東京・大塚─。駅前の路上を都電が走る懐かしい風情の残る町である。
駅から少し歩くと路地裏に、東京キャットガーディアンの入るビルがあった。
ビルの最上階のペントハウスは、保護猫カフェでもある開放型シェルターだ。ガラス張りの天井から明るい陽光が差し込んでくる。
猫用のケージが並び、ソファや床では、たくさんの猫たちが自由に遊び回っていた。白黒、ブチ、三毛に黒、中を歩いていると足もとでじゃれてくる。
NPO法人『東京キャットガーディアン』は、日本初の保護猫カフェの運営を通じて、行政(保健所・動物愛護センター)などから猫を引き取り、飼育希望の人に譲渡する活動を行っている。「行き場を失った猫」と「猫と一緒に暮らしたいヒト」の双方をつなぐ仲介の場なのだ。
ご縁があるのは約6割
2月のある日曜日の午後、ここで保護猫の里親希望者の個別面談が行われていた。
若いカップル、夫婦、親子連れも多い。女性ひとりの姿もある。みんな面談の時間まで思い思いに猫と触れ合ったり、ケージの中を覗き込んだりしている。里親希望者は、事前にキャットガーディアンのHPで里親の条件を読み、同意のうえで申し込む。原則、家族全員で来てもらうようにしている。
いくつかのテーブルで面談が始まった。スタッフが、次々と質問をしていく。
家族構成、家を留守にする時間、住居はどんな間取りか、玄関や窓など猫が逃げそうな場所はないか、空調はどうなっているか─、そしてこんな質問も飛び出す。
「猫はたまに外に出してあげたほうがいいと思いますか?」
すると、希望者家族は、ちょっと困った表情を浮かべ、「そう思うんですけど、それはいけないんですよね?」
などと不安そうに答える。ひとり暮らしの希望者には、
「出張や入院などの場合は、どのように対応しますか?」
と尋ねたりもする。
もし猫アレルギーになったらどうするか、柵はどこに必要か、近所の動物病院を把握しているか、など面談項目は多岐にわたる。
和やかなムードで始まった面談だが、次第に希望者の顔が引き締まってくるのがわかる。
「この面談で“不可”となるケースもあります。私どもだけが断るわけではありませんが、実際ご縁ができるのは約6割の方です」
そう言うのは、東京キャットガーディアン代表の山本葉子さん(58)だ。
「基本中の基本が、終生飼育してくれること、そして完全室内飼育です。たまにいらっしゃるのが“以前飼っていた猫は室内外飼育だったので”、と言われる方。“猫は外に自由に出られなきゃおかしい”と喧嘩腰の年配の方もいます。その場合も、丁重にお断りします。ここから知らない場所に行く猫にとって、“外”に出されることは捨てられたのと同じなんです」
猫にしてみれば、まったく知らない町で地域猫たちの縄張りにほっぽり出されたら危険でしかない。それでも、「猫は外に出ても夜には餌を食べに戻ってくるものだ」というイメージはなかなか根強いのだ。
面談を担当したスタッフの村上晃清さん(50)が言う。
「ご家族のなかで、適正な方もいるし、厳しい方もいる、というケースは悩ましいです。例えば、大家族でおじいちゃん、おばあちゃんの脇が甘く逃してしまいそうなケースはけっこう多いですよね」
面談を受けた20代後半のカップルに話を聞くと、
「どうせ飼うなら保護猫と決めてました。アレルギーのこととか、こちらが考えてもいなかったことまで聞かれるので驚きました。でも、それだけ猫のことを大事にしてるんだなと感じましたね」
* * *
ペットフード協会の調査によると2018年の猫の飼育頭数は全国で約965万頭、犬の約890万頭を上回り、猫ブームが続いている。
環境省の調査によれば、'18年度に動物愛護センターが引き取った猫は約6万2000頭。譲渡された猫が約2万6600頭、そして約3万5000頭が殺処分されている。
それでも'89年(平成元年)の引き取り頭数は34万頭で殺処分33万頭だった。明らかに譲渡数が増加し、殺処分が減少している実態がわかる。
東京キャットガーディアンは、'08年に任意の保護団体としてスタートし、'10年4月には特定非営利活動法人(NPO法人)を取得した。
譲渡事業のほか、飼い主のいない猫のための不妊去勢手術専門の『そとねこ病院』も運営している。
これまでに6700頭を超える猫を譲渡し、9050頭以上の猫の不妊去勢手術をしてきた実績がある。
