「11月17日、皇太子ご夫妻は東京都江東区にある『海の森公園』の予定地に足を運ばれました。
おふたりは、『全国育樹祭』に伴う植樹へのお手入れをされ、雅子さまは手伝った子どもたちと笑顔で交流されていましたよ」(皇室担当記者)
雅子さまといえば、11月9日に開かれた『園遊会』で、15年ぶりに全行程を歩かれたのが記憶に新しい。
「両陛下にとって“人生最後”の園遊会で、女性皇族方は和装で出席されていました。
招待者と歓談されている際、両陛下と皇太子ご夫妻の間にある程度の距離ができたのは、多くの人々にお声がけをされていたからだそうです。
しかし当日は、雨で和装だったこともあり、後半にはそうとうお疲れになっていて、何とか乗り切ったようにも見えました」(東宮職関係者)
それほどまでにお疲れになる園遊会に出席したのは、新皇后としての強い自覚をお持ちだったからだろう。
その一方で、15年ぶりの全行程参加を実現できた背景には、雅子さまなりの“工夫”があったという。
例えば、先日行われた愛子さまの文化祭でのこと。
「11月3日と4日に、学習院女子中・高等科で『八重桜祭』が開かれました。3日には、高等科2年生の有志で作られたダンスチームで、愛子さまがポンポンを持ってキレキレのチアダンスを披露されていました。
ご自分の出番の合間には、司会者としてダンスに出るメンバー紹介をされて会場を盛り上げていましたよ」(目撃した保護者)
ご両親もそのお姿を見て、たいへん喜ばれていたそうだが、雅子さまは“公務優先”のスタンスをとられたそう。
「ご夫妻は、3日に文化祭を訪れて愛子さまのダンスのほか、書道部や美術部などの活動やボランティア同好会が展示している視覚障害者用点字ブロックの説明を熱心にお聞きになっていました。
しかし、4日には雅子さまのお姿はなく、皇太子さまだけが学校にいらっしゃっていました。翌5日に控えていた文化勲章受章者と文化功労者のお茶会に備えるためだったそうです」(宮内庁関係者)
学校行事で活躍される愛子さまをご覧になりたかったにちがいないが、翌日の行事に響かないように動かれていた雅子さま。
「園遊会直前の11月7日~8日には、『全国農業担い手サミット』が山形県で開かれました。しかし、最近は2年連続で出席していた雅子さまは来県されませんでした。
というのも、5日にはお茶会、9日には園遊会があったため、前後の予定を鑑みて欠席をお決めになったそうです」(前出・東宮職関係者)
さらに育樹祭でも、
「雅子さまは、17日のお手入れと関係者へのお声かけをしたあと都内のホテルで行われた懇親会には参加されませんでした。しかし、体調を崩したというわけではなく、翌日の式典にはきちんと参加されたので、自分ができる範囲を見極められたのだと思います」(前出・宮内庁関係者)
『適応障害』の療養中である雅子さまだが、工夫と努力を重ね、以前よりも多くの公務に取り組まれている。
症状の回復に最適だったメリハリ公務
「『適応障害』というのは、病気というより“反応”に近い状態なのです。精神疾患には、『うつ病』や『パニック障害』などの病名もありますが、これらは症状に関しての診断基準はありますが、原因に関しての基準はありません。
しかし『適応障害』は、いちばん新しい診断マニュアルの診断基準に“はっきりと確認できるストレス因に反応して3か月以内に症状が出ること”と定義されています。
つまり明らかなストレス因があって発症するという、ある意味で原因と症状との因果関係がはっきりとしている病名なのです」
と、ストレス障害に詳しい『パークサイド日比谷クリニック』の立川秀樹院長。
雅子さまの“メリハリ”をつけた公務のスタイルは、病状の回復に効果的だという。
「回復されるには、雅子さまにとってのストレス因から脱却することが大切です。そういった意味では、雅子さまの主観もありますが、反応してしまうほどのストレス因がある公務にはお出ましにならず今では反応しない公務には出席されるのは診断上、問題ないのだと思います。
『適応障害』は、そういった工夫をすることでだんだんと治っていくものなのです」(立川院長)
園遊会の件に関しても、立川院長は太鼓判を押す。
「先日、15年ぶりに『園遊会』の全行程をこなされたというのは、治療が順調で、園遊会でも反応しないほど回復されている証拠でしょう。主治医が出席してもいいと判断できるほど、病状が改善されているのだと思いますよ」
来年のお代替わりには、自信に満ちた雅子さまが見られることだろう─。