時代とともに流行は移り変わるものだけど、人の名前も同じ。明治安田生命保険が毎年、ランキング形式で発表している『生まれ年別の名前調査』には、その変遷が色濃く表れている。
「2017年はご加入者の約1万6000人を対象に調査を行いました。その年に生まれたお子様を被保険者として学資保険などにご加入される方が多く、その販売促進につながればと1989(昭和64・平成元)年から毎年調査を実施しております。それ以前のランキングは、同年時点におけるご加入者を対象に調査したものです」(広報・森本律子部長)
“人気ネーム”はこう移り変わっていた!
最古のランキングは、なんと1912(明治45・大正元)年! 命名研究家の牧野恭仁雄さんによると、
「名づけには、単発的な流れと長期的な流れがあります。2〜3年単位なら順位は偶然で上下しますが、10年単位くらいになると、名づけの大きなうねりが見えてきます」
そもそも名づけは、3つに大別できるという。
「1つ目は、いつの時代でも一定数ある名前。例えば、親子で同じ字を使うとか、“わが家ではこういう名づけをする”などと家制度を意識したもの。さらに“人間はこうあるべき”“こんな能力を持ってほしい”という道徳観やテーマを表現した名前。
2つ目は短期的な物理的要因。元号や社会的な出来事、有名人、映画やアニメなどが影響したもの。
そして3つ目が、時代の空気を反映したもの。これは“欠乏感”“不安感”というキーワードから読み解けます。その時代に得られがたいからこそ強烈に求め、つけた名前です。これが興味深いんです」(牧野さん、以下同)
明治時代から、ランキングを振り返る
各年代のランキングとともにさっそく見ていこう。
1912年は明治が終わり、大正が幕を開けた年。男の子のトップ10は“正”のオンパレード。ちなみに女の子の4位も正子だ。
「2位の清は、1920(大正9)年から7連覇。儒教的な道徳観を表す字が明治以降、多かったんです」(牧野さん、以下同)
一郎が10位なのに対し、三郎は8位。三郎は1917(大正6)年など、このあと2回、トップに輝いている。
「昔は子だくさんで、兄弟の順番がわかる名前が多かった。長男には正一、雄一、隆一など“一”がつく名前に加え、●太郎や●太などもつけられ、バリエーションが豊富。次男には次郎、●二や●次。ただ三男になると、圧倒的に三郎。なので、ランキングでは三郎が上位だったんです」
女の子の1位は千代、7位には千代子も。
「これは欠乏感、不安感の表れです。久子もそうなんですが、長寿を祈る名前なんです」
千代、千代子は1926(大正15・昭和元)年まで必ずどちらかがトップ10入り。久子はなんと1938(昭和13)年までトップ10に入り続け、1位を3回獲得した。
「当時は医療が発達しておらず、どこの家でも子どもが1人や2人は病気で亡くなっていました。逆に、だから子だくさんでした。医療や保険制度の発達に伴い、心配せずとも子どもが健康に育つようになると、千代子や久子という名前は減っていきました」
2位のハル、3位のハナなど、カタカナの名前が上位なのは意外。
「江戸時代、女性には2つの音の名前をつけていました。その名残でしょう。大正時代まではよく見受けられました」
1922年は漢字1文字と『子』が大人気!