山本さんはこう言う。
「世の中に足りないのは、愛情ではなくシステム。ペットショップやブリーダーから購入する以外に、民間の保護団体から猫を譲り受けるというルートを社会に定着させたいと思っているんです」
現在、常時300頭の猫が当団体に保護・飼育され、譲渡数は年間700頭にのぼる。
保護猫はすべて不妊去勢手術が施され、駆虫・3種混合ワクチン、白血病ウイルスチェック(4か月齢以上)などがすんだ猫たちだ。
保護猫を受け入れるルートは2つ。
大部分は動物愛護相談センターからで、もうひとつは民間からである。
「一般の方が今日拾っちゃったとか、困っていた地域猫をどうにかしたいと訪ねてくることもあります。全部は受けられないのですが、5年目くらいから譲渡のスピードが速い子猫でしたら無償で引き受けるようになりました。本当は全部と言いたいんですけど、シェルターがキャパオーバーにならないように、慎重に活動しています」
動物への感情を封印
山本さんは、東京・足立区西新井の団地で生まれ育った。両親はともに教師をしていた。
「父母がその団地に入居した第1号でした。団地ブームのころで、団地に住むことがちょっとだけ誇らしかった時代ですね」
団地ゆえ当然ペットの飼育などできるわけもない。
「当時、団地の近所にボロボロに崩れた廃屋があって、そこに捨てられた大きくて綺麗なコリーがいたんです。おまけに身籠っていました。まだ小学校5年生だった私と近所の同級生たちは、生まれた子犬をその空き家にかくまって毎日交代で世話したんです。
こっそり残飯を持って行ったり、近所のパン屋さんからパンの耳をもらってあげたり。そうやって隠れて世話してたんだけど、小学生だから、その後どうしようなんて、考えていないわけです」
当時は、狂犬病予防法が全盛のころだ。
ある日、子犬に餌をあげていると突然トラックがやってきた。野犬狩りである。
山本さんたちの目の前で、子犬たちは1匹残らずトラックに放り込まれてしまった。
「私たちは機転をきかして親犬を逃したんだけど、きっとすぐに捕まってしまったでしょうね。ショックでした。あのとき、私は動物への感情を封印したように思います」
山本さんは、地元の中学を卒業すると上野学園高校に入学。さらに音大で知られる上野学園大学に合格した。
ところが大学2年でドロップアウトしてしまう。
「学校から近い秋葉原の駅前でたまたま喫茶店のアルバイトを始めたんです。そこで働くうちに仕事に惚れてしまった。身体を動かして働いてお金をもらえることがすごくフェアに感じました。仕事というと教師しか知らなかった自分が、仕事をした対価として相応のお金をもらっていいんだという“商売”と巡りあったわけなんです」
そうだ、会社を作ろう─。まだ20歳だった山本さんはそう決心。必死になってさまざまな仕事を経験しながら、せっせと資本金を貯めようと働いた。
アルバイト生活だったが、同じ音楽の趣味を持つ大学生と交際し、24歳で結婚。文京区白山に2人でマンションを借りて住んだ。
やっと巡ってきたチャンス
自宅を事務所がわりに起業し、ピアニストやバンド、ボーカルなどミュージシャンの人材を派遣する仕事をするようになっていた。
小学校の同級生で当時、会社を手伝っていた池田淳さん(58)はこう話す。
「昔はおとなしくて習字の上手な子という印象だった彼女が、再会したときには社長になっていて驚きました。音楽の仕事でもネット映像配信などのアイデアをたくさん持っていて、新しいものを見る目がすごいなぁと思ってました。保護猫ブームも彼女が作ったようなものですからね」
'91年、山本さん夫婦は目白の一軒家に転居する。これが、山本さんが再び動物と関わりを持つきっかけとなった。
ある日、通りがかった近所の犬の個人ブリーダーの店先で小型犬のポメラニアンと目が合ってしまう。
「一瞬で“かわいそう!”と思っちゃった。たくさんいたから全部買いたいくらいだったけど、そういうわけにはいかず、16万円と18万円の2匹を連れ帰りました」
山本さんの脳裏には、封印していた小学生時代のコリーの子犬たちの姿が蘇っていた。
団地、マンションならばペット不可だが、一戸建てだったらペットが飼える。やっとチャンスが巡ってきたのだ。
しかしこの直後、夫と別居。山本さんはペット可のマンションを購入した。
