(ノンフィクションライター 亀山早苗)
男性、無職、ひきこもり。
親に口うるさく「就職しろ」と言われての親殺し。あるいは、親が子の将来を悲観しての子殺し。“ひきこもり”にそんなイメージを抱いてはいないだろうか。私自身、そう感じていたし、親の気持ちを考えると、せつなくもなった。
実際「ひきこもり」とされる人による事件は少なくない。今年4月、鹿児島県日置市で祖父母や親族、近所の人ら5人が殺害された事件が起こった。犯人は38歳無職の男性。高校を中退し、一時期は働いたが、長年にわたってひきこもっていたという。6月に東海道新幹線の車内で殺傷事件を起こした容疑者(22)も、ひきこもりに近い状態だったという噂(うわさ)がある。こういう事件が起こると、「ひきこもりって怖い」というイメージを抱かれやすくなる。
しかし、だ。全国に100万人以上いると推測されるひきこもりの人たちがみんな事件を起こすわけではない。彼らの本当の「素顔」はどういうものなのか。何が原因でひきこもり、どうやって外に出られるようになるのか。私はどうしても、彼らに会って話を聞きたくなっていた。
大橋史信さん(38)のケース
東京・巣鴨の地蔵通り商店街にあるビルの2階。ここは『NPO法人 楽の会リーラ』という、ひきこもり家族会の事務局だ。家族の相談を受け付けると同時に、当事者のためのコミュニティーカフェ『葵鳥』も開催している。
ここで事務局スタッフ、ひきこもりピアサポーターとして活動しているのが大橋史信さん(38)。会うなり、にこにこしながら、「ワタシは、いじめ・不登校、家族との確執、軽度知的障害つきの発達障害、ひきこもり、ワーキングプアの5冠王」だと笑う。
「IQ65だからね」
ちなみにIQ(知能指数)の平均値は100で、85から115の間に約68パーセントの人が、70から130の間に95パーセントの人がおさまるという。ところが大橋さんの働きぶりを見ると、とてもそんなふうには見えない。
私が事務局にいる間、ひきこもり当事者の母親から電話がかかってきた。大橋さんは、相談のため事務局を訪れるか逡巡(しゅんじゅん)していると察するや「でもね、お母さん、せっかく今、外に出てきたわけでしょ。思い立ったが吉日というじゃないですか。相談だけでも来てみたら? 何かが劇的に変わるわけじゃないかもしれないけど、話だけでもしてみてください」と、やんわりと促すのだ。その誠実な誘導で、数時間後、お母さんはやって来た。彼は的確にサポーターの役割を果たしている。
どうして言葉数が多いのだろう……
大橋さんは、両親と7歳年上の兄との4人家族で育った。
「9歳から33歳まで地獄だった」と振り返る。
小学校3年生のときに親が家を購入。引っ越して転校した途端、集団いじめが始まった。それまでは学校が好きで、友達ともよく遊んだという。ところが転校して早々のいじめに彼は面食らった。
「担任がなぜ僕をいじめるのかと他の生徒に聞いたら、“自慢するところがむかつくから”“ゲームやおもちゃをたくさん持っているから”などが原因だった。そんなこと親にも言えないし、休み休み学校に行くという感じでした」
母親は教育熱心で「過保護、過干渉」だった。彼は小学生のときから、水泳、そろばん、習字、英会話、塾などさまざまな習い事をしていた。一方で父親は教育にも家庭にも無関心。両親はお世辞にも仲がいいとは言えなかった。
「おもちゃはたくさん買ってもらったし、周りから見れば愛されて育っているように見えたんでしょうね。でも今思えば、そこに僕の意思はあるようでない。衣食住で苦労はしなかったけど、親は自分の思いを押しつけて、僕がどう思っているかは考えたことがなかったんじゃないかな。本当はゲームセンターに行きたかったけど、母親は絶対行かせてくれなかった。無視して行ったら、ぶっ殺されるんじゃないかとさえ思ってた」
