合同お別れ会は晴れやかな空気に包まれていたという

「津川~!」「朝丘~!」

 参列者からの掛け声と盛大な拍手の中、式典は終了。津川雅彦さんと朝丘雪路さんの合同お別れ会は、晴れやかな空気に包まれた。

津川さんは以前から“葬儀は祭りだ!”と話しており、華やかな式典を望んでいました。会場はトルコキキョウやカーネーションの花束4000本に埋め尽くされ、関係者や友人ら約1100人が明るくふたりを送りました」(スポーツ紙記者)

 今年4月27日に朝丘さんが亡くなり、津川さんも8月4日にあとを追った。

娘の恋人を「片っ端から壊して」

「日本画家の伊東深水を父に持つお嬢様育ちの朝丘さんは、宝塚の娘役出身。『11PM』(日本テレビ系)でアシスタントを務め、“ボインちゃん”というニックネームで人気になりました。津川さんは映画『狂った果実』で本格的にデビューしたスター俳優。ふたりは'73年に結婚し、おしどり夫婦として有名でしたね」(映画ライター)

 翌年に真由子が生まれて幸せの絶頂だったが、生後5か月で誘拐されるという事件に見舞われる。

それもあって、津川さんは娘を溺愛していました。年ごろになった真由子さんに恋人ができると、片っ端から壊していったそうですよ(笑)」(芸能プロ関係者)

 お別れ会で真由子は「理想的な父と母とは言えない」と振り返りつつも、朝丘さんの微笑ましい姿を語った。

「4歳のとき一緒に買い物に行くと、朝丘さんは自動販売機に向かって“朝丘です”と名乗ったそうです。幼い真由子さんが“小銭を入れないと買えないよ”と注意しても“大丈夫よ、朝丘です”と言い続けていたんだとか(笑)」(前出・芸能プロ関係者)

 母になってもお嬢様ぶりは変わらなかったようだ。

 しかし、試練が彼女を襲う。

「'08年に津川さんが経営していた玩具事業が6億円の負債を抱え返済のため一家が住んでいた家を売却。さらに津川さんの30代女性との浮気が報道され、ふたりは別々に暮らすことになりました」(ワイドショー関係者)

 '13年に朝丘さんの認知症が発覚すると、津川さんは再び一緒に暮らして懸命に介護するように。

 芸能レポーターの石川敏男氏は、津川さんは朝丘さんに支えられていたのだと話す。

浮名を流しても最後に朝丘さんを選んだのは、彼女の穏やかさに惚れたから。津川さんにとって“男のわがまま”を最後まで聞いてくれたのが朝丘さんだったんでしょう

 芸能ジャーナリストの佐々木博之氏も、ふたりの絆の強さを感じていた。

朝丘さんが家事をできなくても、津川さんは気にしていない様子でした。たくさんの女性と関係を持ちつつも、“女優としての朝丘雪路”を守っていたんだと思います

 名優同士の結婚生活は、世間の常識で測ることのできない深い思いに満ちていた。