1986年『女が家を買うとき』(文藝春秋)での作家デビューから、71歳に至る現在まで、一貫して「ひとりの生き方」を書き続けてきた松原惇子さんが、これから来る“老後ひとりぼっち時代”の生き方を問う不定期連載です。
第12回
がんとともに生きる人を支える
「マギーズ東京」を訪問
水泳の池江璃花子選手の白血病報道に驚いていると、今度はタレントの堀ちえみさんの舌がんのニュースが飛び込んできた。2人に1人はがんになる時代と言われているが、まだ若くて活躍中のおふたりだけに、「がんってやつは一体、何なの?」「なぜ、彼女たちを襲うのか?」と、怒りさえ湧いてくる。
本人もつらいだろうが、同じくらい家族や周りの人もつらいだろう。わたしにも経験がある。最も親しい友人から子宮頸がんで手術をすると聞いたときは、涙が止まらなかった。「神様、彼女を死なせないで!」と叫びたかったが、黙って聞いていただけだったように記憶している。
その友人は術後、5年生存率の危険ラインを見事にクリアし、今ではわたしよりも元気だが、いつも死を意識している、この気持ちは経験者にしかわからないと話す。
彼女が言うには、がんの人に「がんばってね」は禁句だという。なぜなら、もう十分に頑張っているからだ。
先日、わたしが代表理事を務める、おひとりさまの老後を応援するNPO法人『SSSネットワーク』の会員で、末期がんの女性を訪ねた。4年前にすい臓がんの手術をし、奇跡的に回復した彼女は、「ついに、観念するときが来たのね」と笑った。手術は成功したものの、そんなに長くは生きられないと察知した彼女は、残りの人生を悔いなく生きると決め、ピースボートで世界一周もした。貯金のほとんどは旅に費やした。
すっかり弱ってしまいベッドに横たわる彼女は、わたしの顔を見ると、わたしより明るく元気にこう言った。「わたしには、がんばれ!って、言ってくださいね。わたしはがんばりたいの!!」
それを聞いて「がんばれ! 負けるな!」とわたしが大声で言うと、「がんばるわよ!」とさらに大きな声で返してきた。
がん患者にとり“がんばって”の受け取り方が違う。患者のつらさは人それぞれであり、患者への対応やケアは本当に難しい。
その雰囲気を色で言えば、“オレンジ”
先日、偶然にも、日本の訪問看護の草分けである秋山正子さんと話をする機会を持った。そのときに、スコットランド生まれのマギー・ケズウィック・ジェンクスさんの発案で英国に誕生した、がんとともに生きる人々を支える「マギーズキャンサーケアリングセンター」が日本にあることを知る。
このマギーズセンターは、単なるがんの相談所でもなければセカンドオピニオンを出すところでもない。がんの患者さんだけでなく、その周りの人の悩みや心に寄り添うためにつくられた機関だ。2016年10月にオープンした「マギーズ東京」のセンター長が秋山正子さんである。
豊洲市場にほど近い運河沿いの場所に、マギーズセンターはポツンとあった。まるで北欧の別荘のように、自然を感じられる庭に開放的な室内が見える。雰囲気を色で言えば、オレンジ。やさしい温かな造りに、思わず吸い込まれそうになる。
「わあ、いい雰囲気。わたし、ここに住みたい!」病院でも自宅でもカフェでもない、いつでも誰でも来れる居場所だ。
ここには医療知識のある看護師、心理士やボランティアがいて、お茶を飲みながら友人のように話を聞いてくれたり、また、ひとりでくつろいでいたりできる。
マギーズらしさの一例は、ひとりで泣けるトイレがあること。病院ではないので、がんのパンフレットは、必要になったら手に取れる場所にそっと置いてあること。また、相談者のプライバシーを守るため、相談者同士の目線が合わないように部屋の造りが工夫されている。障子で仕切れる個室もある。ソファで寝転がっていてもいい。すべて自由。
今回、「マギーズ東京」を取り上げたのは、あまり一般には知られていないと思ったからだ。がんの患者を持つ家族、友人、会社の上司・同僚など、本人ががんでなくても利用できるところが素晴らしい。
「こんなにホッとしたことはなかったです」
がんの話はしにくいものだ。担当の医師にさえ本当の気持ちを言えない人も多い。ここは治療や検査を行う医療機関ではないので、医療の処置はしない。自分の力を導き出す力を与えるところなのだ。つまり、あなたが話したい話をよく聞いてくれる。一緒に考えるお手伝いをしてくれる。日本にはあるようでなかった場所ではないだろうか。
「病院の診察帰りに、なんだか、気持ちが沈んで家に帰れないと、ふらっといらっしゃる方もいますよ」と秋山さんは笑みを浮かべながら話す。
また、自分ががんだということを家族に話せず、お正月に帰省したときに髪がウイッグだと見破られるのでは、という不安を話す人もいる。
親の介護に子どもの受験、夫は単身赴任、そして自分はがんになったと話す女性に、秋山さんが「がんばってますね」と声をかけるとポロっと泣いた。お茶とおまんじゅうをすすめると、「おいしい~」と笑顔になり、「ずっと落ち着かなくて、こんなにホッとしたことはなかったです」と、暗い表情をしていたその女性が、明るくなって帰っていったということだ。
ここはカルテもなければ、名前も聞かない。治療法もすすめない。ただ、一緒にお茶を飲みながら話を聞く。
わたしが訪問したときは、大きな無垢(むく)の木のテーブルを囲み、2、3人の方がお茶とお菓子でくつろいでいた。別のソファでは、スタッフと利用者が楽しそうにしゃべっている。すべてが自然だ。これがマギーズの考え方なのである。
マギーズ東京は平日10時から16時までオープン。利用料は無料。予約不要。運営は助成金と寄付で行われている。
がんの悩みをひとりで抱えないで、マギーズにお茶をいただきに行きませんか。運河沿いの一軒家にいるだけで癒されるはずだ。
東京都江東区豊洲6-4-18(ゆりかもめ「市場前」駅下車徒歩5分)
https://maggiestokyo.org/
※毎月第4土曜の13時~16時はオープンマギーズ(見学会)を行っています。
<プロフィール>
松原惇子(まつばら・じゅんこ)
1947年、埼玉県生まれ。昭和女子大学卒業後、ニューヨーク市立クイーンズカレッジ大学院にてカウンセリングで修士課程修了。39歳のとき『女が家を買うとき』(文藝春秋)で作家デビュー。3作目の『クロワッサン症候群』はベストセラーとなり流行語に。一貫して「女性ひとりの生き方」をテーマに執筆、講演活動を行っている。NPO法人SSS(スリーエス)ネットワーク代表理事。著書に『「ひとりの老後」はこわくない』(PHP研究所)、『老後ひとりぼっち』、『長生き地獄』(以上、SBクリエイティブ)など多数。最新刊は『母の老い方観察記録』(海竜社)