1922(大正11)年の男の子では、トップ10のうち、漢字1文字の名前が7つを占めている。
「大正の終わりくらいから人気に。ただし、すべてが訓読みです」
男の子の一文字名前の人気は高まるばかりで、1933(昭和8)年には初めてトップ10を独占。以後、19回の独占を経て、1964(昭和39)年に2文字名前が4つ(達也、和彦、直樹、浩一)登場するまで、圧倒的人気を保ち続けた。
一方、1922(大正11)年の女の子。トップ10はすべて“子”がつく名前だ。子のトップ10の独占は、その前年から、1957(昭和32)年に明美が9位に入るまで、36年も続いた。
「子は奈良時代以降、皇室では使われていましたが、一般庶民はおそれ多くてつけませんでした。一気に広まったのは明治の中ごろ。津田梅子など女性先駆者の影響もあったと思います。実は、もともと子は尊称でした。今でいうと“様”に近く、ニュアンスとしては“ご令嬢”とか“奥方様”。
子がつかない人にも、子をつけて呼ぶことが、とても礼儀正しいことだったんです。春さんにも“春子さん”。みんながそう呼ぶようになり、名前の一部として組み込まれていったという流れがあります」
1942(昭和17)年の男の子の名前は、勇ましいものが多い。時代は、太平洋戦争の真っただ中だ。
「勝、勇、進、勲など、戦いを象徴する名前が増えました。女の子も、8位は勝子です。“戦時中だから”という分析は間違いではありませんが、もっと細かく見てみましょう」
戦争という意味では、第一次世界大戦(1914〜1918年)もあった。さらに日中戦争(1937〜1945年)へ突入。1941(昭和16)年の真珠湾攻撃に国民は熱狂。快勝モードが一変したのは、旧日本海軍がミッドウェイ海戦で大敗した昭和17年だ。次第に敗戦色が濃くなっていく。
「実は“勝てる”と思っていたころは、勇ましい名前はそれほど上位を独占していません。戦局の絶望化に伴い、勝利にまつわる名前が増えたんです。これも、やはり欠乏感。手に入らないからこそ求める切実な気持ちからの名づけだと説明できます」
1945(昭和20)年に終戦を迎えると、不安感は解消され、勇ましい名前はランキングから一気に姿を消した。
幸子と節子に込められた願いとは
一方、女の子のランキング。1932(昭和7)年の1位は和子だ。
「元号が昭和になったためです。昭和2(1927)年から26年間、1位が23回、2位が3回。上位を独占していました」
2位には幸子、3位には節子がランクイン。幸子は1927(昭和2)年〜1966(昭和41)年まで、節子は1927年〜1953(昭和28)年まで、トップ10入りし続けた。
「幸子が多かったときは、女性にとって苦難の時代でした。電化製品もなく、家事は今の何十倍も大変です。子育てや、商売や農業などの手伝いも。一生、重労働で終わる女性が大半だった時代に“幸”という字が流行したんです。これも欠乏感の表れといえます」
節子や貞子に期待されていた道徳観は、貞節。
「当時の女性は結婚相手も自分では決められず、“父兄に従い、夫に従い、子に従う”のが当たり前。女性の好き勝手をしてはいけない、従順たれという感覚が強かったんです」
女性の権利が認められ、炊飯器や洗濯機など電化製品の普及に伴い、幸子や節子も圏外に。
終戦間もない1947(昭和22)年の男の子は2位に稔、7位に茂が。
「これらに加えて実、豊も、すべて収穫に関係した名前です」
1917(大正6)年に実と茂がトップ10に登場して以来、1965(昭和40)年まで、戦時中などの4回を除き、必ずどれかがランク入りし続けた。特に茂は、1951(昭和26)年から4連覇。
「昭和30年くらいまでは慢性的な食糧難でした。いまや“豊作”なんて言葉は死語かもしれませんが、当時は豊作であるかどうかは死活問題でした」
昭和30年代なかばには、日本人の多くが食べ物の心配をしないで暮らせるように。同時に収穫を表す名前も減少傾向に。
漫画やテレビの影響も
1957(昭和32)年の女の子の1位は恵子。1946(昭和21)年に初めてトップ10入りし、1964(昭和39)年までキープ。その間、1位に8回輝いた。
「これも欠乏感の反映です。食糧難は解消され、高度経済成長期に入っていきますが、本当の意味での豊かさはなかった時代ですから」
1957(昭和32)年の男の子の1位は誠。10年後の1967(昭和42)年、20年後の1977(昭和52)年でも1位だ。1949(昭和24)年からトップ10入りし始め、なんと1位を18回獲得。1984(昭和59)年までトップ10入りし続けた。
「この長い人気は、漫画『愛と誠』の影響もあるでしょう。1973(昭和48)年から連載が始まり、映画化やドラマ化もされました。大賀誠役を西城秀樹さんが演じ、大ヒットしました」
1973(昭和48)年に初のトップ10入りをしたのは大輔。5回の2位ののち、1979(昭和54)年から8連覇を達成。
「早稲田実業高校から1983(昭和58)年にヤクルトに入団した荒木大輔さんの“大ちゃんフィーバー”は有名ですが、それ以前から大輔は人気上位の名前だったんですよ」