「夫のことを嫌いになったわけじゃなくて、好きすぎて、かまってくれないから気を引きたくて決めた別居でした。追いかけてくれるのを期待してたのですが……」
しかし、そのまま'93年に離婚。山本さんが犬と同居しつつ、多忙を極める日々を送っていたある日のこと。
「2匹の猫をもらってください」という貼り紙に吸い寄せられ、気づけばその兄弟猫を引き取っていた。
「猫とも同居を始めたら、思った以上に魅力的で伴侶と呼ぶにふさわしい動物でびっくり。そして猫にのめり込んでしまったんです」
すぐに猫たちを連れて近所の動物病院でワクチン注射を打ってもらった。すると病院の床にあちこちぶつかりながらヨタヨタと歩く白黒の子猫がいた。
「先生、これは?」と聞くと獣医師は「持っていく?」と言って、山本さんの2匹の猫が入っていたボストンバッグにその猫も押し込んだのだ。
「その子は全盲で保護された猫で、大きな緑色の目が愛くるしかったんです。先生によると保護したのは、大塚の北口にある有名なおにぎり専門店『ぼんご』のおかみさんでした」
翌日、山本さんは小柄で大きな声の持ち主、右近由美子さん(66)に挨拶へ行った。
事情を聞くと、右近さんが夜中に仕事を終えた帰り道、都電の線路から小さな鳴き声が聞こえてきて、トボトボ歩く猫に気づいたのだという。
「それだけだとよくある話じゃないですか。捨てられたかわいそうな猫を拾う話。でも、そんな単純な話じゃなかった。彼女は大塚駅周辺の地域猫の不妊手術をするために一生懸命働いてお金を貯めて自己負担で手術を受けさせていた。ああ、そういう世界があるんだ、と気がつきました」
30頭の動物との生活
それから、山本さんと右近さんは地域猫の過剰繁殖を抑えるために行動をともにするようになり、ほかにも仲間が増えていった。
地域猫は、過剰繁殖が問題視されている。だから、地域で計画的に不妊去勢手術をする必要がある。
この仲間との出会いが、山本さんにとっての原点だった。
「右近さんがいなければ、地域猫の存在も知らないままで、きっと猫の保護活動も始めていなかったでしょうね」
2000年、山本さんは母親の介護と仕事を両立させるためにルーフバルコニー付き4階建ての家を建てることを決意。すると、事態は大きく動き始める。
「友達が“あなた家あるんだから猫の保護できるでしょ?”と言うんです。里親が見つかるまでの間でいいから、外で行き倒れていたから、治療する間だけ、などと言って次々連れてくる。あっという間に、犬、猫、たぬき、アライグマとなんだかんだで30頭になっていました」
それでも不思議と大変だとは思わなかったと山本さん。
「動物だらけで、とてもベッドや布団では寝られないから、寝袋にくるまっていろんな場所で寝ていました。具合の悪い子がいるとそのそばで寝たり。アウトドア店でいちばん安い寝袋を買おうとしたら店のおじさんに、“お姉さん、この寝袋に冬山なんかで寝たら死ぬよ”なんて言われて。“大丈夫です、家の中なんで”と答えてましたね(笑)。
引っかき癖のある猫は撫でたりできないので、子ども用釣り竿を改造して大きな猫じゃらしを作って遊んであげていました」
前出の右近さんは、猫屋敷さながらの新居に驚いた。
「2、3階は全部猫で埋め尽くされていました。屋上には一面に網が張られていて、猫を日向ぼっこさせていたんですよ」
その当時、右近さんは下半身麻痺の黒猫を拾ったことがあったという。
「動物病院に連れて行くと、お医者さんが“もし飼えないなら安楽死という手もありますよ”と言うんです。何日も悩んだけど答えが出ないので、山本さんに相談してみたら“右近さんは助けたいんですか? 助けたくないんですか?”と。
“もちろん助けたい。でも、排泄ができないとなると手がかかるし……”と答えに詰まる私に山本さんは、“じゃあ、私が病院で排泄の勉強をしてきます。それで面倒みましょうよ”と言ったんです」
右近さんは「山本さんは変わっている」と言う。
「彼女は物事を面倒くさく考えない。スポンと割り切るんですよ。このとき、すでに彼女は猫の保護を仕事にしようと思っていたみたいですね」
猫を不幸にしないシステム
山本さんは、動物だらけの家に住みながら、このままでは先がないな、と思い始めていた。そこで、既存の保護団体について調べるようになる。
