『ちょうどいいブスのススメ』原作の山崎ケイ
 お笑いコンビ・相席スタートの山崎ケイによるエッセイ『ちょうどいいブスのススメ』が1月10日から日本テレビ系(木よる11時59分〜)でテレビドラマ化されることが決定したが、“ちょうどいいブス”という表現が女性蔑視にあたるとしてすぐさまネットが炎上。タイトルが『人生が楽しくなる幸せの法則』へと変更されたことが話題になった。この一件について放送作家でNSC東京校の講師も務める野々村友紀子が感じた怒りとは……?

「ちょうどいいブス」という言葉が、昨年末から燃え上がっています。ドラマがスタートしたら、またまたメラメラしそう。ネットでも多くの「賛否の声」が上がっているということですが、ざっとSNSを見てみたら、ほぼ「否(ぴ)」やん! 賛はどこ? ってくらい、どこを見ても、ぴ、ぴ、ぴ! ぴぃ、ぴぃ、ぴぃ〜♪『ろくなもんじゃねぇ』歌ったろか、ってくらいの否の嵐!

 もちろん中には「そこまでの問題か?」という意見もありますが、「女性蔑視だ」「女性の自己肯定感や自尊心を奪い行動を縛り付ける呪いの言葉」などなど、批判的な意見が目立ちます。

 確かに『ちょうどいいブスのススメ』というタイトルだけ聞くと「は?どういうこと?」ってなるかもしれない。ただ、残念なのは、なんだかネガティブな言葉として広まっているこの言葉って、もともとは、もっとポジティブなものだったんじゃない?ってこと。

大発明だった「ちょうどいいブス」という言葉

 相席スタートのケイちゃん(面識はないが勝手に親しみを込めてこう呼ばせてもらいます)が、バラエティ番組で自分のことを「ちょうどいいブス」と名乗ったときは、正直、感心しました。その絶妙な言い回しと、イイ女的振る舞いとのギャップがお茶の間にもウケていたし、それだけ強烈なインパクトがあるワードだからこそ、心に残ってブレイクを果たしここまで有名になったのでしょう。

 そして著書『ちょうどいいブスのススメ』は、「モテない美人よりモテるブス」をキャッチコピーに、自分の容姿にあまり自信がなくても、一旦自分をブスと認めて、さりげない気遣いや対応力など、人として愛される「魅力」を高めたらいくらでもモテる! だから努力しようよ! と、様々なモテテクニックを教えてくれるめちゃくちゃ前向きな指南書です。

 美人でも、内面的な美しさがないがためにモテない人は山ほどいるので、客観的に自分を見ること、内面ブスにならないよう気をつけることは大切なことだし、好きな人や異性のために努力することも間違いだとは思わない。

なにより、「ブス」という女性なら誰もがドキッとするネガティブで嫌な言葉に「ちょうどいい」をつけただけで、笑える言葉にしたのは大発明

「ちょうどいいハゲ」「ちょうどいいデブ」「ちょうどいいバカ」ではダメなんです。ピンとこないし、おもしろくない。そしてこれは、卑下している人を見下して笑う、のではなく「なんかうまく言い表せなかったことを一言でまとめてくれた感」「なんか腑に落ちた感じ」その言い当ての妙におもしろみがあるのです。

 事実、ドラマタイトルが炎上するまでは、ケイちゃんのこのような発言は性別関係なく多くの人に「おもしろい」と認識され、この言葉に前向きな勇気をもらった、という人も多かったはず。

 それが、なぜ急に叩かれたのか。そもそもドラマは本を元にしてはいるが完全なるオリジナルストーリーで、タイトル変更前の番組公式HPにはこのような言葉が並んでいました。

押し付け感増し増しの言い方

 “世の中の多くの女性たちは、実は自分のことを美人でもブスでもないと思っているのでは? そんな方は、一度自分をブスだと仮定してみることが素敵な女性になれる第一歩! 顔が良いからって幸せになれるワケじゃない! 何事にもいい塩梅があり、それを掌握した者が、いい恋愛ができて幸せになれる。”

 “生きづらさを抱えるイケてない女子は、生き方が間違いだらけ! それこそがブス!まずは自分が思っている以上に、自分はブスだと受け入れなさい! そろそろ「美人」を目指すのをやめて「ちょうどいいブス(ちょいブス)」を目指してみては?”

 まあ、大きなお世話ですよね。なんでやねん、なんで自分で自分をブスだと思うことが素敵な女性になれる第一歩やねん。「顔が良いからって幸せになれるわけじゃない!」からの、「でも自分をブスと認めないと幸せになられへんで!」っていうこの感じ、なんやねん?