一方、女の子は1967(昭和42)年には由美、真由美、明美、直美と最後に美のつく名前が4つランクイン。1972(昭和47)年には、最後が子でも美でもない名前、美香が8位に初登場。翌年には香織、恵、美穂、美香の4つがランク入りし、“子&美離れ”が加速していく。
「男女ともに、昭和50年代のなかばは名づけの大・大・大ターニングポイント。ここを境に名前のバリエーションは10倍くらいに増えました。当時、名づけをした親が、子ども時代を過ごした時期がポイント。テレビの普及です」
1959(昭和34)年、天皇陛下と美智子さまのご成婚パレード見たさに、テレビが一気に普及したのだ。その前年に東京タワーが完成、電波が遠くまで飛ばせるようになったことも大きい。
「それ以前の娯楽は、もっぱら本でした。テレビから映像と音を受け取りながら育った子が、親になって名づけをするとき、文字からではなく、まず音を決め、あとから漢字を当てはめるようになったんです」
1987(昭和62)年の男の子を見ると、1位は達也、6位に和也だ。
「これは漫画『タッチ』の影響です。1981(昭和56)年から5年間、連載されました。アニメ化もされ、大ヒットしました」
一方、女の子の1位は愛。1981(昭和56)年から2年連続で2位を獲得し、1983(昭和58)年から8連覇。
「これも社会全体では欠乏感で説明できます。当時はバブル。多くの人がお金稼ぎに夢中になり、父親は休日ゴルフや単身赴任。受験戦争も激化し、子どもは塾通い。家族を含めた人との結びつきに飢えを感じていたころだといえます」
バブル崩壊後、愛もトップ10からは退いた。
辞書にはない読み方も増加
1997(平成9)年の男の子の1位は翔太、2位は翔。
「翔の字は、今でも大人気。ランキングへの初登場は1982(昭和57)年。実はその前年、名前に使用できる漢字が346字増やされました。翔は、そのうちの1字なんです」
なんと、現在まで1度たりともトップ10から漏れたことがない。
「ただし“ショウ”だけでなく“ト”という、一般的な辞書にはない読み方も増加しました。翔を“ト”と読ませた最初の人物は司馬遼太郎。大河ドラマにもなった『翔ぶが如く』でしょう。この読ませ方が、これほど名前に広まるとは思いもしませんでした」
1997(平成9)年の女の子。1位は明日香、8位に未来と、21世紀を意識した名前が。そして楓、萌など1文字名前が5つも。翌年には女の子でも、厳密には辞書にはない読み方もさせる名前が8位にランクインするように。
「玲奈は、レイナだけでなく、レナの読ませ方も。ただ、レナという呼び名に漢字を当てるとき、“レ”と読む漢字はないので、いたしかたないとは思います」
2007(平成19)年の男の子の1位は大翔(ヒロト・ダイトなど)。同年からの5連覇を含めて8回、1位になった。3位は大輝。
「大の字はずっと大人気。1973(昭和48)年の大輔から現在に至るまで、トップ10に入らなかったことは1度もありません。近年では、大地や大和、大雅もランク入りしています」
同年の女の子は2位に優奈、4位に結衣、8位に美優、9位に優衣だ。
「優、心、結という字は、現在も大人気です。昭和50年代には優子が4回、トップ10入りしましたが、1980(昭和55)年以降は圏外に。その後、優花がランクインしたのは1996(平成8)年。
阪神大震災、オウム事件、失われた20年、学級崩壊……。暗さのあった時代です。だからこそ、人と人との結びつきや心のやさしさを表す字が、時代の欠乏感や不安感から流行したといえます。この傾向は2011(平成23)年の東日本大地震以降、さらに顕著です」
そして、心愛(ココア)、陽葵(ヒマリ、ヒナタ、ヒナなど)、結愛(ユア、ユイ、ユイナなど)など、辞書にはない読み方をさせる名前がトップ10の常連に。
最新ランキングの結果は……!?
2017(平成29)年の男の子は悠真、悠人、陽翔が同数1位に。
「悠人の読み方はユウトやハルトなど。陽翔の読み方はハルトやヒナト、アキト、ハルヒ、ヒナタなどです。そして、読み方別の1位はハルトです」(明治安田生命・広報部)
「分析したところ、最新のトップ100の名前のうち、一般的な辞書にはない読ませ方の名前が男の子で約5%、女の子で約20%でした」(牧野さん、以下同)
自由度の高い読み方は、すっかり市民権を得たよう。さらに湊、蓮、蒼、新と、漢字1字名前が4つランクイン。
「昔の漢字1字名前とは違い、約半分は音読みです」
女の子の1位は咲良(サクラ、サラ)、そして6位もさくら。
「近年は、男女ともに自然に関する名前が増えました。蓮、樹、海、空、陽、菜、花、葵……。これも欠乏感、不安感の表れ。忙しく、がんじがらめの世の中だからこそ、大きくのびのびとした自然を求め、名づけに多く使われています」
11月下旬発表予定の平成最後の調査結果にも注目!
《PROFILE》
牧野恭仁雄さん ◎命名研究家。30年以上にわたり、12万人以上の名づけ相談に乗ってきたスペシャリスト。『幸せの扉をひらく赤ちゃんの名前辞典』(朝日新聞出版)など著書多数