東日本大震災から9年目となる今年。あの未曾有の大震災を経験し、家族の絆が深まる一方、震災を機に離婚をした夫婦も数多い。それは震災のせいなのか、もともと原因があったのか、2人の女性が経験した「震災離婚」の現実を取材。
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30代半ばのヨシミ(仮名)は震災当日、職場におり津波にも襲われた。一時期は孤立し、自宅も被災して写真は1枚も見つからない。仮設住宅に入れるまでの間、夫とは、お互いの実家で別々に過ごすことにした。
「それがいけなかったのか、夫は一時期、行方不明になったんです。久しぶりに顔を見せると、離婚を言いわたされました」
このとき、4歳年下の夫との間に子ども妊娠していた。
「長女と長男、そして当時お腹の中にいた次男と、3人の子どもがいます。3番目の子どもは父親の顔を知りません。でも、知っているよりはいいかもしれない」
20歳で結婚し、夫のことを理解できていないことが多かったのも事実だ。
泣く夫を見て「かわいい」と思った
「前夫には両親がいないんです。母親は埼玉にいるというのですが、なぜか、おばあちゃんが彼を育てていたんです。結婚するときに戸籍を見ましたが、父親の名前は載っていませんでした」
結婚前、夫の生い立ちを聞こうとしたことがある。しかし、聞かれたくないのか、話題にすると、怒られた。
「その話はタブーでした。ただ、戸籍を見たときに、おばあちゃんの養子になったことがわかったんです。母親は何らかの理由で育てられなかったのでしょう。彼について、いろいろなことを知らないので、結婚したらこの先、何かがあるんじゃないか? と思っていました。
そのこともあったのか、彼との結婚は両親に反対されました。夫は何かあるとすぐに泣くんです。意味もなく泣いているときもありました。でも、それが最初はかわいいと思ってしまったんです。それで、“自分がいなきゃダメだ”と思ってしまったことが、罠でした」
夫の泣く姿を見て、かわいいと同時に、かわいそうと思うこともあった。話を聞いているうちに、かなりの“おばあちゃんっ子”だったということがわかった。
しかし、おばあちゃんは借金をしながら生活し、夫もまたパチンコや競馬で借金を作っていた。
「もしかすると、女遊びもしている? と思ったりしました。でも、彼のことはずっと信じていました。それなのに離婚を切り出され、ギャンブルだけでなく、初めて女遊びをしていることに気がついたんです。ずっと隠していたようなんですが、いつ遊ぶヒマがあったんだろう……」
夫は震災前、水産加工の仕事をし、変則的な勤務形態だった。
「変則勤務の人は、遊び人が多いと聞いたことがありますが、まさか自分の夫もそうだったとは思いませんでした。でも、この辺りは遊ぶような店はないんです。飲み屋といっても、若い女性が多いというわけでもありません。だから女性遊びといわれても、イマイチわからない。なんなの? って感じです」
震災にあい、自宅も仕事も失った。そして追い討ちをかけるかのように、夫から突きつけられた離婚のふた文字。一時期は、かなり悩んだ。
「なんで私だけこんな目にあわないといけないの? ふざけんな、って」
現在は実家に戻って子育てをするが、前夫は養育費すら入れていない。
「でも、今では強くなりたいと思っています。とはいえ、未練じゃないけど、思い出すと憎らしい。忘れることができれば、どんなに楽だろう」
40代のカリン(仮名)は、福島第一原子力発電所の事務員として働いているときに、同じ職場で知り合った男性と結婚した。仕事は3次下請け。給料は手取りで15万円前後。
震災当日は、ちょうど点検作業が終わったときだった。
「原発で何かがあったら、私たちは見殺しだろう」
カリンの頭の中には「安全神話」はなかった。当時は津波が来る前に原発から出て、自宅に戻ることができたが、停電していた。一方の夫は夜勤だったために家にいた。
子どもを学校に迎えに行き、実家の両親の安否確認をすませる。その後は避難命令が出たため、福島県の会津地方や埼玉、東京、群馬、千葉、宮城など、転々とする生活を送った。最終的に福島県のいわき市に戻り、震災から7年を迎えようとしたとき、夫の浮気が発覚。なぜわかったのかーー。
震災があったから遊べた夫
「娘に夫の古い携帯電話をわたしていたんです。その電話にLINEの履歴が残っていたんです」
もともと夫はカリンに対し、モラルハラスメントやドメスティックバイオレンスが激しかった。
「なんだ、その胸の形は!ガリガリじゃないか!」
「好きな人ができたから、もうお前のことは好きじゃない!」
「もうお前のことは好きじゃないから、帰らない」
こんなことを言うのは当たり前だった。どんなに向き合っても自分の立場が悪くなると、反論ができなくなり暴力をふるう夫。
「暴力はいつもじゃないですが、逃げ場がなくなると手が出るんです。震災前は、原発の運転員だったので、出会いはなく、遊ぶにも限度があったんですが、震災後は営業の仕事をするようになったんです。ある意味、震災があったから遊べたんでしょう」
娘も夫の浮気を知っている。そんな娘から「お母さん、ガマンしなくていいよ」と言われた。
ただ、浮気したのは震災後が初めてではない。結婚して2週間後、「俺は遊ぶから」と言われた言葉が今でも忘れられない。その直後、携帯電話の履歴からすぐに浮気が発覚したが、夫は詫びることなく携帯を見られたことで逆ギレした。
なぜカリンは、そんな男と結婚したのだろうか。
「いい人に見えたんです。同棲するようになって、妊娠。結婚は出会って、2、3か月後でした。デートも重ねていませんので、いつか私のことを思ってくれればいいと思っていました。でも振り返れば、挙式のときもケンカしていたので、いい思い出はありません」
震災後、夫はほぼ家にいることはなく、朝帰りが多くなり、女遊びにさらに拍車がかかった。浮気がバレたとき、夫はこう言ったという。
「自分は、かあちゃんとやるつもりはない」
まるで家政婦のような扱いだ。娘はもう高校生になっており、巻き込むわけにもいかない。
「彼は人前ではずっといい人でした。“本当の彼”を知っている私は、ずっとガマンしてきたんです。娘もいろいろとわかる年ごろになり、夫のことを『あんなバカ、いらない』と言っています」
カリンは離婚の決意を固めた。
1万5000人超の人が命を落とし、現在でも約2500人が行方不明のままである東日本大震災。そんな経験をしても、家族を守ることができないダメ男がいる一方で、そんな男に期待してしまう女性たちもいる。
しかし、震災後の大きな生活の変化によって、彼女たちが気づかされたことは大きかった。多くの大切なものを失ったが、震災は人生の選択肢を与えてくれたものでもあったーー。
渋井哲也(しぶい・てつや)◎ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。東日本大震災以後、被災地で継続して取材を重ねている。『命を救えなかった―釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)ほか著書多数。