それにしても、今年は“引退”が多い年だ。
小室哲哉氏に始まって、小林麻耶さん、滝沢秀明氏、安室奈美恵さん、あとは山口達也氏も引退と考えていいだろう。そして、貴乃花親方。
貴乃花親方の引退発表は、安室さんとはまた異なる衝撃が走った。
名門の家に生まれた花田光司・勝の兄弟は、子どものころから注目を浴びていた。そして、'90年代前半になると、この兄弟を中心に相撲ブームが巻き起こることに。
「『若貴フィーバー』です。それまで、相撲ファンはどちらかというと年配の人たちが多かったのですが、若い女性ファンが一気に増えましたね。ほかの力士と違って、彼らは週刊誌などメディアに取り上げられる機会も多く、まるでアイドルのようでした」(スポーツ紙記者)
宮沢りえとの婚約
当時は、女性週刊誌の表紙を飾ったり、写真誌などもたびたび彼らの記事を掲載していたほどだった。“スーパースター”の誕生は、相撲人気を盛り上げ、角界に新しい風が吹くことを予感させたのだった。
兄弟はその後、横綱への階段を駆け上っていく。
'91年の5月場所初日。18歳の貴乃花(当時の四股名は貴花田)は、横綱・千代の富士を破り、引退に追い込んだ。そして、01年5月場所の優勝決定戦。ケガを押して土俵に上がり、武蔵丸を投げ飛ばして優勝し、表彰式で小泉純一郎元首相が「痛みに耐えてよく頑張った! 感動した!! おめでとう!」と発した、あのシーン。覚えている人も多いだろう。
そして、貴乃花の私生活と言えば、まず思い起こされるのはこれだ。
彼が大関に昇進する2か月前の、'92年11月のこと。宮沢りえとの婚約を発表したのだ。
「当時、りえは、ドラマや映画に引っ張りだこの超人気者。しかもまだ19歳で、これからだというときだったので、ファンのみならず世間もびっくり仰天。大騒ぎになりました」(前出・スポーツ紙記者)
ところが、2か月後、ふたりは破局。彼が史上最年少大関となったその日に破談会見が開かれ、そこで発した言葉に、再び驚かされる。
「連絡も取ってないし、会ってもいない」
「(彼女への)愛情がなくなりました」
2か月の間に何があったのか。
「当時、言葉通り受け取る人は少なく、マスコミは破局の理由を探ろうと奔走しましたが、推測の域を出ることはありませんでした。
その後、彼らに近い人たちが、いろいろ話をしていますが、本人たちが何も語らないので、破談の真相は明らかになっていません」(週刊誌記者)
その後も貴乃花は、元フジテレビアナウンサーの河野景子さんとの結婚、洗脳騒動、兄との絶縁など、土俵以外の話題で注目されることも多かった。
親方になってからは、協会との対立が浮き彫りになり、昨年の『日馬富士暴行事件』をきっかけに両者の溝はますます深くなってゆく。
「ちょっと頑固で融通のきかないところがあって、敵を作りやすいですね。でも、真面目な人。本気で、相撲協会、いや相撲界全体を改革したいと思っていたんです。辞めても応援する人は多いと思いますよ」(前出・スポーツ紙記者)
今回の引退発表を受けて、母親である藤田憲子さんは、
《最後まで真実一路を貫きたかったのだと思います。素晴らしい第2の人生を送ってほしい》
とエールを送っているが、兄・花田虎上氏は、
《本当に相撲は大好きで、相撲一筋の人間。そこまで相撲を愛していた人間が相撲がなくなったら、(中略)ちょっと心配。彼の人生の中に相撲がないというのが考えられないですよね」》
と貴乃花親方が相撲から離れることに対して、心配している。
まだ、はっきりと引退が決まったわけではないようだが、
「こういうときにお決まりの“暴露本”の動きが出ていますね。親方は相撲界のすべてを知っていますし、一部で彼は“爆弾”とも呼ばれています(笑)。彼ほどの人物だったら説得力がありますから、本が出たら大騒動になることは間違いないです」(前出・週刊誌記者)
とはいえ、彼の性格からすればその可能性は少ないだろう。
名横綱の引き際にしては寂しすぎるーーー。
<芸能ジャーナリスト・佐々木博之>
◎元フライデー記者。現在も週刊誌等で取材活動を続けており、テレビ・ラジオ番組などでコメンテーターとしても活躍中。