4月30日で「平成」は幕を閉じ、5月1日から新元号へと変わる。結婚、離婚、不倫に訃報、自殺や事件にトラブルと、平成の30年間の芸能史を振り返ってみると、様々な出来事があった。平成の幕開けとともに芸能記者となった筆者が見てきた、芸能界の30年間の喜怒哀楽。第2回は「平成2年」。

ちびまる子ちゃん

平成2年

 平成2年(1990年)は、年明け早々から株価が下落を始め、いよいよバブル景気崩壊が始まりだす。が、世間はまだまだ景気がいいと思い込んだ人々で溢れ、好景気だと湧いていた。

 秋篠宮文仁親王(当時は礼宮さま・24)と紀子さま(当時23)がご結婚をされ、天皇陛下の即位の礼も行われた。

「当時の紀子さまは、お父さまが学習院大学の教授だったので、教職員用の共同住居に住んでいました。そのことから“3LDKのプリンセス”と呼ばれていたことも。一般家庭ご出身という親しみやすさで、紀子さまブームが起き、ファッションからメイクまで、ワイドショーも朝から晩まで張り付いていたほどです。国民からも大きな祝福を受けられました」(一般紙皇室担当記者)

 日本人が初めて宇宙に行ったのもこの年だ。TBSが創立40周年事業として立ち上げたプロジェクトに、当時TBSの記者だった秋山豊寛氏が訓練を経て日本人初の宇宙飛行士となった。

「バブル景気が後押ししていたことで、ビッグプロジェクトがどんどん加速していた時代です。プロジェクトの経費も高額ですし、民間のテレビ局から宇宙飛行士がでるなんて、今では想像もできません。

 当時のソ連は秋山さんを宇宙に行かせるため、TBSに初期費用だけで2000万ドルを請求しました。それをポンと払ちっゃうという。そういう時代だったということですね」(元TBS社員)

 また、大学入試センター試験が実施され、爆発的なヒットとなったスーパーファミコンも発売。ブームとなっていたF1グランプリでは、鈴木亜久里が日本人で初の3位入賞、ローリング・ストーンズやポール・マッカートニーなどの大物外国人アーティストもバブルに湧く日本に続々来日。サンリオピューロランドが開演したのも平成2年だった。

「ローリングストーンズが初来日した際、ライブ公演のスポンサーとなったのはポカリスエットで有名な大塚製薬でした。東京の百貨店の入り口では、ポカリスエットのブルゾンを着た女性が、ストーンズのシンボルであるベロマークのお面を配るなどして、莫大なサポート費用を捻出しました。

 というのも、メンバーのムチャぶりがすごかったんです。東京ドームの楽屋に2000万円の日本庭園を作らせたり、メンバーが家族のために後楽園遊園地を貸し切りにするなど、追加の経費が多かったと聞いています。バブルだからできた、採算度外視なお金の使い方ですよね」(当時のイベンター関係者)

 バブル期ならではの伝説だ。

 テレビ番組も多くのヒットに恵まれた。ドラマでは『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)が放送を開始。バラエティー番組では『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ系)が高視聴率を記録。

 そして、もっとも話題をさらったのが、さくらももこ原作のアニメ『ちびまる子ちゃん』がフジテレビで放送を開始したことだ。

 “平成のサザエさん”と呼ばれ、最高視聴率39%台を叩き出し、主題歌だった『おどるポンポコリン』(B.B.クィーンズ)も160万枚を超える大ヒットとなった。

平成とともに生きた国民的マンガ

「ちびまる子ちゃん人気はすさまじく、連載されていた漫画は単行本が累計3000万部を超え、この年の関連商品の売り上げは100億円を超えました。その勢いは衰えず、翌年には700億円まで伸び続けたというから、人気のすごさがうかがえます」

 というのは、テレビ誌編集者。「ちびまる子ちゃん(現象)」は、この年の新語・流行語大賞の金賞を受賞し、主題歌を歌うB.B.クィーンズは、NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。

「NHKが紅白で他局の主題を歌うことを許可するなんて、当時は珍しい出来事でした。あれだけ国民に浸透している曲ともなれば、無視できなかったのでしょう。これを機に、他局の話題やキャラ、番組主題歌を紅白でも取り入れるきっかけになったわけです(前出・テレビ誌編集者)

 そんな国民的アニメとなった『ちびまる子ちゃん』の作者である、さくらももこさんは、昨年8月、乳がんのため53歳という若さで逝去。

「実は今、さくらさんの出身地である静岡県内で、“さくらももこ記念館”の誘致合戦が始まっているんです。“長谷川町子先生につぐ功績のあるさくらももこさんの施設を!”と、いろいろな自治体が遺族にプロモーションをかけているようです」(地方紙記者)

 意外なことに、さくらももこ記念館や美術館などは、まだ存在していない。静岡市清水区にある『ちびまる子ちゃんランド』は、サッカー球団エスパルスの親会社が運営しているテーマパークであり、清水港の開港100周年を記念してオープンした複合商業施設内にある。

「静岡市は、さくらさんから下水道のマンホールのふたを寄贈されたこともあり、記念館の誘致をアピールしているようです。観光収益の目玉として、県内各地の自治体でプロジェクトが進行しています。どの自治体になるのかはまだわかりませんが、一周忌を目処に最終的なジャッジが出るのではと言われています」(前出・地方紙記者)

 平成2年、日本中に『ちびまる子ちゃん』現象を起こしたさくらももこさんは、平成が終わりを迎えようとしている30年に逝去された。まさに平成とともに生きた国民的マンガとなった。

 しかし、『ちびまる子ちゃん』そして未来の『さくらももこ美術館』は、時代を超えて生きていくだろう。

<取材・文/宮崎浩>