事件現場となった市議宅は高層マンション

「温和で優しい方だったのに」と地元の支援者女性。

 3月9日午後8時50分ごろ、千葉県木更津市のマンションの住人から、「男の人が血だらけで倒れている」と110通報があった。自宅玄関先でドアに挟まれてうつぶせに倒れていたのは、同市の石川哲久市議(71=無所属)。

 外出先から戻った妻が発見したが、頭を鈍器で殴られ、胸や腕を刃物のようなもので複数か所刺されており、搬送先の病院で死亡が確認された。

血のついた1万円札

 千葉県警は周辺の防犯カメラの映像などから翌10日、殺人の疑いで石川市議の娘婿で岡山市在住の無職・石川祥一容疑者(44)を逮捕。同日未明、東京駅で身柄を確保された際、リュックから血のついた金槌のようなものと包丁が見つかっており、

「恨みがあってやったが、殺意はなかった」

 と容疑を一部否認している。

 木更津市のタクシー運転手は次のように証言する。

「同業者がJR木更津駅から犯行後の祥一容疑者を乗せている。“東京の新宿駅まで行ってください”と言って、最後に払ったのは血のついた1万円札2枚だったそうだ」

 容疑者は精神的にぼろぼろで神経症のようにみえた。

「右手に突き指や捻挫があり、刺した回数が多い。小心者か、恨みが強いか。自殺しようとしたのか、左手首にはためらい傷にも至らない刃物傷が3本あった」(捜査関係者)

 哲久市議は木更津市の名家に生まれた。地元の古参住民は「華麗なる一族ですよ」と前置きして説明する。

「容疑者からみて義理の曽祖父にあたる善之助さんは、江戸時代から続く廻船問屋の15代目で、1943年から木更津市の初代市長を務めた名士。義理の祖父にあたる昌さんも市長を4期務めている。

 殺された哲久さんは東大工学部卒の旧建設省(現・国土交通省)官僚で、2010年と'14年に市長選に出馬して2戦2敗。'15年4月の市議選に当選して政治家のスタートを切ったばかりだった

 一族のキャリアは華々しい。東大卒は当たり前。地方都市の政治家一家とはいえ、中央の政・官・学界で存在感を示してきた。

石川哲久市議(木更津市ホームページより)

「一族には首相経験者のブレーンで、マスコミ界の重鎮のゴルフ仲間もいる。政治家の地盤を引き継いだ哲久市議は市長選に2度落ちたため、3年前の昌氏の葬儀では“石川家の恥さらし”と罵られたみたいですよ」(地元記者)

 建設省では都市開発部局を渡り歩き、'95年の阪神・淡路大震災では住宅整備課長として復興支援に尽力したほか、大阪府に出向し建設都市部長を務めた。あとは市議として地元発展のため汗をかくのだろうと思っていた矢先、後継話が浮上したという。

「'17年暮れに地元の支援者約10人で集まったとき、哲久市議が祥一容疑者を連れてきて“後継者です”と紹介しました。容疑者も名刺を配っていましたから、哲久さんは市議を1期で引退するものと思っていた」(地元の支援者)

 哲久さんにとって、祥一氏は後妻の連れ子と結婚した婿養子。石川姓だが血のつながりはない。石川家の内部事情に詳しい女性が耳打ちする。

「哲久さんは離婚した前妻との間に息子さんが2人いますが、大阪赴任時に現在の奥さまと再婚されたんです。10歳以上若く、しっかりされていて、選挙カーに乗り込んで堂々と応援演説するなど迫力ある女性です。その連れ子だった娘さんと結婚したのが祥一さん。おとなしくて政治家なんて務まりそうにないタイプに見えましたね」

政治家修行は4か月

 祥一容疑者は岡山県で生まれ、東京の私立大を卒業後、大手の住宅会社に勤務していた。そのときに知り合ったのが哲久市議の義理の娘だった。婿入りするかたちで約3年前、JR木更津駅に近いマンションに引っ越してきた。

「小学校に入るか入らないかという年ごろの男の子が1人います。奥さんは30歳前後かな。ただ、旦那さんは1年ほど前から顔を見なくなりました」(近所の主婦)

 祥一容疑者は大手住宅会社を中途退職後、'17年9月から千葉県選出の国会議員の秘書として働いた。哲久市議の指示とみられる。

「ええ、哲久市議の後援者からの紹介で入っています。いずれは県議や市議を目指したいと言っていました。2年前の年末までは毎日、熱心にまじめに勤務していましたが、年が明けると体調を崩して休みがちになって昨年4月末付で辞めております。岡山のお母さまから電話があって“身体を壊したので辞めさせてください”ということでしたので」(国会議員の事務所)

 つまり、政治家修業をしたのは実質4か月だけ。

被害者が通った市議会は駅前ビル内にある

 前述した地元の支援者への顔見せ直後、何があったのか。

「ちょうど昨年3月、現職の渡辺芳邦市長が無投票再選を決めている。哲久氏が3度目の市長選挑戦を画策し、約半年前から祥一容疑者を後継市議に育てようとした可能性はある」(前出の記者)

 3度目の出馬はなかった。前回市長選では約1900票差の接戦に持ち込んだものの、「市長候補としては2連敗でアウト」(同記者)の見方が強く、再挑戦しても支持基盤の拡大は望めなかったという。

「立候補するには市議を辞職しなければならないが、結果的に立候補しなかったので市議を辞める必要はなくなったのではないか」と同記者。

人望はなかった

 さらに、こんな噂も……。

翌4月に副市長が『一身上の都合』で突然辞任し、約3か月間、副市長職を欠く緊急事態になった。哲久市議は、せめて副市長に……と人事権を持つ渡辺市長に頼み込んだが断られたという話。'14年の市長選では、渡辺市長をホメ殺しする県外ナンバーの街宣車が走り回るなど木更津市で初めてネガティブキャンペーンが展開されたので、対立候補だった石川陣営を怪しむ声が大きかった」

 と地元経済界の関係者。

 噂だけでははっきりしないので、渡辺市長に副市長打診があったかと聞いた。

「市長によれば、哲久市議からそのような要請はなかったし、断ったという事実もありません」(市長秘書)

 だが、ある市議はこう話す。

「市長は亡くなった人の悪口は言わない。でも、裏でそうした画策はあった。街宣車を使って貶めようとした相手に今度は取り入ろうとするなんて、政治的な信念も何もなく、自分本位すぎる。死者にムチを打つようで気が引けるが、議会でも人望はなかった」

 一方、祥一容疑者が後継候補のハシゴをはずされたことに関しては、「妻へのDVがあって別居し、離婚協議中だった」とする報道もある。

 事件当夜、哲久市議とその妻、義理の娘と祥一容疑者の4人で外食をともにしていたとする情報もあり、食事中に祥一容疑者だけ退席したという。

 身内が身内を殺めた事件にもかかわらず、哲久市議の通夜・告別式は密葬ではなかった。地元住民は「誰か別の人が“弔い合戦”として後継候補に立つのではないか」などと興味津々。市議選の告示は4月14日に迫っている。

(フリーライター山嵜信明と週刊女性取材班)


やまさき・のぶあき 1959年、佐賀県生まれ。大学卒業後、業界新聞社、編集プロダクションなどを経て、'94年からフリーライター。事件・事故取材を中心にスポーツ、芸能、動物虐待などさまざまな分野で執筆している