有名人たちも「死の準備」をしているのだろうか。シンガー・ソングライターの嘉門タツオが、7月にちょっと気になるCDを発売した。
「お坊さんから“お墓参りに行く歌を作ってください”と依頼されたんですけど、意外にスッと『終活三部作』ができたんですよね」
と、話すのは嘉門タツオご本人。
父と幼馴染のお葬式をプロデュース
'91年、シングル『替え唄メドレー』が86万枚の大ヒットとなり、翌年には紅白歌合戦に初出場を果たす。その後も「チャラリーン! 鼻から牛乳」などのヒットフレーズを生み出してきた嘉門が今年、『墓参るDAY♪』『旅立ちの歌』『HEY! 浄土』をリリース。彼はこの3曲を『終活三部作』と名づけた。
「発売後は、『月刊住職』『月刊石材』『寺社ナウ』から取材を受けました(笑)。不謹慎なことをやってきた自負はあります。だから、やりすぎずに顰蹙(ひんしゅく)を買わない微妙なラインをつくのは得意なんです。
確かにお墓参りに行く歌はあったほうがいいなと思っていたし。いろんな経験を積んできた今だからこそ、違和感なく作れたんだと思います」
死を笑いに昇華した楽曲『終活三部作』の誕生には、彼自身が経験した“終活”が大きく影響しているという。
「'05年、僕の父親が食道がんを患って、余命宣告を受けました。そのとき亡くなる18日前から弟が父親の姿をビデオで撮影し始めたんです。
不思議なもので、病人ってカメラを向けると元気になってサービスしてくれるんですよ。“この映像、残るんや”とか思うんでしょうね。
自分が高校生のときはどうだったとか、饒舌に話してくれた。亡くなる数時間前の姿も映っていて、“エエ人生やった。これからもまだ頑張る!”とか言いながら死んでいったんです。20時間くらい撮ったVTRを僕が20分くらいに編集してお葬式で流しました」
翌年、嘉門は幼稚園時代からの幼なじみであった高倉さんという親友からある相談を持ちかけられる。
「高倉も余命宣告を受けていて、“暗いのは嫌だから、楽しい葬式にして”と頼まれました。彼は僕の父親の葬式にも参列していたから、“あんなんやってほしい?”って聞くと、“やって!”と。それで高倉の生前の姿を撮影したんです。
“ちょっと早いですけど、先に逝ってるわ。向こうでうまい店でも探しとくから。みなさんも落ち着いたら、ゆっくり来てください”。絶対に盛り上がるからこう言えって、僕がすべて指示を出しました(笑)」
'06年、高倉さんは旅立つが、泣き笑いに包まれた感動的な葬式になったという。
「父親の葬式で試したとき、これはエエなって。死ぬことがわかっている人の最晩年の映像ってなかなかないと思うし、参列者の心に深く残ると思うんです。
あんまり衰弱していたらかわいそうだけど、父親も高倉もそうではなかったから。この葬式の話を知ったほかの友人からも依頼が飛び込んできて……。僕は“おくりびと”ですね(笑)」
嘉門は自分自身の葬式にもすでにプランがあるという。
「まず“ワシはもうダメじゃ~”とか言っている僕のVTRを流しますね。それで、僕の亡骸が火葬場に運ばれるときの曲も決まっています。
それは僕のアルバム『食のワンダーランド~食べることは生きること~』に収録された『火を通せば大丈夫』という曲(笑)。笑いをとりたいよね」
送られる人も送る人もみんな笑顔─。終活を楽しんじゃうのも案外アリかも。