私立中学の受験に失敗したとき、父は何も言わず、母は嘆き悲しんだ。公立中学では、吹奏楽部に所属、生徒会の役員もやった。勉強は苦しかったが、担任や友達に恵まれて3年間をなんとか乗り切った。
「そのころから親との関係性が悪くなっていきました。仮面親子というのかな。父は相変わらず無関心、母は事なかれ主義。表面的には家族の体裁を整えていたけど、世間体を気にしていることが思春期の僕にはわかったし、よく衝突もしました。結局、こっちの言い分は聞いてもらえないんだけど……。母にはよく、“みっともない”“恥ずかしい”“やめなさい”と言われた。マイナスの世間体にばかりとらわれて個を大事にしようとしなかった。僕は、それは虐待に近いと思っています」
大橋さんの言葉数は多い。似たような言葉で同じ内容の説明を繰り返す。自分の気持ちが伝わっていないのではないか、という強迫観念があるのかもしれないとふと思う。
正体がわかって生まれ変わった
推薦入学した私立の付属高校で、またいじめにあった。誰にも相談できないまま、親との衝突も抱えて、それでも彼は頑張った。大学受験にも合格。ところが2年生のときに完全に心が折れて退学。その後は家にひきこもった。
ただ、大橋さんは基本的な生命力に満ちている。自らアルバイトを始めたのだ。福祉関係の職場を転々としたが、問題は長続きしなかったこと。
「場の空気が読めないんですよ。どういう環境で育ったのか知りたいと職場の人に嫌みを言われたこともある。自分が頑張るほどに空回りしていく。だから数か月で仕事を辞めてまた、ひきこもる。それでも働かなければという“常識”が僕の中にあるから、また意を決してバイトをする。でも続かない。10年以上、そんな生活を繰り返していました」
ずっとひきこもり続ける人もいれば、大橋さんのように外に出ては挫折してひきこもることを繰り返す人も多い。そして、ひきこもるたび傷は深くなっていく。自分はどこかおかしいのではないかと7か所も病院を巡った。ついた病名は「適応障害」。
30歳を過ぎて、いよいよつらくなった大橋さんは、発達障害ではないかと思い、再び病院へ行ってみることにした。
「発達障害だとわかったときは、ホッとしました。障害という言葉が嫌だから、僕は“発達デコボコ”と呼んでるんだけど、好きなこと嫌いなこと、得意なこと苦手なこと、関心のあることないことの差が激しいんですよ。あらゆることがゼロか100かなの。判断もそうだし価値観もそう。その度合いが一般の人と段違いなの。例えば、僕はハサミやカッターが使えない。頑張ってもまっすぐ切ることができなくて、ぐじゃぐじゃになる。それがハンパじゃないわけよ。ほかにもできないことがたくさんある」
「できない」って、素直に言えない
できないことがあっても、対処ができれば自分は救われる。私自身も数字が苦手で事務処理ができない。人が30分でできることであっても2、3日かかってしまう。だが、「できないのでお願い」と頼めば、誰かがやってくれる。
「僕らは親に褒められたことがなくて成功体験、達成感を知らない、息抜きの方法がわからない。だから何をやってもテンパって周りに合わせられない。それなのに風呂敷広げちゃうところがあるから、最初に“できます”って言っちゃうわけよ。だから発達障害と診断がついたのは僕にとって生まれ変われたのと同じ。僕自身の取扱説明書を示すことができるから、人と関われる。やっぱりね、人と関わることで自分を知るんですよ。人に揉(も)まれて、苦しくても少しずつ生きていく術(すべ)を身につけることができる」
成功体験なんて、そう簡単に人は得られないものではないか。大橋さんにそう問うと、「でも何かをやりきった感じは得たことがあるでしょ?」
と言われる。確かに記事を1本書いても、ある種の達成感はあるのかもしれない。意識したことはないけれど。
「意識したことがないというのは得ているからですよ。私なんて、本当に1度もなかったからね。親から“よくやったね”“頑張ったね”と言われた記憶もない」
