白戸ミフルさん

 世代もタイミングも問わず発症するがん。突然の宣告を受けたら、気持ちは、身の回りはどうなる? 

 飲み会や合コンに明け暮れ人生を謳歌していたものの、ある日突然、重度の乳がんであることが発覚した白戸ミフルさん(40)に、闘病中の悲喜こもごもを語ってもらった。

「身体は元気なのに、もう生きられないんだ」

「がんになる前は、超チャラい“パリピ(パーティーピープル)”だったんですよ」

 と語る白戸ミフルさん。

 お酒もタバコも大好き。30代には週3~4回の合コンをこなし、週末はゴルフやイベントに繰り出す。朝まで飲む日もしばしば。そんな生活でありながらも、健康診断の結果はいつもオールAだった。

 ところがある日のシャワー中、右胸にしこりのようなものを見つける。不安を抱えながら会社で健診を受け、さらに精密検査をしたところ、乳がんと診断された。

「35歳のときでした。初めはしこりかどうかわからないくらいだったのに、3か月後にはめちゃくちゃ大きくなって、わきにもいくつかしこりがあって恐怖に陥りました。診断結果はステージ4。ネットで調べると5年後の生存率は20~25%ということでした。

 身体は元気なのに、もう生きられないんだ、いっぱい遊んで無茶をしたからだ、と泣いてばかりでした

 手術前に抗がん剤治療を始めることになったが、特に夜はひどく情緒不安定になった。いろいろなことを考えてしまい、泣きながら眠りにつく毎日だった。

「それまで考えたこともなかったですけど、人生って終わるんだ、と感じました。やりたいことを“いつか”ではなく、すぐにやらなくちゃと思いました。ずっと人に流され続けていたので、自分で人生を意味のあるものにしたくなったんです」

 白戸さんには「いつか漫画家になる」という夢があった。それを実現させるため、道具をそろえてマンガ教室に通い始める。毎日が急に新鮮になった。

 一方、当時付き合っていた8歳下の彼氏に病気を打ち明けると、「ボクが心の医者になるよ」と優しく受け止めてくれた。しかし、闘病生活が始まり、いざ白戸さんが甘えてわがままに振る舞うと、あっさりと去っていった。過酷な闘病中での失恋は心底、落ち込んだ。

がんと合コンの日々を描いた白戸さんの作品。乙女ながん患者の心の内が切ない (C)白戸ミフル/キノブックス

 抗がん剤治療では吐き気のほか、大量の抜け毛もあった。シャワーでごっそり抜け落ちた髪の毛が、べっとりと手に張りついたのを見て“これはきっと海苔だ”と思った。頭ではわかっていたものの、現実を受け入れられなかったという。

「でも、だんだん慣れてきたんです。いいこともけっこうあったし。まず食欲がないからやせたし、抗酸化作用の高い野菜をたくさん食べるので、便秘が解消して肌がツヤツヤでキレイになりました。

 それに、身体中の毛が抜けるので、手足も脱毛いらず。眉は描いて、まつげはつけまつげに。2000円ぐらいのファッションウイッグをショートからロングまでそろえて、休日は気分で使い分けたり

 合コンではかなりモテたという白戸さん。何人かとデートしたり、お誘いに心が動いたり。頻度は減ったものの、治療中も合コンや飲み会に参加して、お酒も飲んでいたというのだ!

「私は人と会話をして、お酒を飲むことが大好き。がんにストレスは禁物なので、お酒の量に気をつけながら楽しんでいました」

 ただ、恋愛にはあまり積極的になれず、それよりもマンガを描くことに力を注いできたという。

 がんと診断されてから5年、手術と術後の放射線治療を経て、長らく続けてきたホルモン治療も、もうすぐ終わろうとしている。マンガは出版社に持ち込んだ合コンマンガが電子書籍で出版され、デビュー。今年6月には、がん闘病マンガが出版された。

この取材の後、友人らとスペイン・イビサ島へ旅行。さすがのパリピ感は健在! 海やグルメ、夜遊びを堪能

「いまは平日が会社員、週末は漫画家兼ライターの二足のわらじです。合コンは週1回ぐらいに減りましたけど、お酒はフルに飲んでいますし、最近は“せんべろ(1000円でべろべろに酔える飲み屋)”がマイブームです。

 いまこうして生きているからこそ言えますが、乳がんになってよかったと思う。そうでなければ、きっとまだ合コンばかりして、時間が有限だなんて気づきもしなかったでしょう

 そう語る白戸さんのいまの目標は、「漫画家兼ライターの仕事だけで生活できるようになって、世界一周婚活の旅に出かける」こと。白戸さんが各国から渾身の婚活レポートを送る日は、そう遠くないかもしれない。


白戸ミフルさん ◎タレント活動、広告代理店を経て、現在は化粧品メーカーに勤務しつつ、漫画家、ライターとして活躍。著書『乳がんステージ4だった私が、それでも合コンに行きまくって救われた話』(キノブックス)が話題。