“ヤマンバ”をご存じだろうか? 真っ黒に焼いた肌に白いシャドー、白いグロスという奇抜なメイク。髪も脱色して、山姥のような見た目からそう呼ばれたギャルの一種だ。なかでも、特に異彩を放つ存在があぢゃ(35)だった。
1か月半、公園で野宿
「小学校のときに安室ブームが始まったんですよ。中学では『egg』に憧れた。地元の横浜はヤンキー色が強かったけど、渋谷経由で高校に通うことになって憧れのギャルデビュー。負けず嫌いが高じて、どんどん派手になりましたね」
気づけば、ヤマンバギャルと呼ばれるように。
「ちょうどそのころ、友達と何人かでセンター街で暮らしていたんです。正確にいうと、宮下公園で寝て、起きたらセンター街に行って(日焼けサロンで肌を)焼く、みたいな」
1か月半の間、友達とローテーションを組んで見張りを立て、公園で野宿。ホームレスの男性からおでんを分けてもらったことも。
「完全に無収入だけど、肌は焼きたいから日サロのチラシを100枚配って20分焼かせてもらう。お風呂がわりに公園の蛇口で陰部とワキを洗う。ガッツリ生活してましたね(笑)」
そんな集団がテレビ業界の目にとまり、街頭インタビューにたびたび登場。ギャラとして渡されたハンバーガーを仲間と食べた。が、ある日、「帰るか!」と突然の解散。自宅に帰ると、ヤマンバ度が増したあぢゃに気づかぬ祖母が「ハロー」と挨拶してきたという。
雑誌『Popteen』に登場したのは、そんなころだ。
人気に火がつき、連載ページを持ち表紙モデルにも抜擢、一躍有名人に。センター街の入り口で仲間とパラパラを踊ったときには、100人ほど集まった。
「大好きなマルキュー(SHIBUYA109)前で撮影の手伝いをしたのもいい思い出」
あぢゃにとって、当時のマルキューは“豪華客船”。冷暖房完備、BGMに大好きなあゆが流れる。洋服の購入も食事もトイレもすべてマルキューですませた。“好きだからゴミひとつ落とさない!”というほどに渋谷を愛したあぢゃはいま、銀座の高級クラブでホステスとして働いている。
“ヤマンバ”またやろうかな
「週8で日サロに通っていた私が、いまは日傘をさして歩いてます。顔は白く戻ったけど、腕の黒さはなかなか取れませんね。でも、ヤマンバ経験も生きてます。お客さんとの会話にも困らないし、同世代の女の子も多いので盛り上がりますね。
去年のハロウィンでヤマンバを復活させたら本当に楽しくて。またやろうかなって、本気で考えてます。目立つの好きなんで!」
《PROFILE》
あぢゃさん ◎1983年生まれ。神奈川県出身。元祖ヤマンバギャル、タレント。現在は銀座の高級クラブに勤務。「婚活します。独身男性募集中!」