元日産自動車会長兼CEOのカルロス・ゴーン氏が逮捕されたことで、日本の司法制度に世界の注目が集まっている。
海外のマスコミは特に、東京地検特捜部がゴーン氏を軽率に逮捕したという批判を強めている。中でも辛辣なのが、2018年11月26日にウォール・ストリート・ジャーナルに掲載された「ゴーンへの審問」という記事だ。
「かつて会社の救世主としてもてはやされたCEOは、財務上の不正行為を働いたという内容がメディアを通じて漏れ聞こえてくる中、空港で逮捕され、起訴されることなく何日間も勾留され、弁護士の立会いなしに検察から尋問を受け、地位を追われた。共産主義の中国で起きたことではない。資本主義の日本で起きたことだ」
警察署ではなく、拘置所に送られたワケ
今回の逮捕劇は、日本に進出する外資系企業のトップにも大きなショックを与えている。
「ゴーンの逮捕はありえないほど乱暴に行われた。羽田空港で10人もの東京地検特捜部の係官とテレビカメラが待ち構えているなんてことは、日本ではめったに起こらない」
と、フランス企業アトスのティエリー・ブルトン会長兼CEOは話す。そしてその恐怖は日本人も同じように感じているのではないか。
日本のメディアの中には、こうした海外の反応を過剰と捉えているところもある。そうしたメディアは、法務省の職員や弁護士の話を引用して(ただし、元被勾留者の話は引用していない)、ゴーン氏が置かれている状況は常軌を逸したものではないと説明している。
だが、実際の状況は勾留経験者でないとわからないかもしれない。そこで、今回は複数の勾留経験者に話を聞き、ゴーン氏が実際にどのような生活を送っているのかを推察してみたい。
日本では、逮捕されると、東京・葛飾区小菅にある東京拘置所のような拘置所で勾留されることになっているが、実際は警察署に拘束されることが多い。容疑者を近くに置いておくことができるので、捜査機関にとって都合がよいのだ。ゴーン氏の場合、担当の検察官はゴーン氏を小菅に送った。
このことについて、頻繁に小菅を訪れている佃克彦弁護士は「おそらく、ゴーン氏がよく知られている人物であるため、検察は法律の条文に従いたかったのだろう。理論上は、身柄の拘束に警察署を使用すべきではない」と語る。
東京拘置所には、被勾留者のほか、受刑者や死刑囚も収容されており、死刑執行室もある。小菅は、過去に逮捕された著名な人物たちが全員行き着いた場所だ。
ロッキード事件で名誉を失った田中角栄は、1976年にここに入れられた。ソビエト連邦のスパイだったリヒャルト・ゾルゲの絞首刑が行われたのもこの拘置所(当時は豊島区西巣鴨)だ。オウム真理教の教祖、麻原彰晃の絞首刑も、2018年7月6日にここで執行された。
複数の勾留経験者によると、小菅の体制はとりわけ細かく体系化されており、隅々まで行き届いた監視のおかげで身体的な暴力は発生しない一方、精神的なプレッシャーを感じないときはない。
小菅に到着した被勾留者は、まず一連の質問に答えなくてはならないのだが、異なる刑務官から同じ質問が繰り返される。勾留した人物がウソをついていないかを確認するためだ。おそらく、こうした質問の中で最も不条理なものは次のようなものだ。「今、何か不安がありますか?」。
裸にされて、絵を描かれる
「ゴーン氏は厳しい身体検査を受けなければならない。まず身体的特徴で3つのことがチェックされる。入れ墨を入れているかどうか。指つめをしていないか。そして男性器にボールを入れているかどうか。つまり暴力団の人間が受けるような検査を全員が受けなければいけない。これは非常に侮辱的だ。そして、完全に裸にされ、体にケガがないかどうかを調べ、絵を描かれる」
と、自身も東京拘置所で512日間を過ごした作家の佐藤優氏は話す。
通常の被勾留者が利用する畳の独居房の広さは約3畳。「ゴーン氏の部屋には、おそらく監視カメラとマイクが付いているのではないか」と佐藤氏は見る。
