「今は連続ドラマを書かなくなりましたし、仕事は面倒なのでしたくない。ただ世間にも自分にも言いたいことはたくさんあるんです!」
こう話すのは今年で93歳になった脚本界の大御所、橋田壽賀子。『週刊女性』で連載を始めるにあたっての意気込みを聞いてみると、
「今までは自分が描きたいテーマをドラマというかたちで書かせてもらったのですが、今はそんな時代でもなくなったんですね。
言いたいことをドラマに託すのではなく、率直に自分の言葉で言いたいことを発信するのもいいかなということで、話をお受けいたしました」
これまでも数々のヒットドラマの中に自らの思いを込めてきたという。
「私は太平洋戦争を経験していますが、男たちは潔く戦争に行って“天皇陛下万歳”と言って死んでいったあと、残されてしまった女たちって悲惨ですよね。
それを『女たちの忠臣蔵〜いのち燃ゆる時〜』(TBS系)というドラマに託して書きました。遺された女たちの記述はまったく残っていないけれど、勝手に想像して3時間のドラマにしたんです」
時代ごとに新たな問題が出てくる
“仕事はしたくない”としながらも、9月17日には最新作『橋田壽賀子ドラマ 渡る世間は鬼ばかり 3時間スペシャル 2018』(TBS系)が放送された。28年にもわたる、家族をテーマにした国民的ドラマは彼女のライフワークのひとつだ。
「“渡鬼”の場合、登場人物が年をとるのと同時進行で物語を書いてきたので、その年齢ごと、時代ごとに新たな問題が出てくるんです。だから話が尽きずに30年も続けてこられたんです。
昔はお嫁さんだった(泉)ピン子ちゃん演じる五月が、今ではお姑さんですから。でも、昔は姑で苦労した五月なのに今の時代は逆にお嫁さんのほうから相手にされない。“遺産なんて放棄してもいいから、親の面倒を見るのはイヤだ”と言われてしまう。
それが今回のテーマになりました。結局、最後はお嫁さんが改心して謝りに来るんですけれど。そこは、“ハッピーエンドの橋田壽賀子”と言われていますから(笑)」
'11年にレギュラー放送は終了したものの、現在も1年に1本のペースで『渡る世間〜』の新作を出し続けている。このバイタリティーで御年93歳というのだから、驚くばかりだ。
「最近は1年に1回のスペシャル放送が敬老の日の行事みたいになっているんですよ。“連続ドラマはヤダヤダ”って言いながら88歳まで書き続けてきましたが、もう原稿用紙に字を書くのがめんどくさくて。
人とのお付き合いもご遠慮して、ファックスもはずしました。当時は朝起きたらいろいろな人からファックスがたくさん届いていて……。森光子さんやジャニーズのメリー喜多川副社長は特にファックス好きで、どれだけたくさんいただいたことか……(笑)。
現在は主人も子どももいないので急で大事な電話がかかってくることもないし、携帯電話も使いません。ところがTBSの方がお世辞にも、“書いてください”とおっしゃるので、イヤだけど93歳になっても一生懸命、書いてるんです」
介護問題や相続問題など、家族が抱える問題はさまざまだが、それも時代によって変わってくるのだという。
「今回は在宅医療について描きましたが、昔は訪問医という職業にスポットライトが当たることなんて少なかった。でも最近は自宅のある熱海でも2軒ありますし、少しずつ浸透しているんだなと。私も今のうちにそこの先生と仲よくしておけば、最期はうまいこと安楽死させてくれるかな(笑)。“脳梗塞になって動けなくなったら、わかんないように尊厳死させてね”って頼みたいですよ。
若い人や、何としても生きたい人には関係ない話でしょうが、死にたくても死ねない老人はいっぱいいます。十分に生きてきた、それでも生きなきゃいけない、生かさなきゃいけないというのは、周りも大変ですから。
今回、長女の長山藍子さんが演じる弥生は、これまで一生懸命に可愛がってきた孫が、高校生になって“おばあちゃんの顔も見たくない”と言われショックを受ける。それで家を建て替えて、お年寄りが集まる家を作るんです。私はひとりが好きだから、そういうのは嫌いだけど、人と集まることが認知症予防にもいいらしくて……。そんなことも全部“渡鬼”には描けます」
'90年のスタートから、510回も続いたドラマは前代未聞のロングランとなる。
「プロデューサーの石井ふく子さんがギネス世界記録(最多舞台演出本数、世界最高齢の現役テレビプロデューサー)をとられて、“もちろん、あなたもギネスよ”と言われたけど、私はそんなのイヤだと言ったんです。だって、『流しそうめん最長記録』とかと並べられるのはイヤですもの(笑)。
“渡鬼”は主人が亡くなった翌年から始まったんですが、長い間書き続けられて物書き人生の中でもいちばん幸せな仕事だったと思います」
働く女性の先駆者として走り続けきた彼女だが、40歳のときにTBSプロデューサーの岩崎嘉一さん(享年60)と結婚。妻となったことでヒットを飛ばすようになった。
「たまたまオールドミスならぬ4歳下の“オールドミスター(?)”と出会いました。しかも、TBSのサラリーマンで月給が入ってくる。それまで独身時代の私は、生活がかかっているので“書き直せ”と言われれば、頭にきても言うことを聞いていたんです。
でも、結婚してからは“亭主が食べさせてくれるから仕事がなくなってもいいや”と居直って、好きなように書き始めたらヒットしだしたんです。
しかも、私は早くに両親を亡くしてひとりぼっちでしたけど、主人のほうにはお姑さんも小姑もいたので、そのうっぷんもたまって嫁姑の話がいくらでも書けました(笑)。主人は次男だからいいと思って結婚したけれど、お兄さんよりもマザコンだったし、夕方に洗濯をして叱られたので弁解したら、“東京の壽賀子は口応えする”なんて姑に言われたり。
でも、それがなかったら、『となりの芝生』も『おしん』も『女太閤記』も書けませんでした」
昨年の『流行語大賞』にも選ばれた“忖度”は、そこにはいっさいない。
「忖度するほど神経が細かくないですから(笑)。これを書いたら誰かが迷惑するとか、この人にごまをすればいい仕事がくる、というのもないです。好きなことを書いて、仕事がこなかったら、それでいいという気持ちで書いてきましたね」
最後に、今後の連載に対しての思いを聞いてみた。
「言いたいことを言えなくなるのは悔しいから、直接、こうやって誌面で吠えるのもいいんじゃないかなと。
私はインターネットもSNSもまったくわかりませんので、炎上とは無縁ですから、辛口に思いきり言いたいことを言っていきますよ(笑)。
とても“個人的な意見”を述べさせていただきますけど、年寄りの勝手気ままなわめきも聞いていただければなと思ってます」
(『週刊女性』 9月25日発売号よりスタートしたします)