滝沢秀明と過ごす最後のひととき
2002年9月8日。
私はポンポンを掲げ、スニーカーで横浜アリーナのフロアを駆けていた。
なぜ? 3日後(9月11日)に控えたタッキー&翼のデビューを祝し、ファンから2人へサプライズを仕掛けることになったから。
徹夜でこしらえたポンポンをリズミカルにかざし、2000人のファンが『おめでとう』『Hatachi』などの人文字を次々と浮かび上がらせた。
「すげー!!」
そのさまを見ていた“滝翼”が破顔する。フロアに降りてきた二人を、今度はアーチを作ってファンが出迎える。今まさに“スタートする”彼らと触れ合いながら、誇らしさでいっぱいだったあの日。
まだ昨日のようにさえ思えるあの日から、気がつけば16年――。
2018年12月20日。
あの日からだいぶ大人になったものの、いまだ苦手なヒールを履いて、私はグランドプリンスホテル新高輪・飛天の間に向かっている。今日ここで催されるのは、年内で芸能活動を退く滝沢秀明さんのディナーショー。私にとっては、彼と共に過ごす最後のひとときだ。
この“16年”の時間を経て、自分の胸に何が残るのか? 時系列に沿って追ってみたい。
◆17:18 グランドプリンスホテル新高輪・飛天に到着。
ここは『FNS歌謡祭』の会場としても使われる同ホテルのメインバンケットルームである。すでに多くの人が集まり、入場列に並んでいる。参加者の年齢の中央値はおそらく50代。10〜20代と思しき女性の数は決して多くない。また少数だが、男性の姿も見受けられた。
◆17:40 受付に座席引換券、身分証明書、会員証を提示し、座席券と引き換える。
クロークにコートを預け、会場ロビーでドリンクを受け取った。ピンクとブルーのオリジナルカクテルが用意されており、まずここで胸が熱くなる。
言うまでもなく、ピンクは滝沢さん、ブルー(水色)は今井翼さんのイメージカラー。ともすれば涙腺がゆるみそうになるのを必死にこらえ、祝花やら写真パネルやら、なんでもかんでも写真に収めた。
「専念する時間をください」
◆18:05 入場。
9人掛けの丸テーブルが76卓ほど。テーブルでドリンクを飲みながら待つ。今回、同時申し込みは2名までだったので、私を含め1人参加の人も多い。
にぎやかに談笑するというより、悲しみがはじけてしまわぬよう、お互い用心しながら少しおしゃべりする、という雰囲気だった。
◆18:45 食事開始。
料理が運ばれるたび、滝沢さんの動画がスクリーンに流された。彼は私たちと同じ料理に向かい、「みんなは好きなものから食べる? あっ、エビがある! (エビを食べると見せかけて)じゃあね~トマト!」などとおどけて見せる。
滝沢さんとバーチャルデートを楽しめるような趣向だ。
食事が進むたび、「ああ、もうデザートだ。もうすぐ終わっちゃう……」と思いながら、もくもく食べた。
食事をしながらも、料理写真をパシパシ撮る。気を抜くと、まるでモグラ叩きのように切なさが顔を出してしまう。シャッターを切り続ければ、これを引っ込められるような気がしたのだ。
◆18:58 再びビジョンに動画が流れた。
「テーブルごとに、滝沢さんに聞きたいことと、それを発表する代表者を決めてほしい」
とのこと。みんなで話し合い、代表者はジャンケンで決めた。ただし、発表できるのはクジ引きで選ばれた数テーブルのみ。
◆20:00 ショーが開演。
フロア中央のお立ち台にフードを被った男性が現れ、「滝沢さん?」と思いきや……。
本人はメインステージから登場。
「みんなは拍手は上手だけど、もっとキャー! とかほしい」という彼の要望に応え、「タッキー!」と、ちょっと頑張った歓声が飛ぶ。
ここからは、もう一瞬たりとも目を離したくない。瞳が干からびても構わないと、ひたすら滝沢さんを見つめ続けた。
滝沢さんのソロ曲である『記憶のカケラ』『894…ハクシ…』『キ・セ・キ』。
「おしゃべりも大事だけど、今日は1曲でも多く歌いたい」
という、滝沢さんの熱唱を鼓膜に焼き付ける。できれば耳にフタをして、持ち帰りたいとさえ思った。
宴が進み、くだんの質問コーナー。
最初に飛び出したのは、「このディナーショーは映像化されますか?」というもの。
「ちょっと難しいかな。もっと早く言ってくれれば。みんなは、(ここに来られた)選ばれし者でしょ?」
と苦笑する滝沢さんに、なおも私たちは食い下がった。
「来られなかった人もいる!!」