部屋には布団、小さなテーブル、そして座布団があり、壁には流しがついている。お皿とお椀が1枚ずつ与えられる。鏡はない。正面ドアには明かりを取るための穴が開いており、食事を出し入れする小窓が付いている。部屋に暖房器具はない。
勾留者は午前7時ごろに音楽で起こされる(佐藤氏によると、ウインナ・ワルツだった)。自分で布団を畳んだ後、刑務官から「あなたの番号は?」と聞かれ、それに答える。同じ質問を1日に2回尋ねられる。「ゴーン氏は重要人物のため、番号は0か5で終わるはずだ」と佐藤氏は言う。
朝食は、ご飯とみそ汁。器は洗ってから刑務官に返す。次は運動の時間だ。数分間だけストレッチを行う。朝にはラジオを45分聞く。昼食時にはNHKのニュースが流れているが、「ゴーン氏に関するところは消されているのではないか」と佐藤氏は見る。
昼食後は昼寝をする。しかし、布団の上ではなく畳の上で、だ。入浴は週に2、3回できる。
頭から50cm先には正面ドアがあり、体を覆うのはぺらぺらのシーツだ。午後4時20分になると夕食が支給される。通常は新聞や本を読むことができる。本にメッセージが書き込まれていないかを刑務官が確認した後であれば、本を受け取ることができる。
ゴーン氏は本を受け取ることはできるが、新聞を読むことは許されていないと見られる(弁護士が面会中に読ませることは可能)。
最もつらいと思われるのは、居室内で一定の姿勢を保っていなければならないということだろう。布団に寝そべることも、その上に座ることも許されていない。1日中、座布団の上で特定の姿勢で座っていなくてはならないのである。
佐藤氏によると、午後7時になると、部屋の電気が半分暗くなるが、ベッドに行くこともできなければ、本を読んだり、モノを書いたりすることもできない。話すことも許されていない。
被勾留者は1日に30分間だけ「散歩」することができる。散歩をするには、居室から出て床に引かれた白い線に沿って歩く。その線は拘置所の屋上まで続いている。散歩中は、左右を見ることも、ほかの被勾留者に視線を送ることも許されていない。
「これについて拘置所は、ほかの被勾留者のプライバシーを尊重するためだと説明している。しかし本当のところは、勾留者された人をよりよく統制するためのものだ」と佃氏は言う。
ゴーン氏がいるのはおそらく10階か11階
この白線は外へと続いているが、そこは別の閉ざされた空間である。その場所では通りの音が聞こえてくるのだが、屋根こそないものの、周りはフェンスに囲まれている。
そのフェンスには、中にいる者が空と見張りの警備員しか見ることができないような角度で板が施されている。「あるとき、偶然、東京の背の高い建物のシルエットが見えました。涙が出そうでしたよ」とある元被勾留者は話す。
もっとも、佐藤優氏は「私の場合は建物の中で、網が張ってあり屋根があるコンクリートの箱の中を歩くだけだった」と語っており、ゴーン氏も全く外に出られていない可能性もある。
被勾留者は月曜日と火曜日に軽食を購入することができる。水曜日は飲み物とアイスクリームの日だ。金曜日にはカタログショッピングができる。シャンプー、数珠、まくら、化粧水などが売られている。
ゴーン氏はおそらく死刑囚や“VIP”の多くが勾留された10階か11階にいると見られる。
ゴーン氏の1日のほとんどは、検察当局が行う取り調べで占められているだろう。佐藤氏によれば、取り調べは最大14時間にも及ぶことがある。捜査員は途中で電気を消すことがある。パソコンの光で捜査員の顔だけが照らされ、これが心理的なプレッシャーになるそうだ。
ただし、身体的な暴力はない。ほかの被勾留者同様、ゴーン氏が自身の弁護士と面会できるのは取り調べの時間外のみだが、少なくともこの時は弁護士と2人だけで話ができる。
