね。
でも、芸能人は見られるのが仕事なんだから堂々とすればいいのにとも思う。撮るほうのマスコミさんだって、コソコソしている人を隠れて撮って載っけても……って思わないのかしら? 「おふたりの素敵な写真を撮らせてください」って交渉したほうがよくない?
はづき 石田純一さんとか、火野正平さんみたいな人がいるから、芸能界は楽しいのよね。
メイコ 火野くんね……。以前、火野くんが毎週、週刊誌をにぎわせていたころ、京都で仕事が一緒で、帰りに新幹線で並びの席で帰ってきたのだけど、全然口説いてこなかったのよ! もう、頭に来ちゃった!
はづき 火野さんにだって好みがあるでしょう(笑)。
メイコ もう、早くあの世に行くのが楽しみ! いい男がたくさん待っていますからね。神津さんの世話もしなくていいんですから。
はづき 死ぬのが楽しみなんて、やっぱりうちの母って普通じゃないでしょ?(笑)
中村メイコ 1934年5月13日、作家・中村正常の長女として東京に生まれる。2歳8か月で映画『江戸ッ子健ちゃん』のフクちゃん役でデビュー。以後、女優として映画、テレビ、舞台などで幅広く活躍。1957年、作曲家・神津善行と結婚。カンナ、はづき、善之介の1男2女をもうけ、「神津ファミリー」として親しまれる。数々の昭和を代表するスターとも親交があり、日本の芸能・放送史を知るうえで貴重な存在である。
神津はづき 1962年8月31日生まれ。作曲家・神津善行と女優・中村メイコの次女として生まれる。姉は作家・神津カンナ、弟は画家・神津善之介。東洋英和女学院高等部卒業後、ニューヨークへ留学。ダンス、歌のほかニューヨーク大学にて演劇を学ぶ。帰国後、『屋根の上のヴァイオリン弾き』のオーディションを経て女優としてデビュー。1992年、俳優・杉本哲太と結婚。