大学に合格したときも達成感はなかった。もっと偏差値の高い大学を目指していたからだ。ゼロか100かという考え方だから志望の大学でなければ自分の価値は「ゼロ」。そのこだわりは普通の人と比べものにならないのかもしれない。そういう言い方をすると、大橋さんの表情が変わる。
「普通ってなに? そういう言い方そのものがムカつく」
私も言い返した。
「だって違いがわからないわけよ、私には。できないことがあって困っている人はたくさんいるし、誰でもモヤモヤしながら生きているわけだし」
私が正直につぶやくと、彼の顔が和んだ。
「わからないって言ってくれたほうがありがたい。たぶんね、便宜上、僕も“普通の人”って言うけど、うちらの界隈(ひきこもり、及び発達障害)にいる人は理想の大学に入れなくても、入学できた大学で頑張ればいいやって気持ちを切り替えられないわけ。必要以上に自分を責め、自分をダメだと思い続ける」
気持ちを切り替えればいいと言われてもできない。一事が万事、そうだから日常生活が滞る。大橋さんはちょっとせつなそうな表情になる。
大橋さんが自分を「ワタシ」というとき、どこか他人事の公式見解が入っているようで、「僕」と言うときは声音も含めて本音に近く、親密な雰囲気を醸し出すように感じた。
親に伝えたかったメッセージ
大橋さんの親は、彼が20歳になるまではアルバイトもさせなかったし、車の免許も取らせなかった。心の奥底で「少し変わった子」であることは確信していたのかもしれない。世間体を気にし、発達障害であるかどうか診断を受けさせることはなかった。
「いまだに親は僕が発達障害だと認めません。ただ、僕は親を許せたんです。あきらめたと言ったほうがいいかな。兄は家を出たけど、僕はネガティブな考え方をする両親の“不仲”という家庭の負を一身に背負いながら、今も親と暮らしています。今思えば、オヤジは母子家庭で、子どものころ“おとうさんってどこに売ってるの?”と聞いたことがあるらしい。どうしたら父親になれるかわからなかったんでしょう、モデルがいないから。いい大学を出ていい会社に入ったのに、退職して中華料理屋をやってる。オヤジ自身もどこか生きづらさを抱えていたのかなとも思う。
僕は33年間苦しんできたけど、これからは自分の体験を同じように苦しむ人たちに伝えて、一緒に考えていくことができればと思ってる。ひきこもりの気持ちがわかるから、親御さんにも“好きでひきこもっているわけじゃないよ”と言える気がするんです」
実際『楽の会 リーラ』では大橋さんを頼っている親たちも多い。人と接する経験値や知識があるから、講演会でも活躍するようになってきた。
それでも当事者の母親と話していて「それはかあちゃんが悪い」などとはっきり言うので、ときどき揉めごとになる。正直がすぎてしまうのだ。
「モラハラだと怒られることもあるんだけど、オレはそういう人間だからしょうがない」
そうやって偽悪的になることもある。もっと言葉をマイルドにすることも大橋さんならできるはず。だが、彼はあえて自分を変えない。その言い方に慣れていないとカチンとくることもあるが、こちらが正直に対応すると彼はとことん親身になる。何度も会って話し、そんな大橋さんに非常に好感を抱いた。
「自分はこういう人間ですと晒(さら)したときに周りがどう受け止めるか。親が一方的に“ひきこもっていないで働け”と言っても無理がある。それは相互理解にはならないでしょ。まずはその子を認めてほしい。承認されないと人は動けない」
最後の言葉こそ、彼が親に言いたかったひと言なのかもしれない。
【文/亀山早苗(ノンフィクションライター)】
かめやまさなえ◎1960年、東京生まれ。明治大学文学部卒業後、フリーライターとして活動。女の生き方をテーマに、恋愛、結婚、性の問題、また、女性や子どもの貧困、熊本地震など、幅広くノンフィクションを執筆。