横綱白鵬が千秋楽を待たずに、通算41回目の優勝、そして幕内通算1000勝の大記録を打ち立てた。
白鵬が幕内入りしたのは、2004年(平成16年)5月場所。その場所は12勝3敗で、そこから1000勝への道がスタートした。しかし正直なことを言うと、私は当時アンチ白鵬だった。
白鵬のことを好きになたきっかけ
十両をわずか2場所で駆け上がってきた新星は、横綱朝青龍の熱狂的なファンであった私にとっては「何やら不気味な存在」であり、事実、その年の九州場所(2004年11月)には2回目の取組にして、白鵬が朝青龍に送り出しで勝ち、金星を挙げた。
ここから朝青龍vs白鵬時代の幕開け。両者は土俵の土が削れるほどの名勝負を繰り広げ、私たち相撲ファンを熱狂させた。
しかし2010年(平成22年)2月、朝青龍が突然の引退。
白鵬は「目標とする力士の一人でありましたし、自分を引っ張ってくれる横綱であります。思い出は初めて勝ったときです」と語ると、後はもう言葉にならずに人目もはばからず、ぽろぽろと涙を流した。
今、多くの白鵬ファンに聞くと、「あの会見で実はファンになった」という人が少なくない。もちろん、私もその一人だ。
その年の九州場所、昭和の大横綱、双葉山の持つ“69連勝”に挑んだ白鵬は、2日目に稀勢の里に敗れて連勝が63で止まる。「これが負けというものか」という名ゼリフを残したが、白鵬は稀勢の里に負けを教えてもらった、という。
このときから白鵬と稀勢の里の取組は、常に場内が熱く熱くヒートアップするようになった。白鵬が稀勢の里に敗けて場内が万歳三唱したこともあったり、同体で取り直しとなって場所後に白鵬が「なぜ、取り直しなのか」と優勝会見で物言いをつけて騒動になったり。
白鵬vs稀勢の里は、ファンも巻きこみながらこちらもまた、宿命のライバルとなっていかざるをえない状況だった。
反面、白鵬は「稀勢の里に横綱になってもらいたい」と度々発言していた。
自らの著書『勝ち抜く力』などでも、“稀勢の里横綱待望説”を論じていた。「本当か?」とうがった見方をしていた人もいたようだが、今年の名古屋場所前、九重部屋での出稽古(他の相撲部屋に行って稽古すること)で、白鵬は迷いの底でもがく稀勢の里に会って声をかけ、稀勢の里と土俵で実戦的な稽古を重ねた。
結果、稀勢の里は何度も白鵬に土俵に転がされながらも、「目が覚めた気がする」と語った。
白鵬と稀勢の里、横綱になった者にしか、土俵の上で切磋琢磨したチカラビトにしかわからない想いを共有しているのだろう。それが稀勢の里の力となり、また白鵬の喜びとなっているのだ。
しかし名古屋場所は稀勢の里は初日から休場、白鵬も途中、支度部屋で足を滑らせて負傷、休場となった。
そして今場所、3横綱がそろった。稀勢の里は辛勝という日も多かったが勝ちを重ね、その土俵の下には白鵬がいた。
かつての異様なコールは消えた
何か私には、2人の間に絆めいたものがあったような気がしてならない。幕内1000勝、横綱として800勝という大記録を目指す白鵬の今場所、でもそれも「一勝必勝」という基本理念からというのを白鵬は知っている。そして、稀勢の里にとっては正に今場所はすべてが「一勝必勝」だ。
13日目(9月21日)、白鵬vs稀勢の里の取組が行われた。この日、私は国技館でそれを見守った。
白鵬と稀勢の里の取組はいつも場内が荒れる。白鵬にとっては完全にアウェイで、酷いときには「モンゴルへ帰れ~」などヘイト野次が飛び交い、稀勢の里のしこ名を連呼する大コールが巻き起こる。
私は「99%アウェイになるだろうから、気持ちを強く持とう」と覚悟して国技館に行った。ファンとは、そういうものだ。
ところが違った。
白鵬と稀勢の里が土俵に上がっても、以前のような異様なコールが巻き起こることはなく、白鵬へ、稀勢の里へ、同じぐらい声援が送られた。私は聞こえなかったが「ふたりとも頑張れ!」という声援があったそうだ。
結果、白鵬の圧勝だったが、勝ち負けを越えた圧倒的な相撲愛のようなものが感じられ、会場の空気がものすごく温かかった。ふたりが「横綱として初めて」土俵で戦い合い、その喜びが爆発して、場内にその空気があふれていたのだ。なんだか、私は涙が出てしまった。
白鵬は大記録を作った。しかし、決してそれは一人で作ったものではない。
朝青龍がいて、稀勢の里がいて、鶴竜、日馬富士、琴奨菊、豪栄道、栃ノ心……多くの偉大なチカラビトたちと土俵の上で戦い合って築いた記録だ。
ちなみに14日目の優勝を決めた直後のインタビューでは、笑顔というより表情はまだまだ戦いの顔つきだった。
「狙うは全勝優勝」という、白鵬はすでに幕内1001勝目に向かっている、それが見てとれてゾクゾクした。この人はなんとすごい人だろう! 同じ時代に生きて、白鵬の相撲が見られることが本当に嬉しい。
文/和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生などに関するエッセイも多い。主な著書に『ワガママな病人vsつかえない医者』(文春文庫)、『おでんの汁にウツを沈めて〜44歳恐る恐るコンビニ店員デビュー』(幻冬舎文庫)、『東京ロック・バー物語』『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。