「平成3年に起きた雲仙・普賢岳の噴火災害で、天皇陛下が被災地へお見舞いに行かれたときのことです。陛下は避難所の体育館の床にひざをついて、被災者ににじり寄って“大変でしたね”と声をかけられたんです。昭和天皇は手を振るだけで、遠くからあがめる存在でしたから衝撃でした」
こう語るのは、元・週刊女性記者で、昭和59年から平成7年まで皇室取材を担当した沢田浩さん。
平成流は“近づいていく天皇”
「平成流の皇室は、簡単に言えば、“近づいていく天皇”なんです。被災者に直接語りかけるだけじゃなく、公務で地方に行かれたら、沿道で待っている人たちと握手をする。たとえ私的なお出かけでも、信号で車が止まったとき、そばに人がいるのを見つけると、真冬でも、ずっと窓を開けて手を振っていましたね」
取材を重ねるなかで見えてきたのは、美智子さまとともに、国民と語らい、痛みに寄り添おうとする天皇陛下の姿だった。災害の被災地ばかりではない。国内で唯一の地上戦を経験した沖縄や被爆地・広島などへ慰霊の旅を続け、ハンセン病療養所にも皇太子時代から、何度も足を運んだ。
「東日本大震災のときは計画停電に合わせて、美智子さまと自主的に電気を使わない生活をされたと聞きました。象徴としてのあり方を模索し続けて、それまでの天皇ができなかったことをやってきた」
沢田さんは週刊女性を離れた後、書籍の編集者として、平成24年に天皇陛下の心臓手術を執刀した外科医・天野篤さんの著書を手がけた。天野さんを通じて「全身全霊で、できることを公平にやりたい」という陛下のお考えを知ったという。
そのため沢田さんは、退位の意向を伝えるニュースを耳にしても、まったく意外に感じなかったそうだ。
「全身全霊で公平にやるスタイルは、年齢とともにできないことが増えてくる。もう続けるのは厳しいんだろうな、と」
殿下からキャンディーを手渡された
次の天皇となる皇太子殿下には、ご成婚前から密着取材していた。実は、雅子さまをお妃候補としていち早くスクープしたのが沢田さんだった。
皇太子さまの趣味である登山に同行していたときのこと。休憩中にお湯を沸かして紅茶を飲んでいたら、「殿下にも紅茶を」と侍従に頼まれ、いれて差し上げた。しばらくすると殿下が「先ほどはごちそうさまでした」とキャンディーをくれたことをよく覚えている。
「僕らは、お妃候補とどこかで出会うんじゃないかとくっついてきただけの、いわば“覗きの一行”。ありがとうだけでも十分なのに、ちゃんとキャンディーを返す。殿下の誠実さと律義さを肌で感じました」
学習院大学OBの沢田さんは学生時代、キャンパスで皇太子さまを見かけたことがある。いつもシャツのボタンを首元までキッチリ締めた姿が印象的だったという。
「そういう誠実でまじめな殿下に全力でお守りすると言われて、雅子さまも心を決められたのでしょう。ただ、殿下はリーダーシップを発揮できるタイプではないと思います。自分の意思で動かれて発言もする秋篠宮さまと違って、殿下は敷かれたレールの上を歩んできたように見える。大丈夫かな、と少し不安に感じますね」
皇太子さまには即位後、スピーディーな行動力や発信力を持ってほしいと話す。
「例えば災害が起きたら、自衛隊のヘリを使って、雅子さまといち早く駆けつけるとか。また両陛下が続けられた慰霊の旅のように、国民の痛みに触れるような行事や専門領域を増やしてもらいたいですね。記者会見でも、もっと自分の言葉で話す機会を増やして発信することが、次の時代は大事だと思います」
《PROFILE》
沢田浩さん ◎書籍編集者。週刊女性在籍時には皇室担当として取材を行う。皇太子妃候補として小和田雅子さんの存在をスクープ