昭和の時代と比べ、国民により近くなったとされる平成の皇室。NHKが5年ごとに行う意識調査(平成25年)によれば、天皇に対して「尊敬の念を持っている」人は34%、「好感を持っている」人は35%にのぼる。
平成以降、すべての世代で尊敬するという人が増えているのだ。今年の新年一般参賀に平成最多の15万4800人超が訪れたことからも、皇室への関心の高さがうかがえる。なかには皇族の“追っかけ”も出現、自らが撮影した写真で、雅子さまや愛子さまの写真集を刊行する人びとまでいる。
美智子さまへの関心の大きさが影響
なぜ平成皇室は国民に広く受け入れられてきたのか? ジャーナリストの渡邉みどりさんが分析する。
「もともと私たちは、天皇制があるのは当然として生活してきた。そのなかで、美智子さまが民間から皇室に嫁がれたことが大きい。皇室人気の大本になっていると思います」
元・宮内庁職員の山下晋司さんは、時代の変遷による影響を指摘する。
「昭和時代、天皇はまさに“雲の上の存在”。昭和天皇は戦後の40数年間、象徴というお立場でしたが、国民は戦前のイメージを払拭できなかった。親しみよりも“畏れ多い”とか“もったいない”という感情が大きかったと思います。
それが平成になり、陛下は戦前の天皇のイメージを持たれていませんし、国民との接し方も昭和時代とは違い、身近に感じるものでした。これが本来の象徴天皇のあり方なのかもしれないと思いました。皇后陛下に対する関心、特に女性ですが、大きかったですね」
だが、お代替わりの当初は、両陛下の国民との接し方に宮内庁内ではネガティブな見方があったという。
「陛下が避難所でひざをついてお話しされたり、一般の人との接し方や皇后陛下のファッションなどに注目が集まることについて“安っぽい”“威厳がない”とこぼす職員もいました。
確かに、昭和天皇には近寄りがたいというイメージがありましたが、両陛下が皇太子同妃時代から関心を持っていた人の多くは、美智子妃のファッションや立ち居振る舞い、ご生活ぶりなどがきっかけでしょう。
となれば、皇后になられても、そういう目で見ますよね。女性週刊誌なども、そういう国民の関心ごとを踏まえて報道しますから、結果として国民、特に女性は自分たちに近い皇室という印象を大きくしていったのでしょう」
平成になった当初、地方のご訪問先に集まっているのは、美智子さまをひと目見たいという女性がほとんど。かけ声も“美智子さま”の声ばかりだったとか。
「昭和30年代、当時の若い女性にとっては美智子妃がいちばん憧れる存在で、お互いに年をとっても、それは変わらないのでしょう」
天皇は「祈りの存在」
長年、皇室を取材してきた皇室ジャーナリストの久能靖さんは、日本人に根づく天皇像を「祈りの存在」と表現する。
「日本人のなかに、天皇は“祈りの存在”としてあり続けてきたのだと思います。世の中を動かす政治については、われわれ国民がやりましょう。なので、天皇は国民みんなのことを、平和を祈ってくださいと。
例えば、陛下が被災地にお見舞いに行かれても、そこで具体的な対策などをお話しにはなりません。直接現地に行くという行動で、みなさんのことを考えていますよ、ということを示していらっしゃるんです」
常に国民のことを考え、祈り続ける姿にみんなが感動している、と久能さんは皇室に魅かれる日本人の心情を説明する。
「いまの天皇・皇后両陛下は、親子で同居したり、これまでの皇室がやってこなかったことを始められたので、批判もいろいろありました。皇室にあるまじきことをしていると。次の世代でも新しい天皇の取り組みについて、いろいろと批判が起きると思いますが、日本人に根づく“祈りの存在”という考え方は変わらないと思います」
《PROFILE》
渡邉みどりさん ◎皇室ジャーナリスト。日本テレビに在籍中、昭和天皇崩御報道特別番組ではチーフプロデューサーを務めた
山下晋司さん ◎皇室ジャーナリスト。宮内庁で23年間勤務した後、『皇室手帖』の編集長などを務めた。現在は各メディアで解説を行う
久能靖さん ◎皇室ジャーナリスト、元日本テレビアナウンサー。フリーに転身後、『皇室日記』のキャスターを務めた