'17年8月。北海道マラソンで優勝し、東京五輪のマラソン代表を選考するために設けられたレース・MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)ファイナリスト第1号となった村澤明伸さん('10 〜'12年・東海大)。
端正な顔立ちに、軽やかな走り。前を走るランナーはあがこうともとらえられ、置いていかれる。箱根駅伝の醍醐味のひとつ“ごぼう抜き”で見る者の胸を熱くさせた選手が東京五輪を狙っている。
伝説の32人抜きの過去
「実際に走るまで、箱根駅伝を特別意識したことはなかったです。全日本インカレなど、そのときどきの目の前のレースが、僕にとっては大切だったので」
箱根駅伝予選会では1年生ながらトップでゴール。本選ではエースが集う2区で10人を抜いた。2年次も2区を担い、20位で襷を受け取ると、怒濤の17人抜きを達成。MVP(金栗四三杯)に輝いた。
「どういう基準で選ばれるのかわかりませんが、もちろんうれしかったですよ」
3年次も2区で5人抜き。4年次は主将ながらケガの影響で予選会を走れず。東海大は本選出場を逃した。ただ、4年間で32人抜きという偉業は今なお日本人歴代トップだ。だが、本人は、
「あまりピンとくるものはないですね。抜いた人数は、襷をもらう位置によって全然変わるので。金栗四三杯も、今となっては……という話だと思います」
と、あくまでクール。
「そうですか? ただ、箱根駅伝は真剣勝負のレースではありますが、独特の雰囲気のお祭りみたいで。もちろん、現在の長距離の盛り上がりは箱根駅伝の影響が大きいですし、箱根をきっかけに自分を応援してくださる方が増えたことはすごくうれしいです」
箱根駅伝で燃え尽き、実業団に入ってもあっけなく引退する選手が少なくない中、村澤さんは学生時代から箱根の先を見据えていた。“日の丸をつけて、世界で活躍したい”。しかし、日清食品グループに入った村澤さんはケガに泣かされ、伸び悩む。
「社会人4年目は、リオ五輪の年でした。1万mで代表になれなければ、トラック競技に終止符を打って、マラソンに転向しようと決めていました」
代表を決める日本選手権、結果は8位。練習メニューをガラリと変えた1年後、『びわ湖毎日マラソン』('17年3月)では28位に沈む。その後、結婚し、人生の伴侶を得た。北海道マラソンでは速すぎたペース配分を見直し、見事優勝!
「こみ上げてくるものはありました。ただ、MGC対象レースに決まる前にエントリーしていたので、(MGC出場権獲得は)“そうだったんだ”くらいの感じで。今となっては、焦ってMGC対象レースに出なくてもいいのでよかったなとは思います」
“世界の舞台”でしっかり活躍したい
ズバリ来年9月のMGCで、東京五輪の代表を射止める自信は?
「僕の場合、欲を出すと、自分を見失って走れなくなるところがあるので」
大迫傑選手や設楽悠太選手は、日本記録を更新して1億円をゲットしているライバルだ。
「いいなぁと思います。ただ、僕は大学4年で脚を痛めて以来、やってきていることが彼らとはまず違う。比べると自分の足元が見えなくなりますし、比べたところでしかたがない。もちろんMGCで勝負したい気持ちはありますし、母国開催の五輪を走れたらうれしいし、光栄。
ただ“東京五輪だから”と特別視したくない。陸上は、五輪はもちろん、世界選手権やワールドメジャーシリーズのマラソンもあり、いろんなところで世界と戦うことができる。僕は“世界の舞台”でしっかり活躍したい。それだけなんです」
《PROFILE》
村澤明伸さん ◎日清食品グループ 陸上競技部(東海大OB)。箱根駅伝に3度出場し、計32人抜き(すべて2区)を達成。'17年8月、北海道マラソンで優勝(2時間14分48秒)し、MGC出場権を得る。自己ベストは2時間9分47秒。