「猫の街」尾道を歩く
近年、「猫の街」として人気を集める広島県尾道市。瀬戸内海に面した静かな街を記者が訪れると、商店が立ち並ぶ通りから路地裏、坂道にいたるまで、あちこちで猫たちが出迎えてくれた。古民家を利用したカフェや猫グッズの店も目につく。猫たちが闊歩する『猫の細道』まである。
「以前から尾道は観光スポットだったけれど、猫を前面に押し出すようになったのは、丸い石で描かれた『福石猫』を描いている芸術家が移り住んできたころから。'90年代の終わりだったかな」
そう教えてくれたのは、市内で暮らす60代男性。同じく地元住民の女性は、笑顔でこう話す。
「このあたりの猫は、不妊手術をしているんですよ。放っておくと、どんどん増えちゃうから、いいことだと思いますよ」
“地域猫”という言葉をご存じだろうか? 捨て猫やノラ猫に不妊手術を施し、これ以上増えないよう、住民が見守りながら地域で適正に管理していく活動のことだ。
およそ20年前に、神奈川県横浜市磯子区の一角で始まった活動はいまでは全国に広がり、猫の街・尾道でも、その取り組みが行われている。最終的には「ノラ猫ゼロ」にすることが目標だという。
世の中には、猫が嫌いな人や、猫の糞や植物などへの被害に頭を抱える人たちが少なくない。一方、ノラ猫へ無責任に餌をやるだけで、不妊手術をせず、結果的にその数を増やしてしまう“愛猫家”もいる。両者の間でのトラブルが絶えない。地域猫は、これを減らすために考えられた対策でもある。
尾道で活動する動物ボランティアのひとりは、こう語る。
「猫は縄張り意識の強い動物。ある地区の地域猫がゼロになっても、ほかの地区にいたノラ猫が移り住んできたら、なかなかゼロにはならない。また、そこが地域猫の場所だとわかると、よそからわざわざ捨てにくる心ない飼い主もいて、かえってノラ猫が増えることもあります」
そのため、地域猫活動の場所を公表しないケースもあるようだ。
「とはいえ、磯子で始まった地域猫活動は一定の成果を収めました。だからこそ、全国の区市町村のいたるところで同様の活動が行われているのです」(動物ボランティア)
殺処分される猫を救うために
これまでに触れてきたように、猫ブームの一方で悪質なペット業者の台頭も目立つ。金儲け主義のブリーダーが数多く産ませ、それを消費者が購入し、飼いきれなくなったら捨ててしまい、やがては殺処分される道筋をたどる悪循環ーー。
これを断ち切るために地域猫活動がある。ちなみに、広島県は'11年に犬猫の殺処分数が全国ワースト1位という不名誉な記録を残している。
県では'15年から、地域猫活動を推進するためのガイドラインを策定、地域で暮らすノラ猫への不妊・去勢手術を毎年、無料で実施している('18年は先着200頭を対象)。それに基づき、尾道市でも今年7月、地域で暮らすノラ猫への不妊・去勢手術が行われた。
獣医師で、広島県動物愛護センターの所長を務める冨永健さんが説明する。
「県の事業として、民間の愛護団体に委託して取り組んだのは、全国でも今回の尾道が初めて。ノラ猫をもっと減らすためには、実績のあるNPOと組んで、モデル的にやってみようとする試みです」
ノラ猫を捕獲して(Trap)、不妊・去勢手術を行い(Neuter)、それからもといた場所に戻す(Return)。これを「TNR活動」といい、ノラ猫が増えすぎないよう、繁殖を抑えるのに有効な手法と言われている。
この活動を県から委託されて行うのが、NPO法人『犬猫みなしご救援隊』代表の中谷百里さん。20年以上にわたるキャリアをもち、広島市動物管理センターに持ち込まれた猫を全頭引き取り続け、市で実質的に「殺処分ゼロ」のきっかけを作った伝説の人物だ。
中谷さんらは県が始める前から、手弁当でTNR活動を続けてきた。
「犬猫の殺処分に対する取り組みへの批判から、これまで私は、行政をずっと攻撃してきたんですね。でも、互いにいがみあっていても物事は進まないので、協力できることがあればしなきゃいけないな、と」(中谷さん)
7月25日に行われたTNR活動で、不妊・去勢手術を施した猫は135頭。中谷さんが言う。
「不思議なことですが、猫嫌いはTNRに賛成してくれましたね。ところが、“間違った猫好き”ほど反対するんです。かわいそうだ、って」
前出・冨永所長も同様の意見だ。
「メスの不妊手術(の必要性)は、みなさん理解されています。ところが、特に男性の方に多いのですが、オスの去勢手術は反対だという。なぜか自分に置き換えて考えるようで(笑)」
不妊・去勢手術を施され、もといた場所に戻された猫の耳は、桜の花びらのようにV字型にカットされている。TNRを終えたという目印だ。そんな地域猫たちは4、5頭ごとのグループに分かれ、別々の縄張りで過ごしているという。
地域猫活動への周囲の反応は?
地元住民は、地域猫活動をどのように見ているのだろうか?
「いいことだと思うよ。以前は猫に餌をあげている人と言い合いになるとか、猫を何十匹も飼っている人とケンカもあった。少し前までは野犬も多かったので、猫が殺されるどころか、ケガをする女性もいたほどです。その野犬の群れも捕獲されていなくなったし、猫にとってはいい環境じゃないですか」
とは、前出の60代男性。地域猫に会うのを目当てに、週末ごとに決まった場所を訪れているとか。
「飼っていた猫が死んじゃって、もう飼うつもりはないけんね。餌は勝手にあげるとよくないから、あげていないけど」(60代男性)
同じく市内から来ているという70代女性は、「家でも飼っているんじゃけど、こっちのほうも可愛らしゅうてねぇ。2か月に1回は来ていますよ」と目を細めて話す。
四国から車で2時間かけて、年に4回ほど来ているという夫婦には“推し猫”がいるという。猫と遊んでいる妻を見ながら、40代の夫は「あの子が可愛くて。一種のファンです」と、にこやかだ。
いまでこそ“猫の街”として、猫たちを観光資源にしている尾道だが、以前はほかの地域と同様、ノラ猫対策で住民が真っ二つに分断したときもあった。しかし地域猫は、住民の間でもおおむね好評のようだ。
地域猫活動に伴い尾道市では、餌をあげる人への指導、飼い猫にも不妊手術を呼びかける啓発のほか、希望者への猫の譲渡といった取り組みも行われている。
もとはといえば、ノラ猫が増えた原因は、自分の都合で安易に捨ててしまうような人間がいるから。ブームに踊らされることなく、ひとつの命として向き合う覚悟がひとりひとりに求められている。