証拠隠滅を防ぐために、原則として、外部からゴーン氏に連絡を取ることは禁止されている。裁判官は、例外として、ゴーン氏が1日に15分ほど家族と会うことを許可することはできる。面会者はガラスで分け隔てられた状態で、日本語で話さなくてはならないが、刑務官が英語を理解できる場合や、通訳者が手配できる場合は英語で話すこともできる。
面会はなかなか認められず、現にゴーン氏は家族と面会できていない。ゴーン氏が嫌疑を否認していることから、同氏が家族との面会を希望しても、それが受け入れられる可能性は低いだろう。
一方、ゴーン氏は、弁護人の大鶴基成氏(驚くことに、大鶴氏は、ゴーン氏の取り調べにあたっている東京地検特捜部にいた人物である)のほか、世界のどのような国でも外国人の勾留された人に認められている領事保護制度の下で、フランスの大使、レバノンの大使、ブラジルの総領事 と面会することができた。
ゴーン氏の身柄拘束は逮捕後は22日ほど続くはずだ。これは日本における最長の逮捕・勾留日数であり、検察は、証拠を集めたり容疑者を尋問するためにこの期間を最大限に使うことが多い。
しかし、1つの容疑ごとに逮捕・勾留が認められていることから、実際の勾留期間は検察の方針次第となる。日本経済新聞などの報道によると、ゴーン氏は勾留期限である12月10日にも再逮捕され、12月30日まで勾留される可能性がある。また、いったん起訴されれば、保釈が認められない限り勾留が続く。
日本における逮捕と勾留の状況は、ほかの先進国の民主主義の標準から大きくかけ離れている。ゴーン氏は起訴すらされておらず、現時点では、無罪と推定され、罪を犯していない人として扱われるはずである。それにもかかわらず、すでに2週間以上勾留され、拘置所の中でも自由をひどく奪われている。
フランスでの勾留時間は最大48時間
パリに拠点を置くフランス人の刑事弁護士であるイヴ・レベルキエ氏は、フランスでは「親類、そして弁護士に自身の逮捕を連絡することがまず許される。通常のケースでは、勾留されるのは24時間または48時間。共謀の嫌疑をかけられているのなら96時間だ」と説明する。
「(フランスであれば)弁護士は、ゴーン氏が勾留される前に同氏と30分間話すことができただろうし、尋問の際にはいつでも立ち会えただろう。ただし、ゴーン氏と話すことはできない。別の罪があったとしても、日本のように勾留の期間が延長されることはない」
「日本の問題は勾留期間の長さ以上にその状態にある。この期間中、弁護士の役割はあまりにも限定的だ」と日仏司法制度の比較を専門とする白取祐司弁護士は言う。
ゴーン氏の事件はフョードル・ドストエフスキー著『死の家の記録』を思い起こさせる。この小説の中で、ロシアの偉大な作家であり、貴族出身の教養あるドストエフスキーは、シベリアの監獄で過ごした4年間の自分自身の経験について語っている。
ドストエフスキーの証言は、これまで書かれた中でも、監獄の状況を訴えたものとして最も重要なものである。
ゴーン氏はドストエフスキーのような文学の才能を持ち合わせてはいないし、小菅はシベリアの監獄でもない。
しかし、ゴーン氏は、われわれ全員が将来何かの間違いで経験するかもしれない日本の刑事司法制度の重要な証人である。彼の拘置所での経験を明らかにすることは、日本に暮らしているすべての人々にとって(日本人であれ、外国人であれ)利益になることだろう。
レジス・アルノー『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員 ジャーナリスト。フランスの日刊紙ル・フィガロ、週刊経済誌『シャランジュ』の東京特派員、日仏語ビジネス誌『フランス・ジャポン・エコー』の編集長を務めるほか、阿波踊りパリのプロデュースも手掛ける。小説『Tokyo c’est fini』(1996年)の著者。