「消えもの」一筋50年
テレビ番組や映画のセットで飾られる花、出演者が口にする飲み物や食べ物など、使用後は消えてなくなるもののことを「消えもの」という。著者の石橋恵三子さんは日本で初めて「消えもの」を準備する係を担当した、この道一筋50年の大ベテランだ。
テレビ局内に「消えもの室」というセクションができたのも彼女がこの仕事を始めたことが端緒となった。そんな彼女の仕事で有名なのはなんといっても放送から42年を迎えた超長寿番組『徹子の部屋』で黒柳徹子さんとゲストの間に飾られるフラワーアレンジメントだろう。
「放送第1回から伴走していますので、徹子さんと同じ年数を経験しているスタッフはもう私だけです。花はゲストのイメージをもとにアレンジしますが、これまで生けた花は1度として同じ姿はありません」
実際、石橋さんは『徹子の部屋』で飾った花の記録を1976年2月2日の放送回からすべてアルバムに保管している。
「いつ、誰をゲストに迎えたときに、どんな花を生けたのか。番組の公式カメラマンが撮影した、徹子さんとゲスト、そしておふたりの間の花との“スリーショット”をファイルしたアルバムは私の仕事の歴史の記録であり、宝物でもあります。
もちろん単に思い出として保管しているのではなく、同じゲストを迎えたときや、毎年のお正月の生け方などを照合し、決して同じ生け方にしないようにするための貴重な資料としています」
プロとしてのこだわり
プロとしてこれだけは譲れない、というこだわりも。
「収録中に生けた花の花びらが落ちるとか、重なり合っていた花が動いて形が崩れるといったことがあれば、私の責任問題になる、という気概を持って毎回仕事と向き合います。
やはり『徹子の部屋』は特別で、番組出演を目標にしてきたと緊張しながらお越しになるゲストの方も少なくありません。私もそれに見合う仕事をしてゲストをお迎えしないといけません」
もちろん、これまで42年間、花びら1枚落ちたことはないという。そんな石橋さんの思いが通じるゲストも多く、直接、感謝の言葉を伝えられることも多々ある。特に思い出深いのが、大スターの高倉健さん。
「高倉さんがお好きな花が“都忘れ”だと聞き、千葉県の房総まで調達に行きました。
収録後、花束にしてお渡ししたところ、高倉さんは1本抜いて、“ありがとう”と言いながら差し出してくださったんです。さらにその後、《あの時はありがとう》と手紙まで……。手紙は今でも大切にしまっています」
“花は第二のゲストです”
消えもの係の開拓者でもある石橋さんにはお手本がなく師匠もいない。苦労はもちろん、不安がなかったわけではないはずだ。
「何かのインタビューで徹子さんが“花は第二のゲストです”とおっしゃったと聞いて、私の仕事にそれほどの価値を見いだしてくださっていることに胸が震えるほどの感動を覚えました。徹子さんのこの言葉が自分の仕事に自信を持てた大きな転機となったのは間違いありません」
仕事への熱意とご主人の理解
働く女性の先駆者ともいえる石橋さん。その間、結婚、出産、子育てもすべて経験してきた。仕事と家庭の両立には、ご主人の理解が大きかったという。
「主人がテレビ局の社員だったこともあり、結婚後も“君にしかできない仕事なのだから”と続けることを応援してくれました。とはいえ、家事も育児も手伝ってくれたわけではないんですよ(笑)。でも、当時もいまも、働く私を応援してくれる主人には感謝しています」
77歳の現在まで元気に第一線で活躍し続ける秘訣は何なのだろう。
「私の場合、先輩も上司もいなかったので、私が“これでいい”と決めれば、それですむ仕事です。だからこそ手を抜くことはしたくありませんでした。誰かに決められた合格点でなく、自分で決めた合格点を常に目指してきました。
つまり私の仕事に対する満足は、人からの評価ではなく“自分で納得できる仕事ができたか”どうか。結果に左右されず、一生懸命、自分が納得できる合格点の仕事をしていれば、“また次、お願いね”という信頼関係が育っていきます。そして、それがまた次につながって……。その繰り返しで、いつの間にか50年も、この仕事を続けることができたのだと思います」
“花は私の人生そのもの”
後輩や部下を育てるのが苦手という女性も多いが、石橋さんは断然、褒めて育てる派だという。
「子育てでもそうでした。結局、人は自分で考えて、習得しなければ伸びません。いちばんの育成方法は、“いい手本を見せること”。
難題が起きてもあきらめず、伝わる誠意も持って仕事をする姿勢を近くで見せていくこと。あとは、“自信を持ってやりなさい。やり直しはできる”と、任せて励ますことです」
人生を大きく変えた花との出会い。“花は私の人生そのもの”と語る石橋さん。
「花には季節を感じ、人の気持ちを癒し、元気にする力があります。直接の声は聞けませんが、全国のお茶の間に花を届けるこの仕事に誇りを持ちながら、これからも毎日、笑顔で張り切って花を飾っていきます」
著者の素顔
取材日は猛烈な強風のあいにくの天候にもかかわらず、屋外での撮影にも笑顔で応じてくれた石橋さん。サービス精神も旺盛で取材中に秘書の方から“あ、そのお話はNGで(笑)”などと制止を受けながらも、楽しいエピソードをたくさん聞かせてくれた。彼女が持つ明るさ、仕事への誠意ある姿勢は、77歳という年齢を忘れさせる。こんなふうに年を重ねたい、と素直に思わされる、素敵な女性だった。
いしばし・えみこ 1940年生まれ。東京生まれの江戸っ子。消えもの一筋50年。日本のテレビ開局後の黎明期から、番組作りを支えながら、テレビとともに生きる人生を歩む。『徹子の部屋』第1回から、その日のゲストに合わせて花を選び、フラワーアレンジメントを担当。花を生けた回数は1万回を優に超えている。Instagram「emiko.i.flower」で、日々の花日記を更新中。
(文/松岡理恵)