塚原千恵子氏と宮川紗江選手

 なぜこんなにあっさりと終わってしまったのでしょうか? メディアも世間の人々も、「本当にそれでよかった」と思っているのでしょうか?

 3月9日、日本体操協会は理事会を開き、特別調査委員会による調査報告書を公表。パワハラ騒動の当事者である宮川紗江選手、塚原千恵子強化本部長と塚原光男副会長、さらに具志堅幸司副会長と池谷幸雄さんへの対応を明かしました。

 その対応とは、宮川選手に「反省文の提出」、塚原夫妻に「任期満了による退任(千恵子強化本部長は3月31日、光男副会長は6月30日)」、具志堅副会長に「顛末書及び謝罪文提出」、池谷幸雄さんに「誓約書提出」。あれだけ世間をさわがせたにもかかわらず、全員に少しずつ謝らせるようなゆるい対応だったのです。

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

 しかし、昨年あれほど連日にわたって報じてきたメディアは、わずかな扱いのみで終了。朝から夜まで連日にわたって報じていたテレビのワイドショーもネット記事も、驚くほど少ないのです。

 一方、塚原夫妻に疑問の声を上げながら、速見佑斗コーチの暴力動画が流出すると一転して宮川選手を批判した世間の人々も、今回は一部で「この処分自体がパワハラ」という批判の声が上がった程度で、大きな動きは見られません。

 メディアも、世間の人々も、「体操協会の対応に問題がありそう」と感じているにもかかわらず、なぜあっさりと放置してしまうのでしょうか。

 その理由を突き詰めていくと、メディアと世間の人々にはびこる悪しき習慣が浮かび上がってきました。さらにそれは、今冬最大のヒット作になり、好評のうちに幕を閉じたドラマ「3年A組 ―今から皆さんは、人質です―」(日本テレビ系)のメッセージをさらに掘り下げたものだったのです。

「ジャーナリズムよりビジネス」のメディア

 まずメディアの悪しき習慣として最たるものは、「“重要”ではなく“需要”を過度に優先させて報じるニュースを決めてしまう」こと。

 今回の続報で言えば、「10代の女性が勇気を振り絞って組織のトップを告発した」「メディアや世間の人々を巻き込んで大騒動となった」などの重要度より、「宮川選手も塚原夫妻も再び反論しなかったため盛り上がっていない」「今では世間の関心は薄いだろう」という想定に基づく需要を優先。報道のボリュームを抑え、事実だけを伝えるストレートニュースのような報じ方になりました。

 また、「ジャーナリズムよりもビジネスの優先度が高すぎる」という姿勢も見逃せません。ニュースのセレクトを左右するのは、テレビのワイドショーなら「視聴率が上がるか」であり、ネットメディアなら「PVやユニークブラウザが上がるか」。

 公共より自らの利益を優先させているため、あれだけ大量に報じたニュースですら、「報じたからには最後までしっかり追いかけよう」という一貫性がないのです。

「メディアも営利企業である以上、仕方がないじゃないか」と思うかもしれませんが、大衆(マス)に向けたメディアの使命は、社会的な問題や事件の本質を伝えること。テレビ局が電波使用の認可を受けているように、便宜をはかられているところもある以上、ビジネスを優先させすぎるのは、あるべき姿とはかけ離れています。

 そもそも大手メディアが営利企業の形を採っているのは、政府や巨大権力者に頼ることなく、公正・中立な報道をするため。「ジャーナリズムよりもビジネス優先」の姿勢では、多くの情報にふれて目の肥えた世間の人々に不信感を与えるだけであり、メディア不振につながってしまうでしょう。

 例えば、体操協会の対応を受けた宮川選手や塚原夫妻が異議を申し立てたら、メディアは一斉に報じるでしょう。しかし、今のところ両者はその姿勢を見せていないため、メディアにしてみれば、体操協会を含めた三者の間にわかりやすい対立構図が描けません。

 逆に言えば、そのようなわかりやすい対立構図が描けなければ報じず、問題や事件を掘り下げないことがメディアの課題であり、人々がもっと声を上げて要求するべきところなのです。

わずか半年前には大騒ぎだったのに、今回はまるで「放置」です(写真:東洋経済オンライン編集部撮影)

最後まで見届けず何も得られない拙速さ

 次に、世間の人々にはびこる悪しき習慣は、「盛り上がっているときだけ発言して、ピークが過ぎると離れてしまう」こと。それまで時間を割いてニュースにふれ、SNSに書き込んでいたにもかかわらず、「しょせん自分には関係ない話」とフェードアウトし、ひどい人になると、「まだやってたのか?」「もうどうでもいい」と冷たく突き放してしまいます。

 すぐさま次に盛り上がりはじめたニュースに食いつき、それもピークを過ぎると再び離れてしまい、クモの子を散らすように誰もいなくなってしまうのです。

 ただ、誤解を招きがちなのは、SNSやニュースのコメント欄を見る限り、悪意のある人はごく一部にすぎず、大半は「知っている情報を踏まえたうえで、言葉をつづろう」としていること。当コラムの意図も、「悪意のある言葉はやめよう」というものではありません。

