お母さんは「こうあるべき」って、いつから決まったの?(写真はイメージです)

 朝ごはんやお弁当を用意して、子どもを起こして、会社に行って、帰宅時に買い物をして、夕食を作って、洗濯をして、たたんで……。

 とかくお母さんは忙しいもの。夫の家事育児なんてアテにならないし……。でも、しかたがない。だって私はお母さんだもの。そういうものだもの。

 子どもが健やかに成長するためには何事も手抜きはしないほうがいいっていうし、手作りこそが愛情だし。家族の笑顔のために、私は今日も身を粉にして頑張るわ! それが母性ってものだから─。

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「うんうん、そのとおり!」「これこそ日本のお母さん!」と、うなずいた人、ちょっと待って。どうしてお母さんだけ、こんなに頑張らなくてはならないの? そもそも“母性”って、なに?

苦しんでいる母親たち

「私も、最初の子どもが生まれてから数年は、世の中で“お母さんはこうあるべき”“これをしてはいけない”と言われていることを、とにかく守らなくてはと思ってきました。“あれ? 何かおかしいな”と感じたことでも“それがお母さんという存在なんだから”と受け入れようと努力をしてきました」

 こう語るのは、最近出版した『不道徳お母さん講座』(河出書房新社)という本が話題になっている、ライターの堀越英美さんだ。

「自然分娩の痛みを乗り越えてこそお母さん」「母乳のためには和食がいい」といった根拠があやふやな情報や、周囲からの指摘に振り回され、精神的にも肉体的にもボロボロになってしまったという堀越さん。

 だが、SNSを見たら、自分のように「こうあるべき」という建前どおりにいかないと苦しんでいる母親たちが多数いることを知った。

 そのうえ、「授乳中にはスマホを見ないほうがいい」といった、これまで子どもの発達に支障をきたすといわれていた通説に対し「なんの根拠もない」と言い切る医師など専門家の声も多数見えてきた。

「世の中は、なんでも便利になっていくのに、どうして女性、特にお母さんにまつわる物事だけは、つらいのが当たり前という考え方がよしとされるんだろう。それが気になって、調べてみようと思ったのが、この本のきっかけです」(堀越さん)

 調べていくうちに、事態はなかなか複雑だということがわかってきた。

「明治以前は、女性が子どもに対して担っていたのは、産むこととおっぱいをあげることくらいでした。上流階級だったら乳母がいますから、まさに産むだけです。

 庶民なら、大人は男女関係なく働いていますから、子守りは老人や子どもたちがしていたものです。実は、日本の子守歌というのは悲しい歌詞のものも多いんです。子どもたちが子守りのつらさを吐き出したものであるとされています」

伝統でもない、科学的根拠もない

 明治後期以降、庶民にも教育が普及するようになる。大正期に入って現在まで続く「お母さんとはこうあるべき」という思想が作られたと、堀越さんは分析する。

「女学校に行く女性も出てきましたが、とはいえ、まだ男性と同等の職業にはほとんど就くことができない世の中です。そんな折に、“自分の人生をかけて、子どもを立派に育て上げる”ことこそが、女性にとってもっとも素晴らしい天職だという新しい価値観がもてはやされるようになったのです。

 そこだけに目を向けると抑圧の始まりのように見えますが、当時の女性にとっては、この大義名分によって人生に希望が与えられたともいえました」

『不道徳お母さん講座』堀越英美著(河出書房新社刊税込み1674円)※写真をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします

 なんと、母親の自己犠牲の精神は、本能=「母性」でも伝統でも科学的根拠でもなく、大正時代に創作されたものだったようなのだ。

「現代においても、自己犠牲をいとわない、献身的な振る舞いは、多くの人の感動につながります。とりわけ『母の献身』という概念には感動がつきもの、と刷り込まれている人も多い。

 そういう人たちには、いくら“専業主婦の家庭の子どもと共働きの子どもで発達に関して違いはない”“3歳までは母親のもとで育てないと悪影響が出るという3歳児神話に合理的根拠はない”といったデータが出ていると示しても、それらの事実には高揚感がないし感動しないから、受け入れられない。“そうはいってもお母さんというものはね”と」

 今年5月、自民党の萩生田光一幹事長代行が、講演で「赤ちゃんはママがいいに決まっている」と発言したのは、まさにこんな感情からだろう。

 作家の岩井志麻子さんもこう語る。

「何に対しても言えることだとは思いますが、“お母さんとはこういうものだ”という概念なんて、時代や場所によって全く違います。現代の日本の基準が、江戸時代や遠く離れた外国で通じるのか、ということです。

 ただ、『お母さん』しかり、狭い社会での通念は、声の大きい人の理想が基準になりがちだし、“〇〇さんに比べてウチは……”といった安易な競争基準にもなりがち。実にめんどくさいと思います」

学校の「道徳」内容に疑問

 そして現在、堀越さんが危惧していることがある。

「私には小学生の娘が2人いるのですが、学校の教育方針に、やたら『感動』や『家族の愛』『みんなのために我慢する』といった、同調圧力の押しつけが多い気がするのです。大正から戦時中にかけて母親の自己犠牲をあるべき姿とさせたことと重なるように感じます」

 例えば、10歳になったことを祝い親に感謝する「二分の一成人式」。運動会での巨大な組体操、今春、正式な教科となった道徳の内容に、それらが見られるという。

「20年くらい前までは、教育現場での支配の仕方はまだ鉄拳制裁が当たり前でした。それにとってかわったのが、『感動』なのではないかと。

 ただ、私のように『お母さんはこうあるべき』に悩まされた人がいるように、押しつけられた感動に乗れない人も、もちろんいるはず。そういう人がダメな人間とレッテルを貼られるようになったら、とても恐ろしいことです」

 再び、岩井さんの意見を聞こう。岩井さんの場合、先方の要請により子どもは早々に再婚した夫側が引き取り、岩井さんが家を出た、という過去がある。

「私なんて誰が見ても『いいお母さん』ではないでしょう。実際、長女には10年くらい口をきいてもらえてません。でも、自己弁護をする気は毛頭ないですが、息子は“あくまでも自分にとってだけはいいお母ちゃん”と言ってくれているし、今じゃしょっちゅう一緒に飲み歩いています。

 それって単純に人間としてうまが合うか合わないかであって、母親の崇高な愛情とか道徳じゃないんですよね」

 最後に、堀越さんがこんなエピソードを語ってくれた。

「うちの長女からは“先生はこんなこと言うし、教科書にはこうあるけど、私はこうだと思うんだよね。でも、学校ではこう書くと点がもらえるから書くけどね!”という、したたかさを感じます。

 つまり、学校の教えをすべて正しいと思っていない。この感覚を自分の娘が身につけてくれていたのは、親として救いです」


堀越英美さん◎ライター 1973年生まれ。2女の母。著書に『萌える日本文学』、『女の子は本当にピンクが好きなのか』。

『不道徳お母さん講座』(河出書房新社刊税込み1674円)母親でもある著者が、日本の「道徳」のタブーに踏み込む。歴史をさかのぼり、母性幻想と自己犠牲への感動に満ちた「道徳観」がいかに作られたかを明らかにした一冊。