「ゴーン氏のモラルがわからない。高額報酬に批判があり、それを嫌って約50億円のお金をもらっていないように見せかけたってことでしょう?
批判されたくなければもらわなければいいのに、嘘つきじゃないですか。お金を公明正大に使っていたら、工場を閉鎖したり、従業員を解雇しなくても会社を立て直せたんじゃないのか、と思えてきて悔しい……」
と憤るのは、かつて東京都武蔵村山市・立川市にあった日産自動車村山工場で働いていた元従業員の60代男性。
閉鎖された工場
工場閉鎖を断行したのは、金融商品取引法違反の疑いで東京地検特捜部に11月19日に逮捕された同社元会長のカルロス・ゴーン容疑者(64)。
1999年、約2兆円の負債を抱えていた日産に乗り込むと、再建計画「日産リバイバルプラン」を発表し、同工場など国内5工場の閉鎖を決め、取引先の部品メーカーなどの見直しを行い、日産グループ全体で約2万1000人の従業員を削減した。
ゴーン容疑者はこのとき、「(リバイバルプランを)成功させるためには、どれだけ多くの努力や痛み、犠牲が必要となるか、私にも痛いほどわかっているが、ほかに選択肢はない」と述べている。
業績をV字回復させて日産を立て直したことは間違いない。しかし、その言葉が心底から発せられていたものかは疑わしくなってきた。
同工場はJR立川駅から車で約15分。139万平方キロメートル、東京ドーム約29個分という広大な敷地でスカイラインや初代グロリア、マーチ、キューブなど主力車種を生産していた。2001年に車両生産工場は閉鎖され、一部残されていた製造部門も'04年に完全閉鎖した。
ゴーン容疑者は報酬隠しのほか同社の資金を私的に利用した疑いもある。
会社の金でフランスやブラジル、レバノンなど世界6か国に高級住宅を購入、自身の結婚式費用も捻出したとみられている。自分の財布と会社の財布の区別もつかないのか、元従業員らからはゴーン容疑者に対する“恨み節”が噴出する。
当時、日産自動車栃木工場に勤めていた元従業員男性は、
「リストラされた人の多くは50〜60代だった。親の介護や子どもの学校などのため転居できずに会社を辞めた人もいます。再就職がうまくいかなかった人や、退職金で飲食店を始めた同僚もいましたが、彼らはゴーン氏逮捕のニュースをどんな思いで受け止めたのか」
と思いを馳せる。当時50代だった知人がリストラされた、と話す元下請け会社の男性は、
「その知人は下請け会社に再就職したけれど、日産時代のことは一切話さないんです」
と切られた従業員の心の傷の深さをほのめかす。
追い込まれた従業員
村山工場でフォークリフトのエンジン設計などを担当し、全日本金属情報機器労働組合日産自動車支部で書記長だった境繁樹氏(75)は、
「リバイバルプランが発表されたとき村山工場では約3000人が働いていた。私たち組合の調べでは710人が神奈川県横須賀市の追浜工場に異動、1010人が栃木県上三川町の栃木工場に異動するなど、車種や業務に合わせて転勤を余儀なくされました」
と振り返る。
境氏によると、転勤するしかない従業員は家族の生活などを考え、その多くが単身赴任を決めたという。
しかし、例えば栃木工場で会社が用意したのは狭くて不便な独身寮だった。会社に尽くしてきたベテラン従業員はみな6畳ひと間に押し込められ、冷蔵庫を置くスペースもなく、トイレ・風呂・洗濯機は共同使用という生活を送った。
耐え切れずにマイホームを手放して家族で引っ越した者もいれば、仕事を辞めた者もいた。ストレスなどから離婚した夫婦も少なくなかったという。
「結局、'01年4月までに元村山工場出身の退職者は620人以上にのぼった。60歳まで勤め上げた定年退職者は100人程度にすぎなかった。つまり、従業員のほとんどは退職に追い込まれたんです」
と前出の境氏。
大規模リストラ後、会社は労働力不足を補うため派遣や非正規労働者の雇用を進めたが、ゴーン容疑者はリーマン・ショックに直面した'09年に派遣社員や非正規社員など2万人のクビをまた切った。
「ゴーン氏は、従業員の生活を向上させようという観点が全くない人間だった」(境氏)
ゴーンの俺様ぶり
怒りの声を上げるのは従業員だけではない。村山工場の跡地を訪ねると、元“日産の街”でも恨み節が……。
「工場閉鎖で大勢の人が泣きました。従業員とその家族だけでなく、部品を作っていた下請け工場、地域の飲食店や商店など日産に関わっていた人がみんな涙した」
と話すのは、日産通りにある飲食店の70代店主。
現在、通りで工場稼働当時から営業を続けているのはほんの数店舗だけという。
「日産がダメになって街が死んでしまった。急に過疎が進み、今もそれを引きずっています。ゴーン氏は村山工場をためらいなく潰し、閉鎖後も気にかけることはありませんでした。事件は悔しいし、許せない! ちゃんと日本の裁判で裁いて刑務所に入れてほしい。じゃないと納得がいかない!」(前出の店主)
栃木工場の別の元従業員は、
「就任当時、ゴーン氏が“再建するぞ”と張り切って仕事をしていた姿を見ていただけに非常に残念です。汗水流して働いて会社を守ろうとした思いは、根底では私たちとは一緒ではなかったんだな、と思いました。会社から“働け、働け”で、これまで働いてきた私たちは怒りますよ」
カリスマ経営者の素顔は、“銭ゲバ”だけではない。ゴーン容疑者の俺様ぶりを示すエピソードがある。
「就任してすぐうちの会社にゴーン氏が視察に来ると言い出し、そのとき赤絨毯を用意しろと要求されたんです」
と明かすのは日産関連会社の男性役員(70代)。ハリウッドスターじゃあるまいし、冗談だろうと思ったら、どうやら本気。社内で慌てて準備したという。
「ゴーン氏は視察当日、本当に赤絨毯の上しか歩きませんでした。しかも、ちょろちょろっとだけ。何様のつもりなんだ、と思いましたね。日本で仕事をしているのに日本語を覚えないし、通訳がいるので会話に困ったことはありませんが、信頼関係は何度会っても築けませんでした」(前出・関連会社役員)
さて、村山工場の跡地周辺をずいぶん歩いた。工場があったことを偲ばせるのは敷地の一画だった場所にある公園内の“スカイライン発祥の地”という碑文だけ。
前出・飲食店店主は言う。
「私は日産の車が好きだし、日産の街っていうことが誇りでした。でも、もう元には戻せない」
ゴーン容疑者の罪は重い。