「いろんな保護団体を訪ねて現場の話を聞くうちに、まったく芳しくない事情がわかってきた。財産を持ってないとできないような活動だったんですね。これは私にはできないなとも思いました」
さらに探っていくと、海外の本『シェルター・メディスン』に出会う。これは欧米の保護動物シェルターの管理運営方法についてのハウツー本。そこには、保護団体を運営してくためには、報酬を生み出していく必要があるとはっきり書かれていた。
「その本を知り合いの女性の獣医師さんと少しずつ訳してみたら、大赤字にならない運営を続けるための仕組みは、不妊去勢手術だとわかった。その病院を持つことが運営の肝だと理解できたんです」
病院でケアをし、手術をする費用をちゃんと里親に請求する。拾ったとしてもかかってしまう費用である。その費用は保護団体から譲渡してもらうときにも必要なのだという認識があれば、運営費に回すことができるではないか。
山本さんは試算をしていくうち、あることに気がつく。
「この仕事は愛情に頼るボランティアではなく実は“物流”に近いものだったんです」
保護猫の譲渡で人気があるのは、やはり子猫だ。つまり、小さいときに手術をするのがポイントなのだ。欧米では常識だが、日本では拾っても手術をせずに飼ってしまう人が多かった。結果、望まぬ繁殖が起きていた経緯がある。
「獣医師を入れて手術をすれば、言葉は悪いんですが、“製品”のように出せるわけですね。するとちゃんとお金もいただける」(山本さん)
獣医師を内部に取り込めば、自分たちでも運営できる。
「鮮度を落とさずにメンタルもよい状態にして、もらいたい人につなげるのが私たちの仕事、もらわれるまでの流通を確立すれば、猫は決して不幸にはならない。そんなシステムが必要だと思いました」
東京キャットガーディアンのHPには、「譲渡に関わる諸費用」が掲載されている。
そこには「不妊去勢手術代・駆虫費用・3種混合ワクチン・白血病ウイルスチェック(4か月齢以上)・その他の医療費・飼育費用・飼育施設維持費および人件費・しっぽコール(個体番号によって迷子猫を探す仕組み)加入費・事務手数料」の単価が明記され、諸費用の合計は、3万4000円〜4万4000円となっている。
「うちの団体では、毎月800万円の経費がかかります。譲渡数は月間60頭ですから、240万円くらいの譲渡費用が発生し、会員会費や保護猫カフェの入場時の寄付金など一般支援も合わせて、毎月数万円の黒字になっています」
突然、渡された遺言書
山本さん含む保護団体職員全員がこの仕事のプロとして、副業せずに生計を立てるという目標も現在達成している。
東京キャットガーディアンは次々と新たな事業を展開している。'09年には「成猫のお引き取りと再譲渡事業」を開始。
これは、高齢者や病気で入院せざるをえない人が「もし、私に何かあったら猫をお願いします」と、団体に飼い猫を託せる引き取り事業。緊急の事態に備えた積立方式だ。毎月3800円の積立金を預かり、6年で満期になる(27万3600円)。
「今すぐお願い」という場合、一括払いも可能で、ケアをしながら再譲渡につなぐか終生飼育してくれる。また、引き取り時に健康に問題なく、譲渡見込みが高い3歳以下であれば、16万3000円で引き取る場合もある。
この事業は後に『ねこのゆめ』と名称を変え、年齢や状態に関係なく対応するようになった。その背景には、こんな出来事があったという。
ある日、シェルターに50代後半の男性が訪ねてきた。「代表に会いたい。時間がないんだ」と言うので、山本さんは立川市の彼の家を訪ねた。
「すい臓がんで余命数か月なんだ。猫のために建てた家と、この猫たちと、財産を全部渡したい。外の猫たちも可能な限り助けてやってくれ」
そして、「これは仕事の契約書だよ」と遺言書を渡された。以降、成猫の引き取りと再譲渡の事業を拡大させたという。
遺贈を受けた立川市の家屋は現在、譲渡対象ではない猫のシェルターとして、高齢の猫やメンタルに問題のある猫など30頭が保護されている。
'10年からは日本初の「猫付きマンションR」を、'14年には「猫付きシェアハウスR」の事業を開始した。続いてペット可の物件を扱う「しっぽ不動産」の事業も始めた。
