「この本は最後まで読むことができない」
森見登美彦さんの最新作は、そんな謎の言葉で語られる「幻の本」をめぐる物語だ。これまで京都が舞台の作品を多く書いていた著者だが、本作では、奈良から東京、京都、さらには国境を越えた異国の地へと舞台が広がっていく。
8年かけて完成
著者自身「大遠征になりすぎて戻ってこられないかと思った」と語るほどの壮大なストーリーを書いた背景とは?
物語は、奈良に住む森見登美彦さんと思われる小説家がスランプに陥っているという場面から始まる。何も書けない日々を過ごしていた主人公だったが、佐山尚一という作家が書いた小説『熱帯』を思い出したことによって、話は大きく動きだす。
「Web文芸誌で『熱帯』を連載していたのはいまから7年以上前。“小説”についての話はいつか書きたいと思っていたのですが、アマゾンからアクセスできるWeb文芸誌の連載ということで、“本”をテーマにするのはいいチャンスだと思って。軽い気持ちでスタートしたんです」
2010年~2011年に物語の前半部分である3章までを書き終えた森見さんだったが、ある日、筆が止まってしまったという。
「小説を書くことが嫌になってしまって。なぜ小説を書くんだろう、小説ってなんだっけ? と考え始めたら、かつてどのように話を書いていたのかわからなくなってしまったんです」
苦しい時期を乗り越え2016年に前作『夜行』を書き終わり、ストップしていた『熱帯』を完成すべく机に向かった森見さんだったが、そうすんなりと事は運ばなかった。
「幻の本について書いているうちに、スランプに陥っていたときに考えていたこと、つまり“自分にとって小説を読んだり書いたりするということは、いったいどういうことなのか?”という疑問がどっと流れ込んできて、収拾がつかなくなってしまった。
よく考えてみると、小説家にとって“小説を書く”という行為は、仕事であり自分の人生そのもの。それについて書くのだからそう簡単にいくわけないですよね。結果的に過去最長の物語となりました」
物語の中心となっている小説『熱帯』は不思議な本で、読んでいる最中に消えてしまうため、これまで誰ひとりとして最後まで読み通したことがないという。
『熱帯』に惹かれて集まった“学団”のメンバーたちは謎を解明すべく行動を起こすが、秘密を解き明かそうとすればするほど、より深みにはまっていく。
ストーリーの緻密な構成によって、読者はまるで小説の中に迷い込んでしまったような不思議な感覚に陥ることになるが、ラストには想像もつかない展開が待っていて、気持ちよく驚かされる。
「自分の読書体験として、夢中になって小説を読み終わったときは、“読む前にいた世界とは違うところに抜け出ている”という感覚があり、それを表現したいというのはありました。ただ、世界が広がりすぎてどう戻ってくればいいのか私自身がわからなくなり、小説として完結させるのにはかなり苦戦しましたね。
よく、“これはつまり、こういう解釈ですか?”と聞かれるのですが、ひとつの正解をつくっているわけではないので、読者の想像力によってどのように考えてもらってもいいと思っています」
小説とは何か
「小説とは何か」という、作家にとって究極ともいえるテーマに真正面から向き合った本作。森見さんにとって、小説を書くモチベーションとは?
「書くことで、自分が見たことのない世界を見たい。この好奇心ですね。冒険家が旅をするように、小説を書いて自分の内側を探っていくことで新しいものを見つけたい。
今回の作品も、当初の予想をはるかに超えたものとなりました。ただ、これだけ死闘を繰り広げて完成させても、自分にとって“小説は何か”ということは結局のところわからない。思い詰めれば詰めるほど取りこぼしてしまうものもある。
いちばん好きな子には直球で思いを伝えるよりも、脇からそっと近づいたほうがうまくいったりするのと同じように“小説は何か”という難題は、横目で見ていたほうがいいのかも、と思っています」
現在は、『有頂天家族』のように、コミカルな要素も含む作品を執筆中とのこと。次はどんな森見ワールドが味わえるのだろう。いまから待ち遠しい! クセのあるキャラクターや独特のユーモラスな世界観が魅力でもある森見さんの小説だが、そんな作品を好む読者もまた、遊び心にあふれる人が多いという。
そのことを象徴するエピソードがある。作中に登場する佐山尚一の『熱帯』は架空の本だが、アマゾンで検索すると、商品ページが見つかる。連載当時、ちょっとしたいたずら心でつくったものだが、いつの間にか読者のレビューがついていたそう。
「“気づいたら本が消えてしまい、最後まで読めていない”など、物語の世界観を踏襲したレビューばかりで面白いなと。その後も読者からのレビューが増えているので、今後どうなるか楽しみですね(笑)」
ライターは見た! 著者の素顔
とても気さくにインタビューに答えてくれた森見さん。これまでの森見作品に出てくる場所をめぐる聖地巡礼の京都旅行に出ようと思っているライターが、冬のおすすめスポットを聞いてみた。
「祇園にあるロシアレストラン『キエフ』の、クリームソースの上にパン生地がのったグリヴィという料理を初めて食べたとき、おいしくて感動しました。ビジュアルといい味わいといい、おとぎの国の料理のようなんです。いつか作品に登場させるかもしれません(笑)」