物語の舞台は全国展開する大手スーパーマーケットのマルオーホールディングス。かつては凄腕(すごうで)で鳴らしていたものの、とある事情で地方に飛ばされていた主人公の秋津渉は、突如、本社のコンプライアンス室長に任命された。
唯一の部下である女性社員の高村真琴とともに、セクハラやパワハラといったハラスメント問題に立ち向かっていくのだが――。
初の小説がドラマ化
本書は現在、テレビ東京系で放映中のドラマ『ハラスメントゲーム』の原作であり、ドラマの脚本を手がける井上由美子さんの小説デビュー作でもある。
「以前から担当編集の方に“小説を書いてみませんか”とお話をいただいていたのをきっかけに、執筆をはじめました。その最中に、ドラマ制作の方から脚本のお声がけがあったんです。
“小説を書いているので無理なんです”とお伝えしたところ、“その小説をドラマにしましょう”とご提案があり、初の小説がドラマ化されて自分で脚本を手がけることになりました」
井上さんは、小説の執筆にあたりテーマを考えた際、自身の感覚と符合したのがハラスメントというテーマだったという。
「私が子どものころは、『時間ですよ』というドラマで入浴シーンがありましたし、昼メロではラブシーンや悶(もだ)えシーンが当たり前のように流れていたんです。でも、今の地上波のドラマではまず無理ですよね。
脚本家として仕事をはじめて20年ほどになるのですが、特にここ数年はコンプライアンス的に禁止されるものが多く、窮屈さを感じています。
この窮屈さと、些細(ささい)な言動がセクハラやパワハラとしてやり玉にあげられてしまう今の世の中は一致していると思い、ハラスメントをテーマに書くことにしました」
舞台は身近なスーパー
スーパーマーケットが舞台なのも井上さんの好みによるところが大きいそう。
「普段からスーパーに行くのが好きなんです。棚を見ながら歩いて新商品を発見したりするのって、楽しいですよね。
それに、会社の形態としても本社のほかに店舗、倉庫、工場といろいろな部署がありますし、雇用形態も正社員、派遣社員、パートと多様ですから。
いい意味での雑多な雰囲気がおもしろいのではないかと思いました」
本作の主人公・秋津渉は53歳。中年の男性にしたのには、こんな理由があった。
「今はたったひと言で仕事を失ったり飛ばされたりする、失敗が許されない時代だと思うんです。だからこそ、失敗したことがある人をしっかりと描きたかった。
そのためにも若者ではなく、人生を背負って失敗して家族にも文句を言われた経験があるような年代の男性を主人公にしようと思いました」
本作では、セクハラやパワハラから、育休を取ろうとする男性を妨害したりするパタハラ(パタニティー・ハラスメント)など、多くのハラスメントが登場。
「ハラスメントをされて困っている人や、疑われている人をめぐる話を書こうと思って調べはじめたのですが、予想以上にハラスメントがあることに驚きました。
例えば、女性の部下に“彼氏いるの?”と聞いただけで“ラブハラ”だと訴えられる可能性があるんです。すべてを深刻に受け止めていたら息が詰まってしまいますよね。
でも、実際にパワハラに苦しんでいる人にとってはおもしろ半分にとらえてほしくない。本当に難しい時代に、みんな頑張っているんだと思います」
キャラクターの性格づけ
井上さんはこれまで『白い巨塔』、『14才の母』など数多くのドラマや映画の脚本を手がけている。キャラクターや物語を作る過程は小説も脚本も同じだという。
「キャラクターを作るとき、履歴書的なものは一応、考えます。
それ以上に重視しているのが、“喫茶店で頼んだコーヒーが来ないときにどうするか”といった、日常の場面でその人がどうするかなどの性格づけです。
ちなみに、主人公の秋津はサービスしてもらってもう1杯飲むような、ちゃっかり系のおじさんです(笑)」
本作の登場人物は20人を超える。そのひとりひとりが生き生きと描かれている背景には、井上さんの幼少時代のエピソードが関係ありそうだ。
「子どものころ、リカちゃん人形で遊ぶのが好きだったんです。リカちゃんはもちろん、友達のいづみちゃんやボーイフレンドのわたるくんなども登場させて2時間くらいの長編の物語を作り、人形を動かしながらひとり7役でセリフをあててました(笑)。
あと、幼稚園のころ、寝る前に父が本を読んでくれたのですが、絵本や童話ではなく、『太閤記』とか司馬遼太郎の歴史小説だったんです。きちんと理解できていたかどうかは覚えてないのですが、でも、続きを知りたいとは思っていました」
自らを「50歳を過ぎた新人です」と語る井上さん。本作にはどのような思いが込められているのだろうか。
「本来、働くのは楽しいことだと思うのですが、今の時代はそう感じるのが難しいですよね。
だから、右往左往している登場人物たちを見てちょっと笑ってもらいつつ、“働くのは楽しいことなんだなぁ”ということを思い出してもらえたら、作者としてとても幸せです」
ライターは見た!著者の素顔
井上さんの日々の楽しみのひとつは、愛犬のマロンちゃんと遊ぶことなのだそう。
「マロンは16歳のパピヨンで、目が見えず耳も聞こえないんです。毎日、一緒に散歩に出かけるのですが、ヒゲの感覚とか嗅覚(きゅうかく)とかを使って普通に歩いているので、本当にすごいなぁって思っています」
今後はご自身が10代のころに読んでいた田辺聖子さんや筒井康隆さん、森村桂さんのような、気楽に読めつつ文学性が高い作品を書いていきたいと話していました。
(取材・文/熊谷あづさ)