日本では来年、東京オリンピックとパラリンピックが開催され、2025年には、大阪万博の開催が決定している。訪日観光客の数は年々増えており、この傾向はこの先もしばらくは続く見込みだ。多くの企業や自治体はそれを商機と捉えているだろう。
だが、本当の意味で外国人を取り込みたいのであれば、性別や人種などの偏見・差別を防ぐために政治・社会的に公平な言葉や表現に配慮する「ポリティカル・コレクトネス」は避けて通れない道だ。本連載では、日本人にはOKでも、外国人にはNGといったあれこれを検証する。
旅館について宿泊客一同が固まった
日本の旅館での宿泊は、欧米型ホテルとは異なる体験ができるとあって、「日本に行ったら、ぜひ旅館に宿泊したい」という外国人は多い。女将のお出迎えから始まり、美しい庭、畳の部屋、豪華な食事にお風呂と、日本でなければ体験できないそれらの一つひとつは、海外の人からするとエキゾチックで、期待に胸が膨らむだろう。
しかし、旅館にとっては長年の慣習であっても、今の時代では変えたほうがいいものもある。それが「お出迎え看板」だ。
久しぶりに帰国し、旅館を借りて顧客との打ち合わせをした際に、自分たちの名前が歓迎のお出迎え看板に掲げられていたことがある。黒い板に白字で「歓迎、○○御一行様」と書かれた、あの看板だ。
私たちはそれを見て、あまりの驚きにその場で固まってしまった。そして、さらに驚いたのはその日に宿泊する部屋のドアの横に、「歓迎 ○○様」という張り紙が貼られていたことだ。
廊下を見渡すと、どの部屋にも宿泊客の名前が貼り出されていた。「この習慣は、まだあったのか」――。しかも、それは海外からも頻繁に客が来ると知られる老舗の旅館であったため、驚きは大きかった。
旅館に限らず、この歓迎スタイルは日本の多くの場所で見られる。観光バスや、それで乗り付けるような地方のレストランの入口などにも、こうした歓迎看板を目にする。しかし、これは客のプライバシーに触れることでもある。
守られるはずのプライバシーが、このように堂々と公開されることをありがたいと思わない人も、世の中には大勢いるはずだ。「海外生活が長いので久しぶりに歓迎看板を見ましたが、今でもある習慣なんですね」と、少し皮肉のつもりで旅館のスタッフに話しかけると、「これこそ日本の『おもてなし』ですから」と胸を張って答えていた。
セキュリティの観点からも、客の中には「自分がその旅館にいることを外部に知られたくない」という人もいるはずなのだ。それなのに、なぜ日本では先にそれを個々に尋ねないのだろうか?
太っている人を揶揄するのも「アウト」
ポリティカル・コレクトネス(以下、ポリコレ)と聞いて、それがなんだかハッキリ答えられる人は少ないかもしれない。
「デジタル大辞泉」によると、「人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない中立的な表現や用語を用いること」とある。しかし、多種多様な民族や宗教背景を持つ人で人口が構成されているとは言えない日本では、理解しにくい部分があるかもしれない。
移民や性の多様性に寛大であろうとする欧米諸国ではもともと、公平や中立さに欠ける発言や、差別や偏見が少しでも含まれる発言は、人として口に出してはいけないという風潮はあった。が、特にアメリカでは、ポリコレは前オバマ政権下において、社会の「常識」として定着した感がある。
例えば、性の多様性への理解は、ポリコレの浸透によって劇的に高まった例と言えるだろう。アメリカ連邦最高裁判所は、2015年に合衆国憲法下での同性婚を合法化したが、こうした動きは、全世界的にマイノリティーの人権理解に対して大きく貢献したと言える。
ポリコレによる新しい常識は、かつてのアメリカの常識を「非常識」にもした。例えば、以前はアメリカでも、「太りすぎは自分をコントロールできない証拠」などと、よく言われていた。
が、これはポリコレ的には正しくない。人の体型に関する発言をすることは、今のアメリカでは許されないからだ。今は、「どんな体型であっても、すべての人間は美しい」という考えが、社会では正しいものだと認識されている。
こうした中、日本人としてアメリカに暮らし、時折、日本に仕事で戻ることを繰り返す筆者たちは、毎回、日本に帰国するたびに日本のポリコレ対策は十分ではないとヒヤヒヤすることが多い。
ポリコレがアメリカにおける一握りの特異な文化であるならそれほど心配はないかもしれない。しかし実際には、世界を牽引するグローバル企業がこぞってポリコレを重視する傾向もあることから、経済活動を妨げないためにも、ポリコレの常識は知っておいたほうがいいのではないか。
年齢や結婚歴などは親しくないかぎり聞かない
日本とアメリカを往復して感じるのは、日本人はひょっとしたらプライバシーについてとても大らかな国民なのではないか、ということだ。例えば年齢や結婚歴、子どもの有無などは、欧米ではかなり親しいか、相手がその話を出さないかぎりは「あえて」話題には出さないプライベートなことだ。
しかし、日本ではこれらをいきなり人に質問することが多い。日本の履歴書の定型フォームなどを見ても同じことが言える。日本では履歴書に性別や生年月日を必ず記載することになっているが、アメリカでは性別や生年月日を開示する必要はない。
