「そういえば学校で流行った!」「家族みんなで見たな〜」。30年という年月の中で、やっぱりいろいろありました。懐かしの番組から驚きの記録まで平成のテレビ裏話を調査!
平成バラエティー最高視聴率1位は?
平成のバラエティーで視聴率1位に輝いたのは、'95年(平成7年)3月4日に35.6%を記録した『平成教育委員会』。ビートたけしが司会を務め、辰巳琢郎らが優等生争いをするなか渡嘉敷勝男の珍回答が番組のスパイスに。
2位は'07年(同19年)8月19日放送の『行列のできる法律相談所』。萩本欽一のチャリティーマラソンを『24時間テレビ』から引き継ぎ35.3%をマーク。3位は'02年(同14年)1月14日放送の『SMAP×SMAP』の生特番で34.2%。不祥事で謹慎していた稲垣吾郎の番組復帰が話題に。
1位から9位までを日テレとフジの番組が独占! 他局で唯一トップ10入りしたのはTBSの『さんまのSUPERからくりTV』。'98年(同10年)2月1日放送の27%だった。
平成音楽番組ナンバーワン視聴率はコレ!
平成に高視聴率番組トップ5のうち、3つが宇多田ヒカル絡み! まず1位は'99年(平成11年)6月21日放送の『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』。デビュー2年目にして大ブレイク中の宇多田が初登場し28・5%を記録。
2位は『速報!歌の大辞テン』で'00年(同12年)2月9日に26・8%。過去の同時期と今週のランキングを交互に発表するという新タイプの番組だった。3位は'99年(同11年)6月18日放送の『ミュージックステーション』。宇多田が初登場し26・5%。
4位に『THE夜もヒッパレ』が'96年(同8年)1月20日放送で25・4%。5位はまたも宇多田が出演した'01年(同13年)3月1日放送の『うたばん』。25%を記録した。
いまでは常識! 日テレが◯◯や△△を開発
平成になって進化した演出方法のひとつにテロップがある。ナレーションの情報やタレントの発言を字幕化する手法は、日本テレビが先駆けと言われ、『マジカル頭脳パワー!!』『エンタの神様』などを企画・演出した五味一男プロデューサーによって導入されたと言われているが……。日テレ出身の佛教大学社会学部教授・大場吾郎さんに聞いてみると、
「五味さんが有名ですが、“自分が最初に始めた人物だ”という人は、日テレ内に何人もいるでしょうね(笑)」
日テレが元祖と言われる技法はこれだけではない。番組放送中のクライマックスシーンでCMを挿入する手法もそのひとつ。また、6時58分や27分など、放送開始時間を前倒しするフライングスタートも、日テレが最初だと言われている。今では定番の手法は、平成になって開発されたのだ。
平成に始まり平成に終わった懐かしい名珍番組
平成初期を代表するバラエティーといえば『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』。山田邦子が通称“やまかつWink”としてCDデビューし話題に。若手芸人の登竜門となったのが『ボキャブラ天国』。爆笑問題やネプチューンなど、第一線で活躍する芸人を多数輩出した。『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』はコント中心から、レギュラー陣の挑戦企画がメインに変化。「芸能人社交ダンス部」などの企画が人気だった。
深夜では、教養色豊かなものからお色気まで、意欲的な番組がズラリ。'90年(平成2年)スタートの『カノッサの屈辱』は、俳優・仲谷昇が日本の消費文化を歴史上の出来事になぞらえて紹介。サブカル色の強いマニアックな題材をテーマにしたクイズ番組『カルトQ』も、まさにカルト的な人気に。アダルト女優が多数出演した『ギルガメッシュないと』は細川ふみえ、飯島愛をブレイクにつなげた。
テレビが個性豊かだった時代は、再び訪れるのか?
技術革新により番組づくりに大きな変化が
昭和までは、スタジオでつくる番組が圧倒的に多かったが、ビデオカメラなどの機材が小型化したことで一変。平成に入ると機動力を生かした番組が数多く誕生した。
「機材の小型化と低価格化は、テレビ界にとっても大きな出来事でした。バラエティー番組でロケが増え、同時に何台もカメラを回すようになります。撮影を途切れさせない長回しが当たり前になり、“捨てカット”の中から意外なシーンを挿入する機会も次第に増えていきました」(大場さん)
この特徴は、現在のタレントが観光地を散策する街ブラ番組や、『あいのり』などの観察バラエティーへと発展した。複数のカメラを同時に回し、日常のひとコマを切り取ることで、視聴者に共感を与え、釘づけにしていったのだ。