テレビで見ない日はなかったのに……。流行語を生み出した芸人たちは何処へ─。
'98年に「だっちゅ~の」が『ユーキャン 新語・流行語大賞』(以下、流行語大賞)の年間大賞に選ばれ、異色の女性お笑いコンビとして一世を風靡した『パイレーツ』。メンバーのひとり、浅田好未は、当時をこう振り返る。
「朝から夜中まで仕事で家に帰る時間がない日もあり、移動中の車で仮眠をとってまた仕事……という毎日でした。休みは1か月に1日あるかないかで、プライベートの思い出がほとんどないくらい忙しかったです」
ブレイクから3年後、相方の西本はるかが脱退。'02年、『新生パイレーツ』を結成するも、'04年に解散。所属事務所も辞め、浅田はタレントとして引退状態となったが……。
最高月収は2800万円!
「'07年に男児、'12年に女児を出産し、ママタレントとして復活。現在はオーダージュエリーやオリジナル食器をプロデュースするなど、女性のライフスタイルを応援するプロデューサーとして活動しています」(芸能プロ関係者)
主婦目線のモノ作りが好評だっちゅ~の。
「売れたら女優さんとかアイドルがいっぱい寄ってきて、モテるかと思っていたけど、何もなかった……、残念!」
と話すのは『ギター侍』こと波田陽区。ネタのシメゼリフ「残念!」は、'04年の流行語大賞に選ばれた。ブレイク時は最高月収が2800万円にもなったが、前出の浅田同様、朝から夜まで休みなく働いていたという。彼は3年前、40歳を機に福岡へ移住。
「仕事は福岡や山口でいただき、細々と何とか生活しています。いまだに私服だと誰にも気づかれませんが、家族3人で仲よく暮らしていますよ。山口にある実家も近く、親元にもよく帰れているし、幸せですね」(波田)
'07年に結婚、'09年には男児が誕生。プライベートの時間も楽しく過ごしながら、テレビ3本、ラジオ2本のレギュラーをこなす「残念」じゃないリア充ライフを満喫中。
「1度、全国レベルで売れた芸人が、地方局で活躍しているケースがけっこう多いんです。'07年に“右から左へ受け流す”が大流行したムーディ勝山さんも、地方でレギュラー番組が5本と、再ブレイク中です」(テレビ誌ライター)
波田と入れ替わるように'05年にブレイクしたのが、レイザーラモンHG。黒いホットパンツに身を包み、『ハードゲイ』を名乗って、ひたすら腰を振りまくる。「フォー!」というHGの決めゼリフが流行語となった。
「年をまたぐと、目に見えて仕事が減ったようです。芸人としての月収が7000円にまで落ち込むいっぽう、妻でグラドルだった住谷杏奈さんが石けんや下着のプロデュースで大成功。妻の収入だけで暮らす生活が続き、プロレスに挑戦するなど仕事も迷走ぎみでしたね」(前出・芸能プロ関係者)
現在は一転、原点回帰。
「周りを見ると同じ境遇の仲間たちがたくさんいることを知り、総勢30名を超える『一発屋会』を作っていろいろなイベントを企画しています。コンビとして漫才も始めて、順調にやっています」(HG)
“干された”報道に胸を痛めて
そんな彼から、これから流行語大賞に選ばれる芸人にあてたメッセージがコチラ。
「胸を張って受賞してもらいたい。もし、これから仕事が減って悩むようなことがあれば、一発屋会という組合が責任を持ってカウンセリングさせていただきたい」
ひょっこりはんも、これで安心して流行語大賞の会場で大暴れできフォー!
テレビからエド・はるみの「グ~グ~」の声がよく聞こえてきたのは、'08年のこと。
「翌年にはテレビから姿を消しました。劇場や講演会などテレビ以外の仕事をしていたのですが、“干された”など根も葉もない報道に心を痛めていたようです」(前出・テレビ誌ライター)
そんな中、一念発起して'16年に慶応義塾大学大学院を受験して見事、合格。この春に修士号が授与された。
「エドさんはとてもまじめな方です。大学院では、広い視野で社会をとらえ直し、さまざまな価値観や考え方を学んだうえで、“それでも私はこう思う”という発信をするための勉強をしたかったようです」
と話すのは、10月に発売されたエドの書籍『ネガポジ反転で人生が楽になる』(日経BP社)の編集担当。
「エドさんが大学院で研究してきたネガティブなことをポジティブに変える考え方と行動を伝える1冊です。人生のどん底を知っているからこそ、彼女の言葉には説得力がある。論理的に書かれた論文を拝見し、本にまとめようと依頼しました」(同・編集担当)
実体験を交えた講演会も人気で、オファーは絶えない。まさに「グ~」な第二の人生を送っている。
'10年、「ととのいました」でなぞかけ人気を牽引した漫才コンビ『Wコロン』のねづっち。
「その年の1月に『アメトーーク!』(テレビ朝日系)でなぞかけを披露したら、MCの宮迫博之さんが“今年くるんちゃうか!?”と。すると、翌日から仕事の依頼がびっくりするほど来て、その年の大みそかまで休みがない状態になりました」(ねづっち)
8年たった今も、忙しい日々を過ごしているという。
「当時と違いネタを作る時間もあり、月に1回、単独ライブを行っています。おかげさまで、それも80回を超えました。“ネタをやってこそ芸人”が持論なので、これからも舞台に立ち続けていきたいです」(ねづっち)
進むべき道も、すでにととのっているようだ。
'12年に「ワイルドだろ〜」のスギちゃん、'14年に「ダメよ~、ダメダメ」の日本エレキテル連合は、まだ記憶に新しい流行語だ。
「スギちゃんは'17年1月に男児が誕生して以来、イクメン芸人となり、ブログは父子写真がひしめき合っています。そのおかげか、'14年から放送している小学校低学年向けの教育番組『さんすう犬ワン』(Eテレ)にレギュラー出演しています。日本エレキテル連合もテレビには出ていませんが、地方の営業は盛況。YouTubeに毎日1ネタ投稿しています」(前出・芸能プロ関係者)
副業で安定した収入を得る芸人もいる。'03年に「間違いない」というフレーズでブレイクした長井秀和は、六本木で昭和風のパブを経営中。彼の店の前で直撃した。
─どういった経緯で、このお店を経営することに?
「1年前から、知り合いと一緒に共同経営しています」
─現在の主な活動は?
「お笑いライブ以外に、ネットテレビ、ラジオ、舞台に出演したり、パーティーの企画や主宰をしたりしています」
─今年の流行語大賞には、何が選ばれると思いますか?
「実は、私の家にはテレビがないので、最近の流行はあまり……。1年前くらいに外国人女性と結婚しまして、彼女はまだ日本語があまりわかってないもんですから」
過去の報道からして外国人好きは間違いないようだが、流行だけでなく世間からも取り残されないように「気をつけろ!」。やっぱり一大ブームを築いた芸人たちは「半端ないって」─。