千代の富士が引退した平成3年から、若花田(後の横綱若乃花)、貴花田(後の横綱貴乃花)の兄弟関取が幕内上位で活躍し始めたことで、角界は“若貴フィーバー”に! 琴錦、旭道山、舞の海など個性豊かな力士がそろい、大ブームを巻き起こした。
「自分の両親のチケットすら確保できない状態。後援会経由でも手に入らなかった」と笑うのは、現在、全国11店舗の飲食店を展開し、経営者として活躍する元関脇の貴闘力さん。若貴、貴ノ浪、安芸乃島ら多くの力士を輩出した藤島部屋(後に二子山部屋)を支えた名力士のひとりだ。
フィーバーぶりを振り返るうえで、平成4年初場所の貴花田初優勝時のパレードが忘れられないと話す。
「部屋から祝賀会が行われるホテルニューオータニまでの沿道に10万人が殺到して、15分で到着できる距離に3時間かかって。やっと到着したら、時間の関係で10分で祝賀会は終了。乾杯だけで帰ってきた」
名古屋場所の際には、5000人のファンが宿舎として利用していたお寺に殺到し、見学禁止になったこともあったそう。
「卒塔婆を倒すわ、墓もひっくり返っちゃうわで稽古どころじゃない。住職が怒るのも当然だよ。今も相撲は人気だけど、あのときの熱狂ぶりに比べればかわいいもんさ」
なぜ当時の藤島部屋は、あれだけの数の関取を輩出できたのか?
「藤島親方(初代貴ノ花)の口癖は、“心臓を鍛えろ”。僕たちは2人組で行う三番稽古で何時間もぶつかり稽古を行う。出稽古で出向いた某部屋は勝ち抜き戦のような申し合い稽古だから、当たらない間は休めたので“楽だな”とうらやましかったけど、だからこそ藤島部屋の力士は強かった。
でも、群れることはなかったなぁ。団結するのは、『大相撲部屋別対抗歌合戦』のときだけ(笑)」
外国人力士の台頭で新たな時代へ
若貴フィーバー終了は、横綱若乃花が引退した平成12年。そして角界は、当時、台頭してきた朝青龍らモンゴル勢によって、新たな時代に突入する。
「彼らは一攫千金のために入門するから、日本人力士とはハングリー精神がまったく違いましたね」
貴闘力さん自身も平成14年に引退。その後、平成22年まで親方として奔走する。その間、大相撲はさまざまな問題を抱え、冬の時代を迎えてしまう。
「昔は力士の間の上下関係がはっきりしていて、厳しさがありました。それが日本人力士の強さの一因でもあったけど、外国人力士が入ってきたことで、考え方も多様化してきたんです。これまでとは違う競争意識が出ることはいいことだけど、若貴時代にまであった相撲界の序列が希薄になってしまったかなと。昔ほどの厳しさがなくなってしまったんです」
このことが日本人力士の弱体化に結びついたのかもしれない。
朝青龍の引退後、白鵬一強時代へ。日本人力士の優勝は平成18年の栃東を最後に、琴奨菊が優勝する平成28年まで約10年の月日を費やすことに。翌年には、若乃花以来19年ぶりの日本人横綱・稀勢の里が誕生したが、平成終了とともに、再び日本人横綱はいなくなってしまった。
「若貴フィーバーのときも、琴富士とか平幕優勝がことあるごとにあったでしょう? 再び群雄割拠の時代になったと思って、誰が強くなるのか、ワクワクして見守ってほしい。御嶽海や貴景勝など勢いのある若手もいる。またおもしろい力士がたくさん登場しますよ」
《PROFILE》
たかとうりき ◎1967年、兵庫県生まれ。1983年初土俵。2000年3月場所には史上初の幕尻優勝を達成。2002年に現役を引退、その後、年寄・第16代大嶽を襲名し、大鵬部屋の親方となる。