 だいたいなんで、美人じゃなくブスを目指さなあかんねん!! 誰だって美人がいいわー!と、脳内なんでやねん祭りになった人も多かったでしょう。原作や、ケイちゃんが普段説いている「ちょうどいいブスのススメ」の本質を予め知っていれば、納得できる部分もあるのですが、知らなければ、世の中の多くの女性をナメているような、失礼すぎる文章に思えてしまいます。

 そしてこの「良かれと思ってあえてハッキリ言ってあげてるんだよ的押し付け感増し増しの言い方」が、女性たちをカッチーンとこさせたのかもしれません。

 もしかしたらこの類のメッセージは、メディアが「これが正解の生き方だ」とでもいうように広く世の中の全ての女性に向けて放つのではなく、芸人が笑いを取る手段だったり、本のように手に取りたい人だけ手に取れるシステムの中に置いているのが「ちょうどよかった」のかも

 そりゃ、バラエティ番組で芸人のケイちゃんをテレビの向こうでポテチ食べつつ寝っ転がって「アハハ、ちょうどいいブスだって。ウケる」って言ってるうちは笑えたが、突然「でも、みなさんも実は美人でもないけどブスでもないですよね? わかります。さあ、みんな一旦自分をブスと認めて、ちょうどいいブスを目指しましょう」と言われたら「なんじゃコラ急にこっち見んなや誰がブスやねん許さんぞ」とポテチを投げ捨て顔の上半分真っ黒にして釘バット持って立ち上がりたくなるわ。そもそも笑えてなかった人からしたら、変にこの言葉が世間に流行って、人にそう呼ばれて愛想笑いを浮かべるなんて地獄でしかないわ。

 そう、この言葉は自分で自分に向けて言うからおもしろい。間違っても、人に向けて言っていい言葉ではないのです。だって、そもそもケイちゃんは芸人だから。「芸人・相席スタートのケイちゃん」が「バラエティ番組の中で」「本人が自称して笑いを取る」分には良いのだが、その役割を一般社会で押し付けるのは絶対にNGです。気づかれたくない人だっているのです。

「見た目に自信がないなら他で努力しろ?そんなもんとっくにしとるわ! いちいち大きな声で言うなボケ!」って人もいる。ちょうどよかろうが、「ちょい」だろうが「微」だろうが、自分で「ブス」なんて絶対に認めたくない! それが女性ってものでしょう。

ちょうどいいブスを名乗るメリット

 見た目と言動のギャップのおもしろさを売りにしている芸人の覚悟と、それをいじる側の力量があってこそおもしろく成立するやり取りを、一般社会に持ち込むやつはただの大バカおもんない野郎。だからもし、会社や学校で女性に「お前ってさ、ちょうどいいブスだよな」とか言うやつがいたら、そいつは相当おもんないやつなので、首根っこつまみ上げて「みなさーん!ここに全然おもんないやつがいますよー!!」って叫んでいい。

「自分をブスと下げてまで人に選ばれたくない」という意見は確かにわかります。でも、「私は、ちょうどいいブス」って言い続けるケイちゃんは、なんだかキレイに見えませんか? これが、「私は、残念な美人なんです」と言われたらまた印象は違いますよね? これこそが「ちょうどいいブス」と名乗ることのメリットでもあるのではないでしょうか。

 その言葉を発しただけで、謙虚でユーモアがある女性という内面美人の印象を持たせ、ブスという言葉が容姿のハードルを下げるので、「いや、全然ブスじゃないよ。俺はいけるよ」と言わせてしまう。そこから「え? ほんとにそう思ってる…?」と、より親密になることもできるし、自虐で下からいってると見せかけて、実は男の欲求を手玉に取って上から見下ろし翻弄する会話を仕掛ける高等テクニックともとれます

 本気で自分のことをブスと認め、ちょうどいいブスとして生きていく必要は全くないけど、恋愛の駆け引きの一手段として応用してみるのはアリなのかも。

 ぶっちゃけ、ケイちゃん本人も含め、この言葉をおもしろいと感じ、「まさに私のことじゃん(笑)こりゃいい自己紹介もらったわ(笑)」と笑い飛ばせる人は、きっと本気で自分をブスだなんて思っていないはず。結果、ユーモアがあり自己肯定力が高く、女としての余裕がある人は、容姿関係なく幸せをつかむことができる。その真実も、もっと大きな声で言えばよかったのではないでしょうか。

 お笑い好きとしては、これからも絶妙な言葉が生まれる瞬間を見てみたいし、これからのケイちゃんと相席スタートのご活躍、ドラマの放送を楽しみにしています。


プロフィール

野々村友紀子(ののむら・ゆきこ)                      1974年8月5日生まれ。大阪府出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の芸人、2丁拳銃・修士の嫁。 芸人として活動後、放送作家へ転身。現在はバラエティ番組の企画構成に加え、 吉本総合芸能学院(NSC)の講師、アニメやゲームのシナリオ制作など多方面で活躍中。著書に『あの頃の自分にガツンと言いたい』『強く生きていくために あなたに伝えたいこと』(ともに産業編集センター)がある。