「ダンスでも、芝居でも、自分が納得するものにしたいというこだわりが強い。ただ、彼はうまくいかないと思いつめてしまいやすいんですよ」
テレビ局関係者は、大野智の素顔についてこのように語る。先日行われた会見で嵐の活動休止を発表した際に、アイドルとして生きることに苦しさを感じていたことを明かした。
「'14年の秋ごろから1度、芸能界を離れて自由な生活をしたいと考えるようになったそうです。その思いを隠しながら仕事を続けていたのですが、'17年6月16日に、ほかの4人に“自由な生活をしたい”と相談しました。そのとき、彼はケジメとして事務所を辞める覚悟だったそうです」(スポーツ紙記者)
だが、彼がジャニーズを辞めようと思ったのはこれが初めてではない。
「大野クンは'97年から2年間、京都で行われた舞台『KYO TO KYO』に出演していましたが、東京では滝沢秀明さんを中心とした売れっ子Jr.によるテレビ朝日系のバラエティー番組『8時だJ』がスタート。
京都にいる彼の中では“どうせ自分は誰にも期待されていないんだ”という思いが強かった。周囲には“この舞台が終わったら辞めようと思っている”と話していたそうですよ」(当時を知る元ジャニーズ関係者)
こういった経緯があったためか、大野はデビュー当初から劣等感を抱えていた。
「彼は安定した歌唱力を持ち、ダンスもうまかったです。京都での舞台の仕事が多かった関係で、演技の基本も身につけており、嵐の作品やパフォーマンスのクオリティーを、誰よりも支えていました。ただ、ほかのメンバーに比べて、人気も知名度も劣っているというコンプレックスを持っていたんです」(大野の知人)
思いつめてしまう性格のためか、仕事に楽しさを見いだすことも難しかったようだ。
精神的に追い込まれていた'17年6月ごろに受けた雑誌のインタビューでは、本音が垣間見える場面も。
《楽しさはないです(笑)。でも、芝居に限らず歌もダンスも必死だから、どれも楽しいという感覚はないです》
そんなつらい状況から逃れるすべが趣味の釣りだった。
「'07年の秋から本格的に釣りを始めたそうです。オフの日には12時間くらいずっと釣りをすることもあるんだとか。釣りをしているときは、アイドルであることを忘れて“普通の人”になれたのかもしれませんね」(前出・テレビ局関係者)
ここ数年は嵐のリーダーとして走り続けることよりも、1度立ち止まることを望んでいたようだ。過去に受けた雑誌のインタビューで、年を重ねることについて聞かれると、こんな回答をしている。
《40歳どころか、早く50歳くらいになりたい。ゆっくりしたいんです。絵を描いて、釣りやって、のんびり暮らしたいなあ》
しばし芸能界から離れてリフレッシュしたら、また華麗に歌って踊ってくれることだろう。