「音楽番組にとって、平成は“迷走の時代”でした」
そう語るのは、音楽評論家の富澤一誠さん。
歌とお茶の間との遊離が起こった
「日本の音楽シーンは、'80年代中盤にBOOWYが人気になったことでバンドブームが起こりました。そして平成元年('89 年)、いち早く『三宅裕司のいかすバンド天国』が始まったんです」
昭和を代表する音楽番組『ザ・ベストテン』『ザ・トップテン』『夜のヒットスタジオ』は平成に入ってすぐに終わり、『紅白歌合戦』も夜7時20分スタートに。時代の移り変わりを象徴する出来事が多かったと、富澤さんは振り返る。
「昭和の時代は事務所が歌手を売り込む場、ヒットさせる場として音楽番組がありました。テレビで歌が流れることは試聴機の役割を果たし、気に入った人は翌日にレコードを買っていたんです。
それが平成に入ると一変。バンドブームのときは曲を出せば売れたのですが、彼らはテレビに出ようとしなかったため、歌とお茶の間との遊離が起こって音楽番組が衰退、“歌番組冬の時代”を迎えます。
また、バンドはビジュアル重視で歌を大切にした楽曲が少なかった。その反動で、平成初期には小田和正といったアーティストが活躍する“歌のルネッサンス”の時代となりました」(富澤さん、以下同)
その後はB’z などを中心とするビーイングブームに続いて、小室ファミリーと呼ばれる小室哲哉プロデュースのアーティストが活躍。CDの売り上げも右肩上がりだった。
「'92年にジョイサウンドが通信カラオケを発売、それまでスナックなどで歌われていたものから、カラオケボックスで若者が歌うものに変化しました。こうしたカラオケ人気を背景に誕生したのが、'95年から始まった『THE 夜もヒッパレ』です」
このころから音楽番組のバラエティー化が進み、'94年にダウンタウン司会の『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』、'96年には石橋貴明と中居正広が司会を務める『うたばん』が始まるなど、トーク中心の番組が増えていった。
「しかし、タレントとして話ができる人はいいんですが、寡黙なアーティストは出演しないので、人選が難しかったのも打ち切りになった理由のひとつだと思います。
その点、現在も続く『ミュージックステーション』は、手法としては『夜のヒットスタジオ』と同じで、トークは歌の前に少しあるだけ。アーティスト系も出演しやすい。時代が変わっても形を守り続けたからこそ、今も残る番組になっていると思います」
狙うべき視聴者は50代以上
その後の音楽シーンは多様化の一途をたどる。宇多田ヒカルなど実力派アーティストの出現、日本語ラップやテクノポップのリバイバルなど、ファンもジャンルも細分化していく。そのため、近年は歌番組の特番化が顕著に。
「幅広い層へ訴求できる音楽番組をつくるには、季節ごとの特番でないと成立しない。今うまくやっているのはNHK。『うたコン』は50代以上、若者向けの『シブヤノオト』、幅広い世代が見る上質な『SONGS』と全方位的な番組づくりをしています」
一方、民放の地上波放送は、若者向けに広告を出したいというスポンサーの意向があり、新たな音楽番組はつくりづらい状況に。
「視聴者が高齢化しているため若者向けの番組はつくりづらい。歌番組は現在、BS放送に移っています。今、求められているのは、人口が多く、気に入った曲のCDを買う50代以上を狙った上質な音楽が楽しめる番組。あらためて時代のニーズをとらえることが、これからの音楽番組に必要なことなんだと思います」
《PROFILE》
富澤一誠さん ◎1951年生まれ。東京大学を中退し、音楽評論家として活躍。現在、尚美学園大学の副学長も務めている。