 そこで気になるのは、3月10日の終了後も称賛の声がやまないドラマ「3年A組」。最終回のクライマックスで主人公の柊一颯(菅田将暉)は、SNSユーザーに「お前らが浴びせた言葉の暴力が彼女の心を壊したんだよ」「今まで散々正義感を振りかざしてきたくせに、分が悪くなった途端に子どものように責任転嫁をはじめる。自分を正当化するのに必死だな」「お前のストレスの発散で他人の心をえぐるなよ」と訴えかけました。

 同作は「SNSで暴言を吐く人が多い」という前提になっていますが、前述したようにそれは一部の人にすぎず、「『あまり知らない』『専門家ではない』という前提で、正論や思ったことをつづっている」だけの人が多いのです。

 どちらかといえば「3年A組」は、「これからSNSで暴言を吐かない」ための抑止的な狙いがあり、だからこそ柊一颯は繰り返し「Let’s think」(さあ考えてみよう。考えたうえで行動しよう)と言っていたのでしょう。

 やはり問題なのは、「まるで流行に乗るような感覚でニュースにふれ、SNSに書き込みながら最後まで見届けず、あっさりと忘れて別のものを追いかけてしまう」、拙速かつ思慮の浅さ。「誰かを助ける」ことも、「自分の学びになる」こともなく、「ただ参加しただけ」という虚しさが心の中に蓄積されていくだけであり、そこに生産性はありません。

「3年A組」のテーマだった「暴言を吐く前に人の痛みを考えて思いとどまる」ことはもちろん大切ですが、これは最低限のこと。当コラムを読んでいるビジネスパーソンのみなさんなら、ワンランク上の行動ができるでしょう。

 ワンランク上の行動とは、「考えたうえで、勇気を出して人のために声を上げ、それを自分の学びにつなげる」こと。それこそが、柊一颯のメッセージを一歩掘り下げた「Let’s think」です。

 例えば、冷静に考えたら体操協会の対応は、「組織ファーストであって、選手ファーストではない」「体操協会を主語にして考えられた落としどころ」のように見えるのではないでしょうか。「どちらも少し悪いところがあった」という子ども同士のケンカを仲裁するような形で幕引きを図ろうとしているのが、その根拠です。

 また、体操協会が公表した調査報告書には、「宮川選手が協会の相談窓口を利用せずに許可なく記者会見・テレビ出演したことはガイドライン違反の疑い」「千恵子強化本部長が面談の録音テープを承諾なしにマスコミに提供したことは倫理規定違反の疑い」「具志堅副会長は公正に欠く発言や協会にマイナスイメージを与える発言に該当する疑い」などの記述がありました。

 このように掘り下げれば、個人の口をつぐみ、委縮させるような前時代的な体操協会の対応がわかるはずです。かつて、「組織の長が毅然とした態度を取るべき」「個人のわがままを許すな」という風潮のときがありましたが、現在は個人を尊重する時代になりました。

 もしこのまま声を上げなければ、「毅然とした対応を取った体操協会はすばらしい」「わがままを言った個人に罰が下った」と認めるような時代に逆行した決着となってしまうのです。

 さらに、もう一歩深く考えれば、宮川選手は「東京五輪が間近に迫った今、言いたいことはたくさんあるけど我慢して従うしかない」、千恵子強化本部長は「パワハラの汚名を免れ、選手たちを東京五輪に集中させるために、不本意ながらも黙ることを受け入れるしかない」などの心境も推察できるでしょう。

 昨年12月の「パワハラ認定なし」に続く今回の対応によって、体操というスポーツに対するイメージは悪化したままで、東京五輪を目指す選手だけではなく、体操教室に通う子どもたちにも悪影響を及ぼしています。

 そして、もう1つ忘れてはいけないのは、自らのリスクを冒してまで宮川選手を支持した現役と過去の選手たち。彼らはどんな気持ちで体操協会の対応を受け止めているのでしょうか。

 体操のイメージや選手のモチベーションが下がり、引いてはほかのスポーツにもネガティブなムードが連鎖しかねないニュースだけに、メディアと世間の人々は、もっと声を上げてもいい気がするのです。

最後まで見届け、学びを共有する社会に

 最後に。このコラムを書こうと思ったのは、体操協会を糾弾したいからではなく、わずか約半年前の騒動を忘れてしまったかのようなメディアと世間の人々に冷たいものを感じ、最後までこの問題と向き合ってほしかったから。

 選手たちが気持ちよく東京五輪に向かい、それをメディアと世間の人々が気持ちよく応援できるように。そして、「次々に新たなニュースに飛びつき、途中で見向きもしなくなる」という悪癖を改善するために。あえて、関心の薄くなってしまったテーマをフィーチャーしたのです。

 パワハラ騒動がピークだった昨年8月31日、「『宮川選手=正義』『塚原夫妻=悪』はまだ早い」と題するコラムを書いて多くの人に読んでもらいました。今回のコラムはどれくらいの人に読んでもらえるのでしょうか。

「ピークのときに声を上げる」のはいいことですが、「問題や事件を最後まで見届け、どんな学びを共有するか」は、さらに重要。個人を尊重しながら発展していける、成熟した社会を作っていけるかどうかは、メディアと世間の人々にかかっているのです。


木村 隆志(きむら たかし)◎コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者
テレビ、ドラマ、タレントを専門テーマに、メディア出演やコラム執筆を重ねるほか、取材歴2000人超のタレント専門インタビュアーとしても活動。さらに、独自のコミュニケーション理論をベースにした人間関係コンサルタントとして、1万人超の対人相談に乗っている。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』(TAC出版)など。