スポーツ界のパワハラ体質はいったいどこまで広がっているのか─。宮川紗江選手の告発で、日本体操協会の塚原千恵子女子強化本部長が“女帝”としてクローズアップされている。
一連の問題の発端は、8月15日に速見佑斗コーチが宮川選手に対する暴力行為で処分されたことだった。
21日になって、宮川選手が弁護士を通して《パワハラされたと感じていません》という直筆文書を発表。指導継続を求める意思を明らかにした。
29日に宮川選手が記者会見を開く。暴力行為があったことは認めながらも処分が重すぎると訴え、体操協会の幹部である塚原夫妻からのパワハラを告発した。速見コーチに処分が下される前の7月15日、彼女は塚原夫妻から味の素ナショナルトレーニングセンター(以下、NTC)内の小部屋に呼び出されたという。
「宮川選手の証言は、かなり具体的でしたね。“暴力の話が出ている。あのコーチはダメ。だからあなたは伸びない。私なら速見の100倍教えられる”と詰め寄られ、暴力があったと証言するよう求められたそうです。
彼女がそれを拒否して“これからも家族とともに先生を信頼してやっていきます”と言うと、“家族でどうかしている。宗教みたいだ”となじられたとも話しました」(スポーツ紙記者)
宮川選手が塚原本部長からの高圧的な態度に恐怖を感じ始めたのは、2年前の冬だったという。
「“2020東京五輪特別強化選手”という制度がスタートしたのですが、彼女は手を挙げなかった。強化方針が具体的ではなく先行きが不透明だというのが理由で、ほかにも参加を見送った選手が多くいました。もともと“ナショナル選手”という制度があるのに、なぜ新たな枠組みを作るのか、疑問の声が上がったのは当然でしょう」(前出・スポーツ紙記者)
すると、塚原本部長から宮川選手の自宅に電話があり、「“2020”に申し込みをしないと協会として協力できなくなる。五輪にも出られなくなるわよ」と脅迫めいた言葉を突きつけられたという。
「その後、実際にNTCの使用が制限されるという事態に。宮川選手はしかたなく今年6月に参加したのですが、今度は塚原夫妻の『朝日生命体操クラブ』への移籍をすすめられたというんです。
それで彼女は“最初から速見コーチの過去の暴力を理由に、コーチを排除して自分を朝日生命に入れることが目的だったんだと確信した”と話しました」(前出・スポーツ紙記者)
宮川選手は「体操女子を変えるには本部長が代わるとか、何か手を打つことを考えなければいけない」と訴えた。18歳の少女がここまで踏み込んだ発言をしたのは、競技を続けられなくなるという危機感があったからだ。
資金源を断たれて体操ができなくなる
「宮川選手はスポンサー契約していた『株式会社レインボー』という会社との関係が悪化していました。その裏にも、千恵子氏が関係していると言われています。スポンサーを引きはがすことで、彼女とコーチを孤立させようと画策したのではないか、と」(体操関係者)
そんな噂が出てくるのは、過去に似たようなケースが繰り返されていたからだ。
「塚原夫妻が選手に“うちに来たほうがうまくなる”“あのコーチはダメ”と声をかけて勧誘する手口は有名です。小さい体操クラブが育ててきたジュニアの選手が日本代表になると『朝日生命』所属になってしまう。
選手の引き抜きはご法度なんですが、彼らのやり口はとても狡猾なんです。5年前にも、今回とそっくりな例があります。『羽衣体操クラブ』で指導していた井岡淑子コーチが女子選手2人に暴行したとして、傷害容疑で書類送検されました。
すると彼女が指導していた同クラブ所属の杉原愛子選手は、朝日生命に引き取られるという形で移籍しています。コーチの不祥事に便乗して引き抜きをするやり口ですね」(スポーツジム関係者)
露骨な引き抜き工作から大騒動に発展したことも。'91年に開催された全日本選手権では、女子選手を含む'91人中55人が出場をボイコットした。
「当時、体操界を牛耳っていた“塚原帝国”に対する抗議でした。実力のある選手の引き抜きが続き、世界選手権の代表7人中3人が朝日生命所属の選手でしたから。
朝日生命の選手の採点を優遇したりして、本当にやりたい放題だったんです。夫の光男氏は責任を問われて競技委員長を辞職しています。
この一件であまり強引な引き抜きはできなくなり、最近は朝日生命の日本代表選手が減少。今回は焦って荒っぽいやり方をしてボロが出てしまったんじゃないかな」(前出・体操関係者)
“贈り物は厳禁”が習慣化?