「当たり前に伴侶動物と住める場所(物件)を増やしていきたい。今、圧倒的に足りていません。賃貸物件全体でペット可の物件は17%にすぎない。猫は特に隠れて飼われています。高齢化が進んだ公団ではおそらく半分の人たちが猫か犬を飼っています。入院時や、転居でもなかなか連れていくことが難しい。すると置き去りにするなど悲惨な結果につながります」
山本さんは、'15年に『猫を助ける仕事』という本を著した。その共著者である元ニッセイ基礎研究所不動産研究部長の松村徹さんはこう言う。
「山本さんの目指す飼い主にもペットにも優しい住宅はじわじわと普及していくと思います。しかたなしにやっているペット可住宅とペットに優しい住宅の違いがもっとユーザーに理解される必要があるでしょうね」
強い覚悟に「あっぱれ」
東京キャットガーディアンには現在20名のスタッフがいる。里親になった縁で採用されたスタッフも多い。
最近、宅地建物取引主任者の資格取得者も採用した。
青木仁志さん(50)は、建設会社に勤務していたが、昨年10月に入社した。
「実は僕もここの里親なんです。自分の宅建の資格を猫に関する仕事で活かせるというのはやりがいを感じますね」
鑓水あかねさん(33)も宅建取得者で、昨年の春まで不動産業者に勤めていた。
「もともと猫好きで、ここの『ねこ活』というボランティアビギナーの講座に参加しました。雰囲気も気に入ったし、山本さんのさっぱりとした性格にも惹かれて入社しました」
保護猫カフェと同じビルの1階で、猫グッズを扱うリサイクルショップの運営を任される仁村陽子さん(47)は、
「山本さんは、常に人の考えの先を読む頭の回転が速い人ですね。ただそのぶん、思ったことがすぐ口から出ちゃうところもあるかな(笑)」
前出の松村さんは、山本さんをこう評価する。
「彼女はパワフルな行動派で、猫の保護に人生のほとんどを捧げている凄みがありますね。また、いい意味で『(猫の保護)原理主義者』。保護を謳っていても実際は猫のためにならないことをする同業者や、一般の飼い主に対しても厳しく対応するので、誤解もされやすく敵も少なくない。
猫を助ける目的のためなら手段を選ばない剛腕の持ち主ゆえに、商業主義だと批判されることもありますが、できるだけたくさんの猫を助けるために収益を上げて保護事業に再投資して何が悪い? という強い覚悟があってあっぱれだと思います」
* * *
面談が終わった家族が、「わが家の猫」を見つけようと何度もケージの前を行きつ戻りつしていた。東京都千代田区に住む加藤さん一家は、夫婦と姉妹の4人家族。
「以前は、サルを飼っていたんですが、最近亡くなってしまって。それで娘たちが“猫が欲しい”と言い出しましてね」と奥様の由佳さん。
結局、加藤さん家族はちょっとずんぐりした薄茶の成猫に決めた。
「子猫は可愛いんだけど、やはり手がかかりますからね。娘たちのためにも、このくらいの猫がいいんでしょうね」
帰り際、「家族が増えるんだね」と姉妹に声をかけると、うれしそうにはにかんだ。
何度経験しても、このときばかりは山本さんの親心が疼く。
「譲渡の瞬間は“ああ、行っちゃうんだ”と思います。行ってもらわないと困るけど(笑)。でも、私たちがこの活動をやっていなければ年間700頭の猫が死んでいることになる。救えない命のことを思えば、生きて新しいご家庭に行ってくれてよかったと気持ちをおさめられます」
けっして楽しいだけの仕事ではないのだ。
「やりがいのある仕事ですね」
そう投げかけると、こんな答えが返ってきた。
「やりがいと言えるほど軽くないんです。助けられないこともありますしね。毎回、譲渡の瞬間の寂しさもある。そういったつらさを私たちはグループみんなで支え合って耐えているんですよ」
山本さんの次の夢は、町のコミュニティーの核となる「飲食店」を東京中に作ること。
地域の情報が集まる場を各駅に1つずつ作る構想─もちろん、東京中の地域猫を救うための秘策である。彼女なら成し遂げそうな気がする。
取材・文/小泉カツミ
撮影/齋藤周造
こいずみかつみ ノンフィクションライター。医療、芸能、心理学、林業、スマートコミュニティーなど幅広い分野を手がける。文化人、著名人のインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母~代理母出産という選択』など。近著に『崑ちゃん』(文藝春秋)がある