そう、そうなのだ。私たちの中には、いつだって“来ることができなかったもう一人の自分”がいる。泣いてうずくまる彼女たちの姿が見えるから、なんとかして“みやげ”を持ち帰りたかった。少し滝沢さんを困らせてしまったけれど……。
それでも滝沢さんは、
「(演者としては退くけれど)自分はずっとエンターテイナーであるし、“滝沢秀明のファン”をやめてもらう必要はないと思う。“滝組”のみんなは、生涯“滝担”(滝沢さんファン)です」
というメッセージをくれた。また、
「(何かしらみんなとつながれる手段は考えたいけれど)まずは、新しく選んだ道に専念する時間をください」
とも。
さらに、本公演を見学に来ていたジャニーズJr.の人気ユニット“Snow Man”“Travis Japan”、そして林翔太さん(ジャニーズJr.)を紹介し、改めて後輩の育成に注力したいと語った。
Snow Manは、来春、京都南座で開幕する滝沢さんプロデュース作品『滝沢歌舞伎ZERO』に出演が決まっている。
ショーの後半、滝沢さんはすべての卓をまわり、参加者とハイタッチを交わしていった。
左右から差し出される手に応えきれず、「がっつかない!」「(追いつかないので)もう、適当に触って?」と笑いながら通路を歩く彼は、御身に触れさせることで民を救う、尊い仏のようだった。
奇跡のような後輩Jr.との遭遇
◆21:30 最後の一曲。
万感の思いを込め、滝沢さんが最後に歌い上げたのは『WITH LOVE』。彼の主演舞台『滝沢歌舞伎』で歌われてきた、象徴的なナンバーだ。
たとえ遠く離れていようとも……。このくだりで、隣席の女性がしゃくりあげ涙をこぼした。私も落涙を防げなかった。みっともないけれど、鼻水も。
◆21:38 ショーが終了。
滝沢さんは深く頭を下げ、「このあと、みなさんお一人お一人におみやげをお渡ししますので」と微笑んだ。
◆21:40 会場前ロビー、滝沢さんの軌跡をちりばめた写真パネルの前でお見送りが始まった。
何か気の利いたことを言いたいと思うのに、頭が回らない。もう私の番だ。ほら、何か、考えて……。
結局、「がんばってください」としか言えなかった。
けれど彼はしっかりと目を合わせ、「ありがとう」とおみやげを手渡してくれた。私と滝沢さんの、最後の時間が終わった。
◆21:56 クロークでコートを受け取り、化粧室に寄る。
心もとない気持ちをなんとか立て直さないと……そう思いながら鼻をかんだ。
会場を出てエントランスに続く階段を下りると、いきなり目の前でエレベーターのドアが開いた。突然のことで面食らう。中から降り立ったのは、かくも美しい青年たち。
なんと、先ほどまで会場にいたSnow Man、そしてTravis Japanの面々だった。驚き、思わず「ふっか!?」(Snow Man・深澤辰哉さんの愛称)と声が漏れてしまう。
微笑み、両手を振ってくれる深澤さん。
さらに、すぐそばにいた川島如恵留さん(Travis Japan)の言葉に、おぼつかない胸は毛布を掛けられたようにぬくもった。
「素敵なステージでしたね……!」
私がショーの参加者とわかったのだろう、敬意といたわりを込めて、声をかけてくださったのだ。今、失意の底にあるだろう先輩ファンをおもんぱかり、態度で示してくれたありがたさ。
大切なファンとどう向き合うべきか? この思いやりこそは、彼らが滝沢さんから引き継いだものに違いない。人生の第2章に漕ぎ出した彼の魂は、間違いなく後輩たちが受け止め、さらに磨かれてゆく。
“滝沢秀明”は、ここにいる。彼が手がける作品に、後輩たちの振る舞いに。むしろ輝きを増して私たちはその存在を感じとることだろう。
今この瞬間、寂しくないと言えば嘘になる。ただ、おとなしくは待たない。会えずとも、思い、支え続ける決意をした。
彼の面影を見つけるのを楽しみに歩いていけばいい。“滝組”の絆は太く、“滝担”は強い。私たちは、ずっと“殿”についていく。
頼もしい後輩の心遣いに感謝し、私も強く一歩を踏み出した。
プロフィール
みきーる/ジャニヲタ・エバンジェリスト。ライター・編集者。
グループを問わずジャニーズアイドルを応援する事務所担。応援歴は25年超、3日に1度は現場参戦。著書に、『ジャニヲタあるある』(青春出版社)、『ジャニ活を100倍楽しむ本!』(青春出版社)など。
◆Twitter @mikiru
◆オフィシャルブログ 『ジャニヲタ刑事!』