「光男氏は日本体操協会の副会長で、夫婦で要職を務めています。光男氏は'68年のメキシコ五輪から3大会連続で金メダルを獲得した体操界のレジェンド。
千恵子氏もメキシコ五輪に出場し、息子の直也氏はアテネ五輪金メダリストという体操一家です。体操界への貢献度が高かったのは確かでしょう。朝日生命は名門と言われ、夫妻は指導者として多くのオリンピック選手も輩出しているので、体操界への影響力は絶大。特に千恵子氏は女子体操界では“女帝”的存在ですね」(前出・スポーツ紙記者)
選手としての実績があり、指導者としても力を発揮してきたわけだが、尊大な振る舞いに眉をひそめる関係者も多いという。
これまで実態が明らかにならなかったのは、圧倒的な権力を持つ塚原夫妻への“忖度”があったからだ。
「朝日生命では、試合に出場できるかどうか瀬戸際の選手の親は、塚原夫妻に付け届けするのが常識だったようです。いいものを渡せば優遇されることを知っていますから。
お中元を贈ったら気に入らなかったのか送り返されてきたので、現金を渡した親もいた。品物は送り返してきたが、現金は受け取ったそうです。以前にお金持ちの親がコーチたちに現金を配ったことがあり、それから定着してしまった習慣らしいですね」(体操クラブ関係者)
権力の集中が続いたことで、組織自体にも歪みが生じている。体操女子ナショナルコーチの中には、朝日生命所属のコーチや塚原本部長と親しい指導者が在籍している。
「ナショナルチームのコーチは、日本の体操を強くするための活動をしなければなりません。さまざまな選手を指導して、日本チーム全体を強化するのが仕事ですから。
でも、朝日生命のコーチはナショナルコーチとしてJOC(日本オリンピック委員会)から給料をもらっていながら、NTCでも朝日生命の選手しか熱心に指導していないのは、誰でも知っていますよ。これって、JOCのお金で自分のクラブの選手を強くしているということになりますよね」(前出・体操関係者)
宮川選手が当初申し込みを見送っていた“2020特別強化選手”に関しても、不可解な事態が発生している。内村航平選手や白井健三選手など体操男子のナショナル選手がNTCの使用を申請して断られたというのだ。“2020”の女子選手数人が合宿をしていることが理由だという。
「NTCはトップレベルの競技者用のトレーニング施設です。それなのに、内村や白井のような選手が使用を断られるなんてありえません。とても大きな施設なので、男女合同でも十分に練習できるんですよ。“2020”が異常に優遇されているのは、バックに千恵子氏の存在があるからでしょう」(前出・体操関係者)
体操選手にとっては、とりあえず“2020”に参加したほうが良好な練習環境を得られそうだ。それでもなぜ拒否するのだろうか。
“2020”コーチの多くは朝日生命所属
「“2020”のナショナルコーチの多くは朝日生命のコーチなんです。だから“2020”に入ると、朝日生命に引き込まれてしまう。そうなれば宮川選手も速見コーチと引き離されてしまう可能性は高い。
それを恐れて断っていたんじゃないかな。これでは塚原夫妻がNTCという素晴らしい施設を私物化しているとしか思えません。そもそもJOC強化費のお金の流れがまったく見えないところも不思議。協会は情報を開示していないから、どこで何に使っているのかわからないんです」(前出・体操関係者)
宮川選手の会見のあと、塚原光男副会長は「全部ウソ」と発言。千恵子本部長も、「悪いことはしていないし、宮川が勝手に言っている」と宮川選手の証言を全面否定した。
「選手の告発に対して高圧的な態度をとったことで、印象は最悪です。体操協会は30日に臨時の会議を開いて対応を協議。
具志堅幸司副会長は報道陣に対し、塚原副会長の発言について“非常に残念な言葉。言うべきではなかったと思う”と苦渋の表情をした。真相解明に向けて第三者委員会を設置することを明言しました」(前出・スポーツ紙記者)
塚原夫妻は翌31日になってトーンダウン。発表された声明文には《私たちの言動で宮川紗江選手の心を深く傷つけてしまったことを本当に申し訳なく思っています》と記されていた。
しかし、《決して宮川選手を脅すための発言はしていません》と、パワハラについては依然として認めていない。宮川選手とのやりとりを録音したということで、証拠として第三者委員会に提出するという。
体操界からは宮川選手を応援する声が上がっている。ロンドン五輪代表だった田中理恵は《いろんな形での助け方があります。私もさえのためにも、選手たちのためにも、協力します》とツイート。かつて千恵子本部長の指導を受けていたことのある鶴見虹子氏も、《元朝日生命で元日本代表として、全力で宮川さえちゃんを応援したいです。皆さんも応援してあげて下さい》とツイートした。
バルセロナ五輪銀メダリストの池谷幸雄氏に話を聞くと、元日本体操協会理事という立場から組織変革の必要性を語ってくれた。
「もし第三者委員会が宮川選手の言うことが本当だったと認めたら、協会は変わらなくてはいけないと思います。人事構成も、システムも。
ただ、それよりもまず、宮川選手がいち早く練習できて速見コーチが指導できるようにしてほしいですね。彼女は世界選手権を辞退すると言っていましたが、今ならまだ間に合います。
ケガもしていないのに、選手本人が試合に出ないという状況にしちゃダメですよ。選手ファーストではない協会の姿を見せてしまったら、選手たちは何を希望に練習してよいのかわからなくなってしまいます」
慎重に言葉を選びながらも、元選手として宮川選手の置かれた状況を気遣っていることが伝わってきた。
速見コーチは処分撤回を求めて仮処分を申し立てていたが、31日に弁護士を通じて取り下げを発表。
「もとを正せば私の行動によりいちばん被害を受けているのが宮川選手です。しかしながら宮川選手がいちばん望んでいることが私の指導の復帰です。
私がすべきことは処分を不服として争うことではなく処分を全面的に受け入れ反省し、みなさまに認めてもらったうえで、一刻も早く正々堂々と宮川選手の指導復帰を果たすことが選手ファーストだという結論に至りました」
暴力も、パワハラも、許されることではない。何よりも今は18歳の少女の未来を最優先に考えることができるかが問われている。