重要なのは過去に、その人物がどんなキャリアを築いてきたか、どんなスキルを持っているかであって、年齢や性別などは選考には関係ないからだ。そして、その情報によってバイアスがかかってしまうことは避けるべきと考えるのが一般的なのだ。
このように、プライバシー情報の扱い方に関する欧米諸国と日本との認識のずれは、日本社会のあらゆるところに潜んでいる。前述の旅館の例なども、日本人の視点で考えれば、旅館の看板は純粋な「おもてなし」であり、それ以上でも以下でもないと思えるだろう。
しかし、プライベート情報の開示に関する文化が日本とは異なる諸外国では、その「おもてなし」はともすると「個人情報の侵害」でしかない可能性につながることは、頭の隅においておいたほうがいいのではないか。
実際にアメリカやヨーロッパからの顧客にアテンドして、日本人とアメリカ人が同席する会議や会食などに立ち会うと、ほぼ毎回、外国人側から「日本人は、どうしてこちらのプライベートな情報について聞きたがるのか?」と質問される。
以前、ある交渉の席で日本人ビジネスマンが、身長がそれほど高くないドイツ人の男性に対して、「いやー、ドイツにも自分と同じような背丈の人がいるんですね。親近感を覚えますよ」と言って握手を求めたことがあった。無神経な言い方ではあるが、日本人であれば、この日本人男性が相手に対し親しみを込めて発言したと推測できるだろう。
人の体形へのコメントはプライバシーの侵害
しかし、この発言がきっかけで、その場の空気が凍った。日本語を理解するこのドイツ人は、求められた握手には応じなかった。これはポリコレ的にも非常によくない発言である。その場を出たドイツ人は、「あんなにズケズケとプライベートな部分に突っ込む指摘を人から受けたのは、生まれて初めてだ」と憤慨していた。
その後、取引の交渉がどのような結果に至ったかは想像にかたくないだろう。人の体形に対してコメントをするということは、欧米ではプライバシーの侵害でもあるのだ。「本当のことなのに、なぜ言ってはいけないのか?」と納得いかない方もいるかもしれないが、本当のことだとしても口にはしてはいけないことがある。それがポリコレなのだ。
これからの訪日外国人対策において、日本流のコミュニケーションやおもてなしが海外のポリコレに対応しているかどうか、は日本ではほぼ議論されていない。ポリコレには賛否両論もあり、欧米でも「ポリコレを気にするあまり、円滑なコミュニケーションが取りにくい」など、これによる弊害を指摘する人もいる。
しかし、世界の経済の中心を動かすような大手グローバル企業ほど、ポリコレを重視する傾向がある流れを考えると、オリンピック開催前のこの機会に世界的なポリコレの動きを理解し、日本が誇るおもてなしが世界の流れに合っているかを検証してみても損はないだろう。
今はソーシャルメディアを通じて何でもすぐに拡散されてしまう。せっかくのオリンピック商機に日本でのネガティブな経験が世界に拡散されないためにも、ポリコレをある程度は意識することや、海外の慣習の常識への対応策を用意しておくのは悪いことではないと思うのだが、どうだろうか。
ジュンコ・グッドイヤー ◎Agentic LLC(アメリカ)代表、プロデューサー。1971年生まれ。青山学院大学卒業。 テレビ番組、コマーシャルなどの映像コーディネーターとして活動後、1998年、宝塚歌劇団香港公演の制作に参加。それを機にプロデューサーに転身。株式会社ブルースカイエンターテインメントなどの代表として、ネバダ州立大学公認のピラティススタジオ日本進出やアスリートのためのメンタルトレーニング事業、国内外の舞台・イベント制作など、さまざまな事業を展開。 2010年に生活の拠点をアメリカに移し、現在ワシントン州シアトル近郊に在住。クリエイティブ&コミュニケーションエージェンシー、Agentic LLCの代表として、アメリカ、日本を中心に事業を展開。著書に『アメリカで感じる静かな「パープル革命」の進行とトランプ大統領誕生の理由』など。ブログはこちら。ポリティカル・コレクトネスに関するフェイスブックコミュニティも運営。
村山 みちよ(みらやま みちよ)◎Agentic LLC共同創設者、BizSeeds編集長。横浜生まれ。1993年に単身渡米し、ルイジアナ州立大学卒業後、米ワシントン州シアトル在住。米メディア制作会社勤務を経て、2007年に日本のテレビ局の北米取材コーディネーション業務および新聞や出版社の北米取材業務を行うJP Media Internationalを起業。ドキュメンタリー系の番組制作に多く携わっている。スポーツ分野にも造詣が深く、全米野球記者協会BBWAA会員。2016年に、日本企業のアメリカ事業展開支援と文化事業およびコンサルティング業務を行うAgenticを共同起業。日本には伝わりにくいアメリカの「今」を発信するメディア「BizSeeds.net」の編集長として、日々ビジネスや政治などアメリカ現地からのニュースも発信している。ポリティカル・コレクトネスに関するフェイスブックコミュニティも運営。