「平成の皇室というのは、天皇と皇后が常に一緒にいるというスタイル。これはふたりの結婚以来、ずっと続いていますね」
こう指摘するのは、政治学者で、天皇や皇室の研究を専門とする原武史さん。国民に近い天皇というイメージがあるが、それは皇后である美智子さまからの影響が大きいと話す。
「昭和36年に長野県の安曇寮という高齢者施設を訪れたとき、すでに美智子妃はひざをつき、ひとりひとりに声をかけられていました。今では被災地などで当然のように見られる風景が、最初の本格的な地方行啓のときからあったわけです。
写真で見る限り、当時の皇太子はまだ立ったままで接していましたが、そこから次第に一緒にしゃがむようになって、今の“平成流”になってきました」
次の鍵を握るのは雅子さま
象徴天皇としてのあり方を模索し、国民との距離を縮めようとされてきた。陛下や美智子さまが築かれた「開かれた皇室」の路線は、今後も継承されていくのだろうか?
「いまとまったく同じスタイルを踏襲するとは思えません。鍵を握るのは、新皇后となる雅子妃です。彼女が体調を回復させれば、結婚前に務めていた職歴が生かされるでしょうし、そうでなければ天皇の権威化が進むと思います」
雅子さまの外交官として積まれたキャリアが生かされるようになれば、美智子さまとは違ったアプローチもできるかもしれない。しかし、心配されるのは体調面──。
「10月の即位礼がひとつの試金石だと私は思っています。大きく分けて2つの可能性があります。ひとつは皇后としての重圧に耐えられなくなってしまう。もうひとつは環境が変わることで体調が回復し、いまとはまったく違う皇室をつくっていくということです」
時代に合わせた改革ができるかが重要
天皇陛下は昨年12月、最後となる誕生日記者会見で、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べた。
陛下が会見で使った「天皇としての旅」という表現は、美智子さまとともに国内外の激戦地を足繁く訪ねた「慰霊の旅」に重なる。昭和天皇に代わって贖罪をするかのように、沖縄、硫黄島、サイパン、パラオなどで祈りを捧げられてきた。
「確かに、昭和天皇ができなかったことを引き受けていると思います。ただ、天皇と皇后が慰霊で訪れた場所は、戦争末期にアメリカ軍と戦って日本軍が負けた戦地ばかり。日本が軍事行動を起こした、中国の柳条湖や南京、重慶、ハワイのパールハーバーなどは訪問していないんです」
韓国など、戦前に日本が植民地としていた国々も含まれていない。
「そういった場所にも行かなければ、明治以降の植民地支配や戦争の全体像をとらえたことにはなりません。太平洋戦争末期ばかりがクローズアップされる一方、日本が侵略や奇襲攻撃を仕掛けた加害の側面が隠蔽され、いびつなものになっているように見えます」
と、原さんはその部分をこそ次の時代に期待したいと考える。
「今の皇太子がどれだけ自覚しているか、という問題もあるのですが、皇后になられる雅子妃はもともと外交官ですから、国際協調的な感覚はお持ちではないかと思います」
今後、皇室はどう変わっていくのだろうか?
「あまりに今の時代に合わないしきたりなどもたくさんあるので、そういう部分を改革できるかが重要。それ次第で、どんな時代になるのかが見えてくるのではないでしょうか」
《PROFILE》
原武史さん ◎政治学者、放送大学教授、明治学院大学名誉教授。『皇后考』(講談社)ほか皇室研究に関する著書多数