落語に登場する面々が暮らすのは、裏路地の長屋。7月に亡くなった桂歌丸さんの家も、一軒家ではあるものの建坪約10坪の狭い敷地にある。
「人間国宝になるんじゃないかと言われたほどの方なのに、庶民的で質素な家です。歌丸師匠は横浜の真金町で遊郭を営む祖母に育てられましたから、この土地に愛着があるんですよ」(落語関係者)
30年ほど前に建て替えたという家は、冨士子夫人の実家のすぐそばにある。
地元を愛し、地元に愛され
「師匠が出かけるときは、必ず冨士子さんが表通りまで出て見送るんです。結婚当初はまだ落語の稼ぎが少なくて、彼女が化粧品の営業で家計を支えていました。歌丸さんがたまに高座のギャラをもらうと、当時は高級品だった食パンを買ってきてうれしそうに渡していたそうですよ」(近所の住民)
真金町をこよなく愛した歌丸さんは、地元のそば店『安楽』が大のお気に入り。
「お弟子さんが集まると出前を取るんです。決まって鍋焼きうどんを頼んでいましたね。今も冨士子さんから注文を受けるそうですよ」(常連客)
月命日には玄関先で関係者がお焼香をあげる。今は遺影が置かれているが、以前は贈り物で埋め尽くされていた。
「全国から届いた手紙や色紙などが家の中にあふれていたんです。広い家ではないので、階段にまで置かれていました」(前出・近所の住民)
冨士子さんの居住スペースの確保もままならず、歌丸さんの子どもたちが遺品整理を始めた。手伝ったのが、地元の横浜橋通商店街協同組合理事長の高橋一成さんだった。
「歌丸という名前が刺しゅうされたシャツや師匠の顔が描かれた日傘など貴重な品々もありました。娘さんたちは置き場所に困っていたんですが、私が譲り受けることにしたんです」(高橋さん)
『笑点』グッズや歌丸さんの私物に関しては、全国のイベントに無償で貸し出す予定だ。
遺品贈与について冨士子さんにコメントを求めたが、「今は、歌丸師匠のことについて話せない」とのことだった。夫人の悲しみはまだ癒えていないが、商店街の人々が代わって彼の偉業を後世に伝えようとしている。
「師匠が亡くなった日に哀悼の意を込めて横断幕を商店街の入り口に。献花台にはのべ1万人のファンが訪れ、贈られた花は毎日、葬儀場に届けていました」(商店街関係者)
歌丸さんは『笑点』から永世名誉司会者の称号を贈られているが、商店街からも誉れ高い栄誉を与えられた。
「もともと“横浜橋名誉顧問”という肩書があったんです。お亡くなりになって、それが“横浜橋永久名誉顧問”に昇格したんです。これからも、商店街の顔であり続けてもらいますよ」(同・商店街関係者)
来年の2月18日には、追悼落語会も開催される。
「地元の南区公会堂が会場です。お弟子さん5人が高座に上がりますよ。『笑点』メンバーの三遊亭圓楽さんも駆けつけてくれる予定です」(前出・高橋さん)
地元の人々が笑顔で歌丸さんを偲ぶ会になるはずだ。